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20070530 高橋 俊二

 

遠い渓谷と遙かなる砂丘地帯(ナジラン)

(サウジアラビア王国南西地方)

その3 伝統と美術工芸




 

索引(Index)

緒言(Introduction)

前書き(Preface)

1. 伝統と習慣 (Tradition and Custom)

1.1 伝統と習慣の尊重

1.2 歓待への敬意

1.3 活気ある祭典

1.4 誇りと地位を象徴する馬と鷹

1.5 ナジランの踊り

1.5.1 馬の踊り

1.5.2 ラズファ踊り(the Razfa dance)

1.5.3 ザメル踊り(the Zamel Dance)

1.5.4 太鼓のゲーム(Drums Games)(マラファア(Al-Marafa'a)

1.6 調理法(Popular Dishes)

1.6.1 バール(Al-Burr)

1.6.2 ワフェドおよびマルグ(Al-Wafed and Al-Marg)

1.6.3 マアソオバ(Al-Ma'asooba)

1.6.4 ルクシュ(Al-Ruksh)

1.6.5 マルゴオグ(Al-Margoog)

2. ナジランの伝統工芸 (Traditional Ornaments and Utensils)

2.1 ナジランの装飾品

2.2 三日月型の短刀

2.3 ナツメヤシの葉を編んだバスケット

2.4 皮工芸品

2.5 敷物、衣服等

2.6 陶磁器

2.7 溶接(welding)

2.8 大工仕事(carpentry)

2.9 家庭・台所用品(Utensils)

3. 建築 (Architecture)

3.1 世界で最も美しい建造物の一つ

3.2 農作物の建材への利用

3.3 ナジランの伝統家屋

3.4 トルキー マディ宮殿(Prince Turki Al Madi Palace)

3.5 アアン宮殿 (the Al-Aan Palace)

3.6 多様な都市開発とナジラン特有の新しい建築様式

後書き(Postscript)

出所と参照(Source and Reference)

原注(Explanatory Note)

 

緒言(Introduction)

 

   昔はイエメンの一部と考えられて来た南西部と他のサウジアラビアの地方と較べると伝統や工芸の違いはハッキリと分かる。但し、アシールとナジランの違いとなると私の様な異邦人にはその区別は難しい。平地にあるタスリス(Tathlith)やビシャ(Bishah)もアシール州なので建造物でのナジラン州との違いを挙げるのは他国者にはますます難しい。強いて違いを挙げればミッザン(Al-Middhan)001と呼ばれる石製のポットをナジランでは使っている位ではないかと思う。1994年にファラフ シバン氏(Falah Shiban)が出版した「ナジランの遺物と歴史(Najran Archaeology and History)」と云う本ではナジランの伝統工芸を系統的にまとめて居るので本文とは別にその抄訳を紹介しようと考えた。その内容を私が20050215日に著述した「花冠とスカート姿の男達が住むアシール(Asir)地方の紹介(サウジアラビア王国南西地方)その1アシールの国、アブハ」で紹介したアシールの伝統工芸と比較すれば或る程度は違いが出て来ると思う。
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前書き(Preface)

 

   1988年正月に私がナジランを始めて訪れた時の印象はナツメ椰子の果樹園の緑とその緑に囲まれた泥壁の高層住宅が明るい陽光を浴びて豊かに輝いていた事であった。その時に、その奥にあった首長の宮殿 (Emmarah or Emirate)も訪ねた。その周りに広がる市(suq)の伝統工芸スークにマダムスーク(madam suq)と呼ばれる一角がある。そこではベドウインのおばさん達が紐、皮、ナツメ椰子の葉茎やハスフ(Khasf)或いはナマス(Namas)と呼ばれる木の枝等を編みながら、銀細工、革製品、ナツメ椰子の葉を編んだ日用品、粘土細工、乳香等を売っていた。原則的には女性が人前に出ないサウジアラビアではこのおばさん達がお客との掛け合いをするのが珍しくもあり、印象も深かった。

 

そのスークから少し離れた場所(徒歩5分位)には半月型短剣を製造販売しているスークもある。その時に今は博物館と成っている首長の城 (Emmarah or Emirate)の扉や窓の木工飾りや飾りガラス等を見学した。その細工の精緻さに驚かされると共に、ナジランの人々が20世紀の最後まで伝統工芸を育ててきているのを知った。

 

 

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1.
伝統と習慣 (Tradition and Custom)

 

1.1 伝統と習慣の尊重

 

ナジランの人々は古代からの伝統と習慣に非常に強い意義を感じ、守って来て居る。その伝統と習慣は人々の情緒、価値および想像の表現を育み、豊かな文化を築いて来た。際だった豊かさと精妙さを持つ伝説、詩や説話が吟遊詩人や語り手によって引き継がれ保存されて来ている。
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1.2 歓待への敬意

