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マッカ・ムカッラマ(メッカ州)
(サウジアラビア王国西部地方) その1 悠久な東西交易の中継港ジェッタ (1-4大航海時代とジェッダ)
5. 大航海時代に使われた帆船 |
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目次 5.2.1 バイリーム ガレー船(bireme galley) 5.3.1 キャラック船(carrack)とナオ船(nao)
大航海時代に使われた帆船は姿が美しく、浪漫を感じさせられるが、その種類は多く、全てを網羅するのは難しい。その上に呼称や定義も様々であるので、ここでは1970年にルイーズ E. スウィート(Louise E. Sweet)が編集した「中東の人々と文化(People and Cultures of the Niddle East)」でのアラブ船の分類を参照しながら私なりに理解した範囲でガレー船および西洋式帆船についても分類して参考資料として掲載した。
5.1 アラブ船(Arab Ship) アラブ船(Arab Ship)にはバッガラ(Baggalah)、ブーム(Boom)、サンブーク(Sambuk)およびザルク(Zaruk)の主要な4つの型があり、インド洋(the Indian Ocean)と紅海海域を航行していた。
5.1.1 バッガラ(Baggalah) バッガラはアラブ帆船(Arab sailing ships)では最大であり、昔はインド、ペルシャ、アラビアおよびインド洋岸のアフリカの間の交易に使われた。紅海では最北はジッダまで訪れていた。バッガラは現在でも消滅はしていないにせよ、極端に数が減っており、ずうっと造船しやすい船で殆ど同じ量の貨物を運べる能力あるブーム(Boom)に取って代わられている。バッガラはチーク材で作られていた。チーク材は造船所で使われるもっとも補強され、もっとも耐久性のある材木であった。 バッガラは堂々とした船尾梁(transom sterns)に特徴があった。バッガラの船尾梁は美しい曲線を持ち、時には金箔を被せており、ポルトガルが侵略してきた15、16世紀からインド洋で見られた欧州帆船(the European sailing ships)の影響を示していた。 バッガラの丸い水切り(cutwater)は微妙に張り出した船首材(stem)に合体している。船首材の先端も舳先に突きだした中世風のガレー船(galley)の衝角に似て曲がっている。バッガラの四角い船尾(the square stern)は直角な左舷(square ports)の重なりで切られた突き出した船尾突出部(counter)を持ち、そしてガレー船(galley)の宿舎に似た突出物でそれぞれの宿舎が設備されている。通常は一隻のボートを横ざまに船尾(stern)に吊している。バッガラは船首部(fore)と船尾部(aft)に甲板を張られ、通常は3ヶ所の昇降口を備えている。
バッガラ(Baggalah)はBaggala、Baggalh、Baghla等とも呼ばれ、2、3本のマストに大三角帆(lateen sail)を縦に張っている。大三角帆はアラブ船で唯一見られる艤装(rig)である。大三角帆は三角形で、補強され、接合された幾つかの長さの帆布で作られ、上に向かって細くなっている。帆は長い帆桁(spar)に紐を通され、前方に傾斜している帆柱(mast)に斜めに揚げられている。全長は15mから55mで、船幅は4mから15mであり、80トンから300トンの貨物と20人から50人の乗員を運べ、なかには積載量数百トンにもなる外航船もあるアラブ最大の帆船である。 5.1.2 ブーム(Boom) 船首尾同形の貨物船で通常、全長は12mから24mである。バッガラ(Baggalah)と同じ様に艤装されており、唯一の違いは船体の形である。円形の手すりを持つ船尾(stern)は尖り、船首(bow)は長く突きだし、恐らく男根崇拝(phallic)起源の象徴的に丸く切られた船首材で終わり、それがこの型の船の顕著な特徴に成っている。
ブーム(Boom)は通常は全体に適当な昇降口を持った甲板が張られている。船尾楼(poop)は少し上がっている。とがった船尾(stern)は航行中の帆桁(boom)をより安全にしている。乗員は15名から40名と様々で、積載量は通常は100トンを越えないが、約200トンの積載量を持つブームも存在する。アラビア海(Arabian Sea)の交易運搬や港湾の艀(lighter)として使われる。 サンボウク(Sambouk)とも呼ばれ、インド西部からアラビア沿岸にみられるダウ(dhow)に似た小帆船。船形や艤装は船首や船首材に装飾や上部構造 (superstructure) を持たない事を除けば小型のバッガラ(Baggalah)に似ている。サンブークは大きさに応じて15名から20名の乗員(crew)と15トンから60トンの貨物を運ぶ。又、サンブークはかつて真珠採り用の船として盛んに使われていた。