 

最も顕著なナジランの習慣は歓待への敬意である。シャリア(Shariat)と呼ばれる名誉の掟に忠実であり、頼まれれば、敵にさえも助けと安楽を与える。ベドウイン(Bedouin)の人生観の一部であるこの習慣は乏しい水の分配が必要となる旱魃の時には特に重要であった。

 

ナジランの歓待が持つ他方の魅力は友達や客へ与えられる接待の種類である。マブカラ101(mabkharat)、バウクホッル102(boukhorr)、没薬103(myrr)等の香料を焚いて来客を歓待する。伝統的な香料はそれが貴重で黄金よりも高価であった遠い昔の隊商時代(the caravan age)を想わせる。芳香に包まれた客はカルダモン104(cardamon)を添えた緑のコーヒーやクローブ105(clove)を添えた微妙で高価な紅いコーヒーを味わう。「コーヒーは大昔、アラビアで若い羊飼いのカルディ(Khaldi)によって最初に見つけられた」と云われている。ナジランは素晴らしいコーヒーの産地であり、コーヒーを挽き方、沸かし方、趣のある淹れ方に古いしきたりを持っている。そして最後にやけどしそうに熱い紅茶が客に供される。
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1.3 活気ある祭典

 

喜びを表すこの地方の踊りは全ての祭典の一部であり、出生、婚姻、割礼、里帰り等人生の主要な行事は活気に満ちた踊りによって祝われる。祭りは豪華な祝宴を伴う。祝宴はカブサ(kabsa)と云う御飯の上に鶏、羊又は駱駝(時にはその中に羊の全身が入れられている。)をのせた大皿料理およびホブヅ(khubz)およびマラク(maraq)と云う柔らかいが密度のあるボールで構成される。このボールはパンを捏ねて脚付きのグラス(goblet)の形に作られており、肉汁の中をすくい出すのに使われる。

 

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1.4 誇りと地位を象徴する馬と鷹

 

伝統的な鷹狩りはいまでも価値があり非常に重んじられている。卓抜した狩人として鷹は世界的な名声をアラビア馬と同様に得ており、それが持ち主の誇りと楽しみでもある。実用よりも喜びと美しさを高める事で鷹とアラビア馬は評価され、誇りとされている

 

鷹はジャナドリア祭りで撮影、馬はhttp://www.al-moussami.com/

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1.5 ナジランの踊り

 

この地方は誕生、割礼、婚礼および宗教行事等を祝う多くの祭りに特徴がある。これらのお祝いには通常、ナジランの民俗舞踊や歌が含まれている。

 

この地方の踊りと歌に対する愛着は民謡、伝承物語、諺やベドウインの叙情詩を含む口述文学に対する愛着に匹敵している。物語の多くがボウジド ヒラリ(Bouzid Al Hilali)、セイフ イブヌ ヤザン(Seif Ibnu The Yazan)、アンタラ イブン シャッダド(Antara Ibn Shaddad)等の伝説的な人物に焦点が当てられている。ナジラン地方では「かつて全ての住民は古代都市オクデュード(Al Okhdood)に住んでいた」と信じられている。

 

語り部のコンテストでは古代の詩、物語および諺が紅茶やコーヒーを飲みながら暗唱される。この様なコンテストは年老いたシェイク(Sheikh)に支配されてはいるが、高潔で活気のある過去は現在でも若い世代によって生き生きと保たれている。
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1.5.1 馬の踊り

 

もし、子供達が彼等の家の前か、ナツメ椰子の下で歌ったり踊ったりしながら互いに手をつないでいるのが見えたならば、子供達は戦争の踊りを演じている。この踊りはナジランの生活の今ののどかさからは想像するのは難しいけれども、侵略の多発していた激しい昔を反映している。
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1.5.2 ラズファ踊り(the Razfa dance)

 

ラズファ踊りはもう一つのナジランの踊りで、特に宗教的な祭りや結婚式等の一番頻繁に演じられている。これは結婚式、又は幸福な式典に使われ、合唱団が列に加わり、詩と自分達の国の栄光を歌い、そして普通には彼等は美しい娘と感動を求める。ラズッファ(Al-Razffah)は特別な声で特別な時を得てきた。二つの列の間で二人の男が向かい合い、短剣(錐状)(stilettos)又は杖を手に持ち、特別の動きの踊りを舞った。
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1.5.3 ザメル踊り(the Zamel Dance)

 

その騒ぎと色が印象深い伝統的な行列踊りである。この踊りは数千の踊り手によって演じられるもっとも重要な社会的行事である。男達は異なる数百の踊列の後ろに勢揃いする。全てのナジラン踊りのなかで歌や動きが最も見事である。踊り手は二列に勢揃いし、一つの列はドラム(Drums)を抱え、もう一つの列はタンバリンを持つ。そのリズムは強く、激しく、一番早い音楽も許容する。宗教的祭りの間、ナジランの人々は式典を始める為に町の一つの端にある四角い広場に集まる。断食期間であるラマダン月が終わった後のエイド フィトル(Eid Al Fitr)の祭りは3日間続くのに対し、巡礼月明けのエイド イドハア(Eid Al Idhaa)の為の祭りは10日間続く。この踊りで歌われるザメル(Al Zamel)特別な式典に言及した熱狂的な種類の詩である。その式典の中で多くの男達が中年で一緒に分かち合い、老人になる。ザミル(Al-Zamil)の連(stanzas)はこの式典の主題を注意深く表現する為に選ばれる。
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1.5.4 太鼓のゲーム(Drums Games)(マラファア(Al-Marafa'a)

 

これはナジランの人々に好まれた踊りである。二列が向かい合い、第一列の男達が太鼓を、そして反対側の男達が小さな軽い太鼓を持ち、詩の連(stanza)を繰り返しながら声を違える。その真ん中で若い男が踊る。
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1.6 調理法(Popular Dishes)

 

「昔の食物は主として小麦で作られて居り、それにアル ブッリ(al-Burri)と呼ばれる動物の脂肪や蜂蜜を加えて居た。この三要素から出来た食物が毎食の決められた変わることの無い部分であった」とアシール地方の食事の紹介でアル ジャウハラ ムハッマド アル アンガリ (Al-Jawharah Muhammad al-‘Anqari)は述べている。それにナツメ椰子や肉料理が加わるのはナジランでも同様であったと思われる。ナジランの特産料理と云われる調理法の中から幾つかの典型的な料理を下記に記述する。
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1.6.1 バール(Al-Burr)

 

朝食で、小麦で作られたパンと小麦粉を混ぜて、丸いボール状の形に整え、穴を1つ開けて、そこにバター脂肪を入れ、ミルクか蜂蜜かデイツ果汁をかける。
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1.6.2 ワフェドおよびマルグ(Al-Wafed and Al-Marg)

 

ワフディシュ(Al-Wafdish)は小麦から作られ、丸く仕上げられた厚いパンであり、そしてマルグ106(Al-Marg)を添え、バスケット(Al-Motrah)に入れて供される。
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1.6.3 マアソオバ(Al-Ma'asooba)

 

パンの1種であり、潰されたトウモロコシで作られ、それを柔らかくする為に幾らかのマラグ107(Marag)が加えられ、そしてこの料理は通常は特別な祝い事に供される。
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1.6.4 ルクシュ(Al-Ruksh)

 

柔らかい種類のパンであり、薄切り出来る形を要求され、石で作られたポットに入れられて供され、その後は肉汁(a meat soup)と混ぜられ、それから調理された肉がこの種のパンに載せられる。(このパンはスープと混ぜられている。)
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1.6.5 マルゴオグ(Al-Margoog)

 

小さな薄切りの形に切り分けられた生地(dough)で構成され、予めスープと野菜を添えて調理されている。
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2. ナジランの伝統工芸 (Traditional Ornaments and Utensils)

 

伝統工芸や慣習の活力にあふれる表現はこの地方の地域社会の全てに見られる。これらの伝統はナジランの人々に典型的である本質的な人間性や美しさへの愛に表現されている。現在でもナジランに民俗市があり、この市では民俗工芸や旧い手工芸も見られ、本当に現在と昔が混在した美しい芸術的傑作を代表している。

 

これらの民俗芸術は建築、装飾品、衣料や家庭用品等、祭り、踊りや音楽等それに口述伝承の広くてほれぼれするような多様性のある表現に見出される。ナジランの木、石や粘土の加工はこの地域の工芸品の中でも最も精巧な民芸と考えられている。

 

なお、ナジランの工芸品の詳細については別途「ナジランの伝統工芸」をご参照戴きたい。
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2.1 ナジランの装飾品

 

ナジランの装飾品は金や銀で作られ、一つ一つが異なった独特の形をしていた。バラや葉の曲がりや輪郭が飾りとして丹念な彫金で装飾品の基本的模様が施されている。ナジランは金の装飾品よりも美しく仕上げられた本物の銀の装飾品作りで有名でもある。昔は家族の蓄財の一種と考えられ、持参金として持っていた女性が死ぬと装飾品は溶かされた。伝説によれば新妻は他の女性の装飾品を身に着ける事は出来なかった。それらの中で円筒形胸飾りのヒルズ(hirz)は全ての首飾りに含まれる護符のケースである。これは聖なるコーラン(Qur'anKoran)の一節を入れる為のスペースであった。現在でもマダムスークでは古いベドウインの銀細工を売っている。

 