5.1.4 ザルク(Zaruk) 1本帆柱(mast)で櫂と帆で推進する全長5mから7mで船首尾同形のボート(boat)である。ザルク(Zaruk)は沿岸の真珠採りを含む漁業に使われ、7、8名の乗員を運ぶ。 5.1.5 その他のアラブ船 a. サイ(say) スイスの探検家(1784 - 1817)で英国アフリカ協会に雇われてエジプトを探検し、古代都市ペトラ(Petra)を発見、イスラム教徒に変装してメッカ(Mecca)やメディナ(Medina)を歴訪したジョン ルイス ブルクハルト(John Lewis Burckhardt or Johann Ludwig Burckhardt)はその著書「アラビア・ヒジャーズ地方の旅(Travels in of Arabia)」の中でジッダ(Djidda)の港について「海から町に入るのは2つの埠頭が使われており、そこでは小舟が岸から2マイル離れた錨地(roadstead)に停泊した大きな船の積み荷を降ろしていた。但し、サイ(say)と呼ばれる紅海を航行するもっとも小さな船だけが岸近くまで接近出来た。埠頭は日没頃に毎晩閉鎖され、この為に夜間は町と船との全ての交通は止められた。」と述べている。 (http://ebooks.adelaide.edu.au/b/burckhardt/john_lewis/arabia/) b. ジェルバ(jelba or jalbut) ジェルバは7mから10mの長さの小さな客船で、通常は半甲板で1本マストである。どこか少し混成の大きな物は全甲板で2枚の大三角帆を上げている。古典的なジェルバは四角い横梁の船尾(square transom sterns)と垂直の船首(verical bows)をしている。これらは舵と舵柄(だへい)で操作され、帆と櫂で推進した。乗組員は4から6名である。ジェルバは古くからスエズ(Suez)の紅海の港、トール(Tor)、コッセイール(Kosseir)、スワイキン(Suwakin)、マッサワ(Massawa)、モカ(Moka)、イエンボ(Yembo)およびジッダ(Jiddah)の間で巡礼を往復輸送する為に使われていた。 1183年に巡礼を行ったイブン ジュバイル(Ibn Jubayr)は「ジェルバ(jelba)は木製舟なので、その舟の外側の平板は端と端をコイア ファイバー(coir fibre))(ココナツの繊維)で作られたより糸で縫い合わされ、ヤツメ椰子の裂片で詰めて水漏れを防ぎ、海狸(castor)(ビーバー)あるいはサメの油が塗ってある」と記述している。同時に、安全基準を遙かに越えて巡礼達を詰め込むジェルバの船主達の貪欲さをジュバイルは酷評している。
c. ダウ船(dhow) 1本マストに大三角帆をつけたアラブ人の沿岸貿易帆船ダウ船(dhow)であるが、一般的にはアラブ船を総称する固有名詞としても使われている。
d. タフォレア船(taforeas) アジア(アラビア)の船で、1509年のディウの海戦(Battle of Diu)でポルトガル艦隊(Portuguese ships)に大小5隻のタフォレア船(taforeas)が使われた。(wikipedia) e. メリウム(the Merium) エジプトのスルタン所属の1艘の大型船で、1502年10月1日にインドの領海でヴァスコ ダ ガマ(Vasco da Gama)が捕獲し、乗組員に残虐な行為を行った。 5.2. ガレー船の系列 5.2.1 バイリーム ガレー船(bireme galley) 古代ギリシャ・ローマ時代の奴隷や囚人にこがせた2段オール(bireme)のガレー船(galley)で帆も装備しており、海戦用にも使われた。 5.2.2 トライリーム(trireme galley) 古代ギリシャ・ローマ時代の三段オールのガレー船 (trireme galley)。 5.2.3 フスタ船(fusta) 船体が長く平底で帆とオールで推進する。 5.3 西洋式帆船 5.3.1 キャラック船(carrack)とナオ船(nao)
キャラック船(Carrack)は15世紀にポルトガル(Portuguese)によって地中海で開発された最初の遠洋航海用の帆船(the
first proper ocean going ship)である。3から4本のマストを備え、複層式の船尾楼(aftcastle)、船首楼(forecastle)を有し、高く丸みを帯びた船尾(stern)と船首(stem)に突き出した帆柱状のやりだし(bowsprit)を持っている。前檣(foremast)と主檣(mainmast)に横帆を張り(square-rigged)、後檣(mizzenmast)に大三角帆(縦帆)(lateen-rigged)を張るのが一般的であった。
横帆(large
square sail)は大きな推進力を与え、大三角帆(lateen sail)は風上への航行を可能にした。更に船首と船尾の小さめの帆は操船性を向上させた。これら4種類の帆の組み合わせでキャラック船(Carrack)は大きな順応性を持ち、高度な帆走が可能であった。
キャラック船(Carrack)は全長が30mから60mで全長と全幅の比は3:1とずんぐりして丸みを帯び、排水量は200トン以上で中には1500トンのものもあった。高波(heavy-sea)でも船体の安定を保つだけの巨体を持ち、嵐の間でも帆を縮める事で帆走を続けられた。但し、大きな上部構造を持つキャラック船(Carrack)だと強風下では転覆しがちであった。
キャラック船(Carrack)は外洋(high
sea)での荷物運搬用(beast of burden)に使われ、「完成された運搬船」として長期航海での大量輸送に適した広い船倉を持ち、乗務員、糧食(provision)および積荷の為の空間を提供した。積荷と糧食を運搬する能力は航海途中の港に関係なく、もっとも効率的な航路を選択できる航続力を持っていた。
キャラック船(Carrack)の安定した甲板は大砲の据付を可能にし、効率的な砲台を作れた。東インド諸島(East
Indies)ではしばしば問題であった小舟による攻撃に対して明らかに難攻不落(impregnable)であったし、ポルトガル人(Portuguese)がカリカット(Calicut)君主(Zamorin)(Samoothiri
Raja)の様な不従順な支配者を納得させるのに大いに役立った。
キャラック船(Carrack)は大航海時代を代表する帆船となり、15-16世紀にはポルトガル(Portuguese)とスペイン(Spain)で盛んに建造された。スペイン(Spain)で作られたものはナオ(Nao)と呼ばれる。ナオ(Nao)はポルトガル(Portuguese)のナウ(Nau)で単に船と云う意味であるが、大型で船体中央部に甲板があるものが多い。
(注)コロンブス(Columbus)の乗船したサンタ マリア(Santa Maria)号。
ヴァスコ ダ ガマ(Vasco da Gama)の最初のインド遠征艦隊の旗艦サン ガブリエル号(the São Gabriel)はずんぐりした、四角形の艤装したナオ船(nao)であり、船長28m、船幅9m、深さ4.5mで、178重量トンあり、120トンの船荷が運べた。
(注) キャラック船(Carrack)と云う呼び名
キャラック船(Carrack)と云う呼び名は中世の欧州言語を通じてアラビア語に遡り、ギリシャでは尻尾を刈られた(shorn tail)様に平らな船尾(stern)をしていたので殆ど艀(lighter or
barge)と同じ意味でケルコウロス(kerkourous)と呼ばれていた。ギリシャではキプロス(Cyprus)やイオニア諸島北端の島コルフ(Corfu)付近で見られる軽くて早い商船(merchantman)として使われており、パピルス断片が多数発見されたナイル川西岸のオクシュリュンコス(Oxyrhynchus)の記録にはプトレマイオス王朝のファラオ(Ptolemaic
pharaoh)が所有するナイル川で使われた艀(Nile barge)として何度も記述されている。
古代エジプトの神話ではこの太陽の船(Solar Barque or Solar Barge)から太陽が昇ると考えられていた。ギザのピラミッド(Giza Pyramid)の地下の溝に隠されていたクフ船(Khufu Ship)は全長43.6mでおよそ紀元前2500年前に作られた太陽の船である。この船の他にも異なるファラオ王朝(Pharaonic Dynasties)で作られた太陽の船が発掘されている。
これら両方の使われ方はフェニキア(Phoenician)を通して河艀(river barge)型を象徴するアッカド カラック(Akkadian
kalakku)に遡る。アッカド(Akkadian)の呼び名はシュメール人(Sumerian)の方言に由来すると考えられている。この言葉の現代形はアラビア語とトルコ語の「いかだ(raft)或いは川舟(riverboat)」を意味するケレク(kelex)である。カラック(kalakku)は山羊の皮袋或いは膀胱の浮きを付けた艀(barge)であり、四角ないし長方形の形で15m程度の大きさで、後には竿さしたり、引っ張ったり、漕いだり或いは帆を取り付けたりして、ティグリス川(Tigris)やユーフラテス川(Euphrates)まで川を遡る能力があった。 欧州のキャラック船(Carrack)はこの意匠か、或いはフェニキア艀(Phoenician
lighter)と地中海に普及していたヴァイキング(Viking)のガレー船(Germanic longship or Germanic galley)の意匠との融合の結果だと思われる。 Full-scale replica of a viking snekkar based in Morag, Poland http://en.wikipedia.org/wiki/Longship Phoenician Galley, by Dr. J. Sottas. www.modelshipkit.net/modelshipkit04.php
5.3.2 キャラベル船(carvel)
キャラベル船(Caravel)は13世紀にイスラム教国アンダルシア(Andalucía)が開発したエジプトのナイル川で使われていた帆船を原型としたカリブ船(qarib)をポルトガル人達(Portuguese)が更に改造した帆船で、小型で、操船性能が優れ、縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)を張られた2-3檣(mast)を装備していた。
キャラベル船(Caravel)が備え付けの縦帆(大三角帆)(lateen-sails)で浅海域も素早く操船出来、強風下でも航行でき、さらに横帆(square-Atlantic type sail)を備えたキャラベル船(Caravel)は非常に快速であった。その経済性、速度、機敏さおよび能力でキャラベル船(Caravel)はこの時代のもっとも航行性能の優れた船としての評判を得た。