このナジラン製の頭飾りはサイドピースに付けられた伝統的な銀の留め金具の機能を生かすために分かれたファスナーを使用している。これは布の上に取り付けられており、他の地方ではメッタに無い特徴である。

 

   目覚ましい首飾りはイエメンの芸術性の古典的な構成要素の多くを組み合わせているが、ナジラン製の物は元々の部品をつなぎ直した物である。大きな円形のペンダントは明らかに追加で、ぞんざいに付けられている。しかしながら、この部品はおそらくリヤド スークのベドウイン女性仲買人である組み立てた人の美的感覚を反映している。

 

 

 

   宝石金細工人が顕れる以前には銀細工は繁栄した工芸であった。もし、この地方の男達が未だに伝統的な武器やダガー(daggers)や銀製品(silver industries)を身に着けていなければ銀細工についてはほとんどあきらかに成らなかった。昔はこれらの装飾品は女性用装身具から作られた。
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2.2 三日月型の短刀

 

この地方の職人は信じがたい程の才能のある芸術家でもある。ジャンビイヤ(janbiyya)或いはジャンバイア(Janbayah)と呼ばれる短い三日月型の短刀(dagger)は骨と銀で出来た精緻な柄を備え、今日でも殆どの男が身に着けている。かつては身を守るための武器であったが、今では大きな価値のある装飾品になってきた。ジャンビイヤ(janbiyya)の値段は2万サウジ リヤル以上なり、男の尊厳の象徴と考えられている。

 

   現在でもナジランの住人はダガー(Daggers)を男の武器で象徴の一種と考えている。男達は訪問者、兄弟や集団を自分のダガーを腰に着けずに迎える事は出来なかった。もし、そうしなければ、その男の社会的な地位は下がってしまうだろう。もし、或る集団が自分の集団と家族を襲い、自分のダッガーが取られるとそれは男としての恥であり、それを取り戻さなければ成らなかった。

 

現在ではダガーは実際に使われる事は無く、大きな催し物の時に装飾用に使われるに過ぎなし、政府も公式の許可無しでダガーを身に帯びる事を認めていない。
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2.3 ナツメヤシの葉を編んだバスケット

 

   ナツメヤシの葉を編んだ小さなお椀から蓋付きの大きなパン入れ籠まで色鮮やかなで様々な大きさのバスケット(Motrah)やマットはナジランの伝統的工芸でスーク(souq)(open market)では良く知られている。女性によって作られているこれらのバクケット類は未だにスークには豊富に出回っており、家族や旅行者が好んで買う傾向がある。

 

 

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2.4 皮工芸品(leather industries)

 

山羊の革袋で作った水冷やし器もスークで見つけられる伝統的な工芸である。その他の伝統的な皮工芸品には財布、コーヒーや小麦粉の貯蔵袋、子供用移動ベッド等が含まれている。皮加工(leather industries)にはマイザブ(Al-Maizab)の様に未だに良く使われているものもある。マイザブ(Al-Maizab)は赤ん坊が寝た時に母親が肩で背負える美しい移動ベッドである。

 

 

今日でも女性が好むのでもっとも高価な皮加工の1つであると考えられている。

 

メスバト(Al-Mesbat)(指導者のバンド(lead men belt)

 

ザンマラ(Al-Zammalah): これは台所用品(utensils)と食糧を保存するのに使われる。装飾として2つの高いハンドルを持つ箱の1種である。

 

マサブ(Al-Masab): マサブは旅するときに使う物を収容する。

 

ラハト(Al-Rahat): ラハトはベッドカバーや敷布の一種である。

 

イスム(Al-Ism): イスムは食糧や粉を入れる革袋である。英語にはAl-Ossmとも転写されている。

 

ファルディ(Al-Fardi): ファルディは敷布の一種である。

 

カティフ(Al-Katf): カティフはコーヒーを入れる容器である。英語にはAl-Qitfとも転写されている。
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2.5 敷物、衣服等

 

ナジラン製の敷物や衣服も良く知られており、西洋の蒐集家にむさぼる様に買われている。織り手も自分達の商品を陳列している。又、昔は裁縫(sewing)や羊毛加工(woolen industries)の製品で有名であった。これらの製品を所有しているのは今では財産の一種である。
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2.6 陶磁器

 

   この分類には陶器製作と石のポット(pottery industry and rocky pots)が含まれ、陶工は自分達の商品を市に陳列している。
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2.7. 溶接(welding)

 

   溶接は昔の重要な工芸の1つであり、ナジランの住民の間で未だに良く使われる技能である。但し、溶接に変わる近代的代替え技術の出現で以前程には使われなくなった。
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2.8. 大工仕事(carpentry)

 

セデル201(Seder)とアティルトレス202(athil tress)の材木は乾燥され、扉、窓や木製のポットを作るのに使われる。
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2.9 家庭・台所用品(Utensils)

 

住居や建物が色鮮やかで眺めて気持ちが良いばかりでは無く、すべての台所用品(utensil)と陶磁器(crockery)が魅力的で丹念に作られている。ナジランの刺繍、銀細工、籠、毛布、絨毯、道具類を含む特徴のある家庭用品は古代工芸技術の巧みさの実証であり、その技術は今日まで何世紀に渉って受け継がれて来た。

 

メトラ(Al-Metrah) パンやデイツを様々な方法で盛る皿で様々な形をしている。英語へはMotrahとも転写される多目的バスケットである。

 

ダルジャ(Al-Darjah) メトラ(Al-Metrah)の様に見えるが頭で荷物を運ぶのに使われ、普通は女性が使用する。英語にはAl-Darajaとも転写されている。

 

メハジャン(Al-Mehjan) 英語へはAl-Mihjanとも転写される円い形の食事用マットである。

 

マクニサ(Al-Maknisa) 掃除に使う椰子の葉で作った箒である。

 

ガタヤ(Al-Gataya) マダヘン(Al-Madahen)と呼ばれる石製のポットを覆う飾りのある円い布片である。なお、石製のポットはAl-Middhanとも転写される。

 

ボルマ(Al-Borma) 肉を料理したり、バターやバター脂肪(ghee)を保存したりするポットである。このポットは英語へはブールマ(Burma)とも転写される。

 

タノオル(Al-Tanoor) パンを焼くための粘土で作ったカマド(oven)である。

 

ゼエル(Al-Zeer) 水を冷やす為の容器である。

 

コオズ(Al-Kooz):洗濯(washing)又は沐浴(ablution)の為の小さな容器である。

 

マドハン(Al-Madhan)およびカダハ(Al-Kadah) 両方共にスープを入れておくと云う同じ目的で使われる。マドハン(Al-Madhan)はバター脂肪(ghee)を塗ったパンを入れておくのにも使われる。マドハンは英語にはAl-Middhanとも転写される石鉢である。マドハン(Al-Madhan)は色が黒く石で作られ、2つの取手を持っているのに対し、カダ(Al-Kadah)は茶色で木製である等、異なっている。カダハ(Al-Kadah)は皮の吊し紐を付けた1個の取手を持ち、単に飾りとしても吊される。カダハ(Al-Kadah)は木鉢(Qadaha)とも転写される。
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3. 建築 (Architecture)

 

3.1世界で最も美しい建造物の一つ

 

独特な歴史的建築様式を持ち、伝統的な装飾を施された粘土で造られたナジランの家は世界中で最も美しい家の一つと考えられている。この地方の材料を使って作られた住居は環境に調和するように保たれており、しかもアラビア半島の他では見られない構造が採られている。家は軽い黄褐色の粘土で四角く作られ、これらは上階に行くほど狭くなりながら9階にも及んでいる。厚い粘土の壁はこれらの家々を小さな砦の様に強く、丈夫であった。住居の入り口の多くは絵や彫刻で飾られていた。家の頂上は開いていて、光が射し込める様になってはいるが、敵の攻撃を防ぐには十分な程には狭かった。それらの内には300年以上も古い建物が幾つかある。
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3.2 農作物の建材への利用

 

ナジランの豊かな作物を育んできた肥沃な土地はこの地方の胸をつくように高い多層階住居の主要な建築材料でもあった。ナジランの家々や建物は粘土とナツメ椰子と麦藁で出来て居る。ナツメ椰子の幹は伝統的なナジランの家屋の梁につかわれる。ナツメ椰子の枝は麦藁と共に粘土と混ぜて丈夫な壁を作るのに利用されたり、編み合わせてフェンスや折り畳み式の仕切りが住居に使われたりした。時には逆さ釘の植えられた外壁で守られた7層から9層のこれらの要塞は狭い扉と高く取り付けられた窓を持ち、容易に防衛できた。これらの構造を作る厚い壁は信じられないほどの涼しさを作り出し、応接室の落ち着きはステインドグラスから散乱する光で一層魅力的であった。
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3.3 ナジランの伝統家屋

 

色鮮やかで眺めて気持ちが良いナジランの家は特殊な粘土で出来ている。この粘土はこの地域の独特で、藁を混ぜる事でこの厳しい気候に耐える堅牢な構造の日干し煉瓦の壁を造っている。天井は椰子の葉の芯で造り、葉を取り除き、粘土で被ってあり、木製の梁の上に置かれている。この技術が暑い夏の日には涼しい環境、冬には暖かさを作り出す。

 

 

屋根の端を飾る白く縁取られた狭間(crenellation)はこの地方の至る所で特徴のある形をしている。屋根その物は平であり、そしてナジラン住人の生活の景観は暑く、埃っぽい通りの遙か上でそよ風を楽しみながら平な屋根の上にひいた敷物の上でコーヒーを淹れている。全ての食事は屋上で摂られ、そしてお客は伝統的な羊肉と御飯だけでは無く、アリカ301(arikah)として知られる南西部独特の料理を供される。