早期のキャラベル船(Caravel)は通常は排水量50トン、全長20-30mと小型で収容能力は少なかった。その一方、幅と全長の比が1:3.5で、狭い長楕円形構造で、縦帆(大三角帆)(lateen-sails)を備えた2-3本檣(mast)を持ち、非常に速度が早く、操船性能が良かった。
小型で操船性能が優れたキャラベル船(Caravel)は浅い沿岸海域から河川の上流までの調査航行が可能であったので、ポルトガル (Portuguese)とスペイン (Spanish)によって15世紀での長期に渡る探検航海では盛んに使われた。
Caravela Latina / Latin Caravel http://en.wikipedia.org/wiki/Caravel
(注) 西アフリカ沿岸および大西洋を探索していたポルトガルは中世後期の造船の粋を代表しているキャラック船(carrack)やナオ船(Nao)を最初に使った。しかしながら、横帆 (square-rigged)のみで艤装した大型帆船(full rigged large ship)は、未知の海域で沿岸測量に必要な精密さをもって、帆走出来ない事も少なくなかった。この為、探検者達は間も無く、平底の艀(barge)或いは横帆(square-rigged)を張られた1本の檣(mast)と30位の櫂を備え、喫水の浅い50-200トン程度の小型のバリンジャー帆船(Balinger)或いは縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)を張られた2-3檣(mast)を持ち、地中海で使われキャラベル船(Caravel)を好んで使う様になった。
もっと後のキャラベル船(Caravel)は3-4本の檣(mast)を持つ様になり、広く探検や探査に使われる一方、交易にも使われる様になった。交易目的のキャラベル船(Caravel)はやがてに交易に有利な収容能力のあるナオ船(Nao)に取って変わられた。 (注) キャラベル・レドンダ(Caravel Redonda) 15世紀末にはキャラベル船(Caravel)はしばしば、前檣縦帆(三角帆)(foresail)、大檣横帆(mainsail)および後檣縦帆(大三角帆)(lateen mizzen)を持つキャラック船(Carrack)と同じ艤装に改造されることもあったが、高い船首楼(forecastle)や船尾楼(sterncastle)の殆どを持って居なかったのでキャラック船(Carrack)とは異なり、風雨にさらされた。この形式は膨らんだ横檣帆がイベリアの伝統(Iberian
tradition)では「丸まっている(round or
rodonda)」と言われるのでキャラベル・レドンダ(Caravel
Redonda)として知られていた。 この形式の船はコロンブス(Christopher
Columbus)の1492年の有名な探検に使われたピンタ号(Pinta)とニナー号(Niña)であった。コロンブス(Christopher Columbus)艦隊の旗艦サンタ マリア号(Santa Maria)は小さなキャラック船(Carrack)であったが、ピンタ号(Pinta)とニナー号(Niña)は排水量100トンで全長60m、船幅6mの多少大きなキャラベル船(Caravel)であった。
16世紀前半にポルトガル人達(Portuguese)によって作られたキャラベル・レドンダ(Caravel Redonda)と同じ名前の特別仕様の軍艦がブラジル(Brazil)や東インド航路の警備に使われた。キャラベル・レドンダ(Caravel Redonda)は4本檣(mast)であり、横帆を前檣に張り、残りの3本の檣(mast)は縦帆(三角帆)を張っていた。船体はガレオン船(Galleon)の形をしており。戦闘型ガレオン船(Galleon)の原型だったと言う専門家もいる。ポルトガル軍艦(Portuguese Man
O’ War)は18世紀まで使われたこの奇異なキャラベル・レドンダ(Caravel
Redonda)に因んで付けられていた。 5.3.3 ガレオン船(galleon)
ガレオン船(Galleon)は大西洋を航行する為の遠洋航海用にキャラック船(Carrack)から進化し、16-18世紀にかけての2世紀半の間に主としてヨーロッパ諸国で使われた複層甲板(multi-decked)の大型帆船である。その斬新で複雑な原型については国際的な論議があるが、その競合する船型から絶えず学びながら大西洋の荒波に適する要件を追求し、低い船首楼(forecastle)と長くした船体で海上ではこれまでに無く安定性が良く、前方からの風への抵抗が少ない上に喫水が浅いので船速が早く、操船が容易であった。後に出てきた横帆(square-rigged)のみで艤装した帆船(full rigged
ship)を含め、横帆(square-rigged)艤装の典型的な帆船であった。