 

 

この地方の特徴のある家屋建築のもう一つの特徴は輝く色ガラスをちりばめた半円の窓であり、この窓は通常の窓の上に設けられる。本当に色のデザインはナジランの生活の重要な部分である。

 

         粘土壁の家屋            石積みの家屋

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3.4
トルキー マディ宮殿(Prince Turki Al Madi Palace)

 

   この宮殿は伝統的なアラビア芸術の非常に色彩豊かな例であり、もっとも美しく彫刻された窓や扉を備えて居り、この地方の建築の優れた例である。主塔は5階建ての高さで岩の露頭の頂から眺めるとナジラン オアシスを威圧している。但し、その中の井戸は「イスラム以前から今日まで使われている」と言われている。

 

 

この宮殿は約53年前の1941年(ヒジュラ暦(Hijrah1361年)にナジランのプリンスであったトルキー ビン モハンメド マディ(Turki Bin Mohammed Al-Madhi)が完全に自立した城(citadel)として計画し、建設を開始、アブドル アジズ国王(King Abdul Aziz)の治世のヒジュラ暦(hijrah)1363年に完成した。

 

 

アブ セオウド(Abu Seoud)の古い町の中心にあるこの宮殿は涸れ谷ナジランを代表するもっとも卓越した素晴らしい建造物で、面積は約625m25階建ての四つの円形主塔を持っている。この主塔は白い狭間模様(crenellation)の円筒の塔で、この塔は複雑に彫刻され、伝統的なアラビア芸術の色付き例である窓や扉を含むこの地方の特徴のある装飾的な形をしている。各塔は防御の為の高い境界壁の角に位置している。トルキー マディ侯(Prince Turkey Al-Madi)はこの宮殿の計画に当たっては宮殿全体に赤を使うのを認めた。岩山の頂上からこのオアシスを眺めるとこの宮殿が如何に卓越しているのが良く分かる。 

 

この宮殿には政庁とその設備、倉庫、プリンスとその家族の住まいを含む60室があり、塔で守られた高い塀で囲まれていた。この四隅の塔がこの建物を更に美しくしている。この宮殿の君主は皆、追加の造作を加えた。宮殿には60の部屋があり、4部屋は飽きることの無い交際に使われ、6部屋は武器庫であった。モスクの建物と1部屋がイマム(Imam)用であり、5部屋が裁判所であった。侯国の為の事務所、城主の食堂、売店、倉庫そして君主とその家族の居住用が17部屋で食糧庫が6部屋で畜牛の為の部屋が4つで君主の親戚の為の部屋が12であった。

 

宮殿の中庭には井戸があり、宮殿とその住人に水を供給していた。井戸の下部には熱した赤粘土が使われている為に、この水は清澄である。この井戸は非常に古く、イスラム以前に遡る。これは焼いた日干し煉瓦で作られた塔によって検証される。井戸はイスラム以前に掘削されたが、その埋没と時間経過の為に、その上部は破壊され、宮殿の修復時に石を使って再建、修復された。

 

 

イエメンとの関係が修復した1967年(ヒジュラ歴1387年)にエンマラ(Emmarah)の機能がファイサライヤに移転された後、この宮殿は空き家になり、16年間、使われずに古ぼける儘に放置されていた。

 

考古学博物館庁がヒジュラ歴1402年にこれを元の状態に復旧し、博物館としての再建を決めた。この為、この宮殿の建設に携わったコントラクターの一人を修復の指導を受けるためのインストラクターとして招聘した。ヒジュラ歴1406217日に修復の作業が始まった。これには建物の修復に4人のインストラクター、伝統的な大工仕事に2人のインストラクターそして15人の熟練工が粘土を使っての建設作業に加わった。この修復作業はヒジュラ歴1407年シャワル(Shawal)月に完成した。この総括的な修復作業には115万サウジリアルの費用が掛かった。この宮殿には近代的な照明、水洗便所および汚水の排水溝が追加された。

 

この博物館では涸れ谷、沙漠、考古学的発見、地方工芸・道具および前世紀初頭にこの地方を撮影した歴史的写真を展示している。多彩で伝統的な市場(souq)に隣接しているので訪れる内外の観光客は少なくない。
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3.5 アアン宮殿 (the Al-Aan Palace)

 

   アアン宮殿(Al-Aan Palace)の名はそれが在る村の名に因んでつけられている。その古い名はサアダン宮殿(Saadan Palace)である。この宮殿はナジラン地方の最も古い、有名な粘土の館であり、山の頂に大きく建っている。この宮殿の美しさと荘厳さの象徴として保存する為に、最近、修復されては居るが、個人の所有である為に、内部は公開されてはいない。