キャラック船(carrack)との違いは船体が長くて幅が狭いので幅と全長の比が1:4とスリムで、船尾が丸みを帯びず、四角に削がれて、船首楼(forecastle)の下の船首部(bow)から張り出しが前方に突き出していることである。キャラック船(carrack)は通常は大型船で排水量1,000トンを超えるものも少なく無いが、一般的にはガレオン船(Galleon)は500トン以下であった。長い衝角(beak)、縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)を張られる最後尾の檣(mizzenmast)および船長室を持つ船尾に張り出した四角い船尾楼(aftcastle)等がガレオン船(Galleon)の目立った特長であった。
ガレオン船(Galleon)は竜骨(keel)はブナ材(oak)、檣(mast)は松材(pine)そして船体(hull)や甲板(decking)には堅材(hardwood)が使われた。船体(hull)は通常は厚板を重ねずに端を合わせて骨材に固定する方法で滑らかな船体を作り出すキャラベル作り(carvel
built)が適用された。
ガレオン船(Galleon)は最後尾の檣((mizzenmast))(通常は第3檣)だけに縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)が張られ、横帆
(square-rigged)を張られた3-5本の檣(mast)を持ち、完全に帆だけで推進力を得ていた。大型のガレオン船(Galleon)では通常、大きな縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)を張られたボナベンチャー(bonaventure
mizzen)と呼ばれる第四檣(mast)が付け加えられた。ガレオン船(Galleon)が17世紀から19世紀中頃の戦列艦(非装甲の50門以上の大砲を搭載した3本檣(mast)の帆船)(the ship of
the line)に進化する過程で長いまっすぐな衝角(beak)が曲がり、短くなり、もっと上を向いて来たし、船首三角帆(jib)が付け加えられ、最終的には最後尾の檣(mizzenmast)には縦帆(大三角帆)(lateen-rigged)の代わりに横帆
(square-rigged)とスパンカー(spanker)と呼ばれる縦帆が張られた。
艦上の劣悪な環境で多くの乗組員が長い航海中に窮乏してしまうので、出航時の乗組員数に比べて少ない生き残った乗組員でも操船できる様に、進歩した艤装方式が開発され、船首楼(forecastle)と船尾楼(aftcastle)は操船性能を向上させる為に減らされた。
ガレオン船は18世紀初期までは継続して使われたが、輸送用帆船フルート(fluyt)、2本檣(mast)の砲艦ブリッグ(brig)および戦列艦 (the ship of
the line)の様にもっと優れた性能の帆船が現れ、交易用としても、海軍用としても時代遅れとなり、次第に使われなくなった。
キャラック船(carrack)が軽武装で主に貨物運搬に使われる事が多かったのに対して、ガレオン船(Galleon)は軍艦用に建造され、強固で、重武装され、海軍用と商用の両方に使われていた。実際にガレオン船(Galleon)は建造されて廃船になるまでに戦時には軍艦として艤装され、平時には交易船として艤装される様な使われ方を何度かされる程の融通性があった。 ガレオン船(Galleon)には口径16.5cmのデミカノン砲(demi-cannon)の搭載が可能ではあったが、軍艦と商船のどちらのでも使える様に一般的には中型砲(demi-culvein)の口径11.5cmのデミカルヴァリン砲(demi-culverin)が1-2列装備されていた。実際にガレオン船(Galleon)は海軍用と交易用の両方に使われて居り、カリブ海(Caribbean Sea)の西インド諸島(West Indies)からスペインへ植民地の富を運んだ。フィリンピン(Philippines)のマニラ(Manila)とメキシコ(Mexico)のアカプリコ(Acapulco)の間の太平洋を年に1-2回航海する交易船として使われたマニラ ガレオン船(Manila Galleon)は良く知られているが、これは例外的に2,000トンにもなる大型船もあった。
キャラック船(carrack)3隻分建造費でガレオン船(Galleon)5隻が建造出来、又、平和時には商用としても使えるので軍艦としての投資としては有利であった。キャラック船(carrack)よりは安価であるとは言え、ガレオン船(Galleon)の建造費はそれでも桁外れであり、航海できるまでには船大工(carpenter)、ピッチ工(pitch-melter)、鍛冶屋(blacksmith)、桶屋(cooper)、造船工(shipwright)等熟練技術者(tradesman)数百人が数ヶ月に渡って日夜働いた。その費用を負担する為に新造船の為の原資を集めた裕福な商人の集団によって負担される事も少なくなかった。従って、敵国に拿捕されたガレオン船(Galleon)は海軍用に使われたが、殆どのガレオン船(Galleon)は元々交易船であった様だ。 (注)アルマダ海戦 1588年7月21-30日のアルマダ海戦(スペイン無敵艦隊(Spanish Armada)の英国侵攻)に際して対決したスペイン・英国双方の艦隊の主力はガレオン船(Galleon)であった。主として長期外洋航海用に設計された大きなスペイン艦隊のガレオン船(Galleon)に対して英国艦隊副提督ジョン ホウキンス(Admiral Sir
John Hawkins)は断固たる決意で投入した快速性が向上する様に改造したガレオン船(Galleon)は海戦と荒天の中で信じられない耐久性を証明し、殆どが生き残り、勝利した。 5.3.4 コルベット艦(corvette) コルベット艦(corvette)は古い平甲板一段砲装の木造帆装の軍艦であり、フリゲート艦(frigate)よりも小さく、通常、1層の砲列甲板しか持たないスループ艦(小型帆走軍艦)(sloop of war)よりも大きかった。 コルベット司令官(海軍少佐)(Corvette Captain)と云う階級はこの艦に因んで付けられている。コルベット艦(corvette)はスループ艦(小型帆走軍艦)(sloop of war)等の多くの種類の小型軍艦の1つであった。コルベット艦(corvette)の軍務は沿岸警備、小規模戦争、大きな艦船の支援および参戦の象徴(show-the-flag-mission)等であった。 英国海軍は1650年代に小型船を使い始めたが、それらはコルベット艦(corvette)では無く、スループ艦(小型帆走軍艦)(sloop of war)として記述している。最初にコルベット艦(corvette)を導入したのは1670年代で、フランス海軍であり、多分、コルベット艦(corvette)と呼ばれ様になった始まりである。英国海軍はナポレオン戦争(Napoleonic War)(1803-1815)の後に等級以下(un-rated)のスループ艦に似た小さな艦艇を記述する様になるまでこの呼び名を使わなかった。 17世紀のスループ艦およびコルベット艦の多くは全長が12-18mで排水量が36-64トン位の大きさであった。これらは単層甲板に4-8門の大砲を搭載していた。時代が経つに連れてコルベット艦(corvette)と呼ばれる程度の大きさと収容能力を持ち、1800年までには全長30mで排水量は365-544トンに達した。帆船時代(Age of Sail)でもっとも大きなコルベット艦(corvette)は1855年に建造され、全長54mで24門の大砲を搭載した米国のコンステッレーション号(USS Constellation)であった。この艦は海軍専門家がフリゲート艦(frigate)と考える程、大きかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/USS_Constellation_(1854) 5.3.5 スクーナー(schooner)
スクーナー(schooner)は2本以上のマストを持つ、縦帆装置の西洋式帆船でスクーネル(schoener)とも呼ばれる。スクーナー船(schooner)は2本以上の檣(mast)に竜骨(keel)に平行に張る縦帆(fore and aft sails)に特徴のある帆船である。2本檣(mast)のスクーナー(two masted schooner)では後方檣に主帆が張られるので、もう一方の檣(mast)が前檣(fore-mast)となる。2-3本檣(mast)のスクーナー船(schooner)は非常に操船性が優れ、他の帆船に比べて少ない乗組員で航行できた。
(注) スクーナー船(schooner)は基本的に2本のマストを有する帆船でその両方に斜桁に吊るした縦帆(gaff sail)を張るが、ケッチ船(ketch)では主帆は一番前方の檣(mast)に張られ、それが主檣(mainmast)となり、もう一つが後部檣(mizzen mast)となる。この主帆(mainsail)の配置によってスクーナー船はケッチ船(ketch)とは区別される。
スクーナー船(schooner)は16ないし17世紀にオランダ(Dutch)によって最初に採用され、18世紀初期以降北アメリカで発達した。1911年の百科事典(Encyclopedia Britannica)よれば、スクーナー船(schooner)と呼ばれる最初の帆船はアンドリュー ロビンソン造船所(Andrew Robinson)で作られ、マサテューセッツ州グロスター(Gloucester, Massachusetts)から1713年に出航した。スクーナーとの名前は「水面すれすれに飛ぶ様に滑って行く(skip or skim)」と云うスコットランド語のスクーン(scoon)が語源である。
スクーナー船(schooner)の檣(mast)の数は決まってはいないが、小型スクーナー船では2-3本檣(mast)で、大型スクーナーでは6-7本檣(mast)の物が造られていた。1902年に建造された7本檣(mast) の スクーナー船(schooner)トーマス W. ロウソン(Thomas W. Lawson)は全長120mで最も高い檣(mast)は甲板から47mあり、25の帆で4,000m3の風を受ける面積を持っていた。但し、大きく多段の檣(mast)を持つスクーナー船(schooner)は操船が難しかった。
(注) 様々な艤装のスクーナー船(schooner)の「e. 多段檣ステースル
スクーナー」参照。