 

粘土で建てられたこの様な建物の幾つかは300年以上も継続的に住み続けられて来て居り、この様な建物が故にナジラン地方は有名である。しかしながら、無形で歴史的な価値にもかかわらず、この様な建物は消滅し始めている。

 

 

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3.6
多様な都市開発とナジラン特有の新しい建築様式

 

カリディア(Khalidia)、ファイサリイヤ(Al Faysali)、アブ セオウド(Abu Seoud)や小さな村々を取り巻く、市当局は大規模で多様な都市開発事業を行っている。多くの住宅が新しい建材で建設されてきた。これらの住宅は伝統を守った様式を維持している。この結果がナジランでしか見られない新しい建築様式となった。その一方で、アシール地方同様に、ナジラン独特の古い建物は廃墟化が進み、維持されていてもサイデリアの様な軽量鉄板で粘土製の建物が暫定補修されている姿が痛々しい。
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後書き(Postscript)

 

   ナジランの最初に訪れたのは1988年の元日であり、警備が厳しく検問所の多いアブハ(Abha)からの山岳道路をはるばるやって来て、ナツメ椰子の緑の果樹園と泥作りの高層住宅の美しい対比を眺め、首長の城(トルキー マディ宮殿)とその周りの市(suq)も訪れている。このスークはその後、19979月、200012月、200212月、20033月とあわせて5回訪れている程、私には興味深かった。ここはサウジアラビア中でも伝統工芸品をもっとも普通に売っているスークである。特にマダムスークと呼ばれるベドウインのおばさん達が店主である一角では籠類、革製品、銀細工等、ナジラン独特の工芸品が多かった。ここで買った革の水袋は車の脇に吊して置くだけで50℃を越える真夏でも冷たい水を与えてくれるので、重宝していた。又、近くにあるダガーと呼ばれる短剣を主として、長剣や銃器のケースを制作販売しているスークもその都度、新しい発見が出来た。

 

   1988年当時には出稼ぎの外国人労働者を宿泊させる屋根と土間ばかりの貧しい宿しか無く、長い道のりをアブハへ戻らなければ成らなかった。19979月に訪れた時はホリデイイン(Holiday-Inn)が半分はアミール(Amir)がナジラン知事の公邸として使っていたが、営業しており、沙漠でのオアシスの様に感じた。その後もナジランのホリデイインとは馴染みとなり、快適な宿泊を求めて来る度に利用していた。その上、この地方の町や村にある食堂も出稼ぎ外国人従業員で運営されており、普通に旅行している限りは伝統に接する事は無かった。この為に私の伝統との関わりの殆どは博物館以外ではマダムスークや刀剣スーク等を含む首長の城(トルキー マディ宮殿)周辺の市(suq)でのショッピングであった。

 

   伝統工芸についてはファラフ シバン氏(Falah Shiban)が「ナジランの遺物と歴史(Najran Archaeology and History)1994年出版しており、その抄訳を別途、ナジランの伝統工芸としてまとめたのでご参照戴きたい。
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出所と参照(Source and Reference)

 

時間を超越した古代都市ナジラン(サウジ大使館説明)

http://saudiembassy.net/Publications/MagFall99/Najran.htm

 

History of Najran

  Hosted Tripod(http://fromwaset.tripod.com/ne.htm)

National Information Center, Republic of Yemen(http://www.yemen-nic.net/)

  http://www.najran.cc/njr/modules.php?name=News&file=article&sid=30

 

Caravan-Serai

(http://www.caravan-serai.com/countries/saudiarabia/hb-places.html

 

Heritage and nature in the South of Saudi Arabia

(http://skyscrapercity.com/showthread.php?t=17346)

1994年に

ベドウインの装飾

(http://www.saudiexperience.com/Phot os6.html)

 

ナジランの遺物と歴史(Najran Archaeology and History)

ファラフ シバン氏(Falah Shiban)1994

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原注(Explanatory Note)

 

001アル ミッザン(Al-Middhan) この台所用品は仕上げられた石で作られ、外側にハンドルと呼ばれる付属物が付けられている。これは特にラガシュ(Raqash)と呼ばれる肉スープを混ぜた食物を入れるのに使われる。ラカシュはナジランでは人気のある食事である。アル ミッザンは中の食物を出来るだけ長い間、暖かく保つのに使われる台所用品である。ラカシュはアルミッザンと共にピラミッドの様な形の蓋をかけられる。これでこの人気のある食物は何時でも何処へでも運んで行ける。1, 2007

 