スクーナー船(schooner)は何処の国よりも米国で非常に広く使われた。2本檣(mast)のスクーナー(two masted schooner)が一番一般的であり、速度と風上への航行の必要となる奴隷貿易、私掠船(privateering)、封鎖航行(blockage running)や沖合漁業等に使われた。2本檣(mast)のスクーナー(two
masted schooner)は又、米国や北欧州で水先案内船(pilot vessel)としても使われた。米国首都ワシントン(Washington)の東にあるチェサピーク湾(Chesapeake Bay)ではバルティモア快速艇(Baltimore
Clipper)tや快速2本マストスクーナーのパンギー(pungy)を含む幾つかの特徴あるスクーナー船(schooner)が発展した。
マサテューセッツ州エセックス(Essex, Massachusetts)はスクーナー船(schooner)造船の中心であった。1850年代までに15の造船所から年間50隻を超えるスクーナー船(schooner)が造られ、エセックス(Essex)は漁業用スクーナー船(schooner)の北米での中心であると世界的に認識されていた。エセックス(Essex)は殆どマサテューセッツ州グロスター(Gloucester,
Massachusetts)の漁業の為に4,000隻を超えるスクーナー船(schooner)を造った。
(注) 様々な艤装のスクーナー船(schooner)
スクーナー船(schooner)の帆の張り方では2本以上の檣(mast)を使い、前方の檣(mast)が後方の檣(mast)と同じ高さか、多少低い。竜骨(keel)にほぼ平行な縦帆(fore
and aft sails)を斜桁に吊るして張るのが一番伝統的な艤装(gaff rigged)であるが、スクーナー船(schooner)の艤装として中檣横帆スクーナー(square-topsail schooner)、バーミューダ艤装(Bermuda rig)、バーミューダ式スループ帆船(Bermuda sloop)、ステースル スクーナー(staysail
schooner)、多段檣ステースル
スクーナー(multi-mast
staysail schooner)、ガフトップスル
スクーナー(gaff
topsail schooner)、無帽スクーナー(bare-header
schooner)、ノックアバウト スクーナー(knockabout schooner)等が挙げられる。
a.
中檣横帆スクーナー(square-topsail schooner) 前方の檣(mast)に中檣横帆(square
topsail)が張られ、さらに斜桁に吊るして張った前檣縦帆(gaff-foresail)と共に前檣横帆(square fore-course)が付け加えられる事もある。横帆を装備したスクーナーは中檣横帆スクーナー(square-topsail schooner)と呼ばれる。
b. バーミューダ艤装(Bermuda
rig) 近代的なスクーナーは三角帆(triangular
sail)を使ったバーミューダ(Bermuda)で開発されたバーミューダ艤装(Bermuda rig)あるいはマルコニ艤装(Marconi rig)と呼ばれる方式である。バーミューダ艤装のスクーナーは19世紀初期に現れ、ホシザヨリ スクーナー(Ballyhoo
schooner)として知られている。
c. バーミューダ式スループ帆船(Bermuda sloop)
HMSピックル号(HMS Pickle)の様なこの時期のバーミューダ スクーナーはスクーナー艤装をしているにもかかわらず、バーミューダ式スループ帆船(Bermuda sloop)と呼ばれる。スループ帆船には主檣(mainmast)にはバーミューダ艤装(Bermuda rig)を行い、前檣(foremast)には縦帆上部に斜桁を取り付けた艤装(gaff
rigged)をしたものもあった。
http://en.wikipedia.org/wiki/HMS_Pickle_(1800) 1831 painting of a three-masted Bermuda sloop of the Royal
Navy, entering a http://en.wikipedia.org/wiki/Bermuda_sloop
d. ステースル スクーナー(staysail schooner)
ステースル
スクーナー(staysail
schooner)は前帆(foresail)を持たないが、その代わりに前檣(foremast)に取り付けた支索に張った長三角形の前ステースル(fore staysail)に加えて、前檣(mast)の間に主支索に前縁を固定した長三角形の主ステースル(main staysail)を持っていた。ステースル
スクーナー(staysail
schooner)はガフトップスルスクーナー(gaff topsail schooner)とも呼ばれ、漁民のステースル(fisherman’s staysail)(四隅を持つ縦帆)を主ステースル(支索に張った長三角形の帆)(main staysail)の上、又は前帆(foresail)の上に張るか、さもなければ三角ミュール(triangular mule)を張っていた。
e.