101 マブカラ(mabkharat) 仏語でEncensoirであり、吊り香炉とマンネンロウ(rosemary)の意味がある(University of Balamand Mise à jour Feb 1, 2007)。吊り香炉には古代では乳香が使われたので乳香との解釈も有り得る。マンネンロウ(rosemary)であれば常緑低木のシソ科の薬用植物で、全体に良い香りがあり,枝や葉を香料に用いる新鮮で甘い芳香とほろ苦さがある針状の代表的なハーブである。学名はRosmarinus officinalis和名はマンネンロウであり、ロスマリンの別名を持ち、花期は春~夏である。

 

http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/rosemary.html

 

102バウクホッル(boukhorr) アラビア語の英語転写boukhor又はbakhourは仏語でEncensであり、香とマンネンロウ(rosemary)の意味がある(University of Balamand Mise à jour Feb 1, 2007)。マブカラ(mabkharat)に近い香料と思われる。

 

103没薬(myrrh) 没薬はミルラ(myrrh)とも言い、アフリカ東北部、アラビア南部産カンラン科(Burseraceae) コミイフォラ属の没薬樹 (Commiphora myrrha) の樹脂である。ギリシア神話に出てくる、自分が亡くなった母に似ているが故に父に愛され、子まで身ごもってしまった哀しい王女ミルラが姿を変えた樹とも言われており、そのときできた子がビーナスと恋に陥るアドニースであると言われている。その歴史は古く、紀元前2000年頃のエジプトのパピルスにも書かれて居り、香料、化粧、薫香として使われる他に、ミイラ作りに用いられたのでミルラはミイラにも通じる。

 

104カルダモン (cardamon) カルダモンはショウガ科の多年草で日本名はショウズクと言う。学名はAmomum cardamonであり、多年草で23mに達し、実は1.5cm程度の長楕円形をしており、種子が1220個入っている。外皮(緑色の部分)にはほとんど香味がなく、中の種子の香りが強く、樟脳に似た芳香で、刺激性のある快い味に特徴がある。強い芳香は医療品として矯臭剤や口腔清涼剤等にも使われる。サウジアラビアではどこの家庭、迎賓館、レストラン、水タバコ喫茶屋(シシャー)でも常備している。

 

 

105クローブ(clove) クローブSyzygium aramaticumsyn. Eugenia aromatica、英:Clove)は、フトモモ科の植物。またその開花前の花蕾を乾燥させた香辛料の名である。モルッカ群島が原産地で、日本では丁子(ちょうじ)、丁香(ちょうこう)とも呼ばれる。肉料理によく使われるが、他の香辛料とブレンドして使用することが多い。生薬としての花蕾を丁子(ちょうじ)または丁香(ちょうこう)ということもあり、芳香健胃剤である。

提供:ウィキペディア(Wikipedia

 

106 マルグ(Al-Marg) アラビア語でマーガリン(Margarin)の転写は英語読みのままなのでここでは人造バターを指すと考えるのが妥当だと思うが、アシールでパンに添えるのが蜂蜜、或いは脂肪なので「マルグ(Al-Marg)はアシールではアル ブッリ(al-Burri)と呼ばれる脂肪である」と思う。

 

107 マラグ (Marag) Maragは血を意味するらしく、スコットランドのゲール族(Gaelic)の血のプディングとやはりスコットランド料理で羊や子牛の臓物を刻み、血、オートミール、香辛料と一緒に胃袋につめて煮たハギス(Haggis)がある。これとは別にアラビアから印度に伝わったと云う香辛料の効いたカレー或いはシチューがあり、トマトベースで様々な野菜が入っている。サウジアラビアではトマトが日本の醤油や味噌の様に調理のダシとして使われ、トマトベースのスープ一般的であるので、「ここでトウモロコシのパンに加えられたのはトマトベースのシチューである」と思う。

 

201セデル(Seder) セデルはシドル(Sidr tree)英語転写の一つと思われる。シドル(Sidr tree)は他にナブク樹(Nabk Tress)Lote tree,Christ's ThornJujube とも呼ばれ、学名はZiziphus spina-christiである。詳しくは「その1 ナジラン州の紹介」の原注106を参照戴きたい。

 

202アティルトレス(athil tress) アティルトレスはアティル タマリスク(Athel tamarisk) (Tamarix aphylla) で日本名はギョリュウである。タマリスクの最大種がTamarix aphyllaすなはちAthel tamariskであり、常緑樹で樹高は15mに達する。耐乾性に優れ、雨が降らなくなっても樹木の中で一番、最後まで生き残る。さらに耐塩性が強く塩分濃度15,000 ppmまで許容でき、耐アルカリ性でもある。枝は比較的細く葉は灰緑色をしている。花はピンクか白である。沙漠地帯の貴重な緑であると共に、ナツメ椰子園の防砂林として使われてきた。幹は建物や家具等の主要な建材ともなる。

 

301アリカ(arikah) 軽く焼いたパン生地(dough)を丸いお盆の上に広げて、たっぷりと茶色の蜂蜜を塗る。

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