多段檣ステースル
スクーナー(multi-mast
staysail schooner) 多段檣ステースル
スクーナー(multi-mast
staysail schooner))は通常、前ステースル(fore staysail)を除く全ての支索に張った長三角形の帆(staysail)の上にミュール(mule)を張っていた。
f.
ガフトップスル
スクーナー(gaff
topsail schooner) 斜桁に吊るした縦帆で艤装したスクーナー(Gaff
rigged schooner)(「a. 一番伝統的な艤装(gaff rigged)」参照)は通常、ガフトップスル
スクーナー(gaff
topsail schooner)とも呼ばれ、主檣頂上の斜桁に吊るした縦帆(gaff sail)の上に三角形の中檣縦帆(しょうはん)或いは第二接檣縦帆(triangular fore-and aft topsail)を張り、時には前檣頂上にも張っていた。
g.
無帽スクーナー(bare-header
schooner) 1つ以上の斜桁に吊るした縦帆の中檣帆(gaff topsail)を持たず、斜桁に吊るした縦帆で艤装したスクーナー(Gaff rigged schooner) (「a. 一番伝統的な艤装(gaff rigged)」参照)は無帽スクーナー(bare-headed
schooner)或いは禿スクーナー(bald-headed
schooner)と名付けられていた。
h.
ノックアバウト スクーナー(knockabout schooner) 船首に突き出したマスト状円材(やり出し)(bowsprit)を持たないスクーナーはノックアバウト スクーナー(knockabout schooner)と呼ばれた。
5.3.6 ブリガンティン型帆船(brigantine) ブリガンティン型帆船(brigantine)は2本檣(mast)で横帆を装備したブリグ型帆船(brig)と2本以上の檣(mast)で縦帆を装備したスクーナー型帆船(schooner)の合いの子で「ハルマフォロダイト ブリグ(hermáphrodite brig)」或いは「ブリグ スクーナー(brig schooner)」と呼ばれる帆船で、2本檣(mast)で前檣(foremast)に張った横帆(square sail)と斜桁に吊るした縦帆の主帆(gaff mainsail)の上に三角形の中檣帆(topsail)を張るスクーナー(schooner)艤装の組み合わせである。この様に代表的な帆の張り方を2種類組み合わせているので合いの子(hermáphrodite)と名付けられた。英語ではこの型の帆船をブリガンティン型帆船(brigantine)と呼んだ。 ブリガンティン型帆船(brigantine)の持ち主のアントニー タイガー ティムズ(Antony
‘Tiger’ Timbs)は「前檣(foremast)に横帆(square sail)を 張り、主檣(mainmast)に縦帆(fore-and-aft-sail)を張った2本檣(mast)の帆船の正しい呼び方は兎に角「合いの子ブリガンティン(hermáphrodite
brigantine)である」と異なる説明をしている。真のブリガンティン型帆船(brigantine)は主帆がガフスル(斜桁に吊るした縦帆)(gaff sail)で、主檣(mainmast)には中檣横帆(square topsail)も使う。今日、現存するこの型の帆船は英国の「風の目号(British Eye of the Wind)」である。この型が今日、非常に少ないので合いの子ブリガンティン(hermáphrodite
brigantine)もブリガンティン型帆船(brigantine)と名付けられている。 5.3.7 スキフ(skiff) スキフ(skiff)は小型の軽装帆船である。 スキフ(skiff)と云う呼び名は多くの様々な型の小型船に使われてきた。船に関係する言葉は一般的に複雑な語源を持っており、スキフ(skiff)はドイツ語起源の古イタリア語の(schifo)で、古フランス語の小舟(esquif)に由来する中世英語の小型軽装帆船(skif)が語源となっている。米国ではこの呼び名は小型遠洋漁船(small sea-going fishing boat)に適用されている。 この呼び名は文学の中では歴史的にハーマンメルヴィル(Herman Melvile)(1819-1891)著の「モービーディック(白鯨)(Moby-Dick)」やアーネスト ヘミングウウェイ(Ernest Hemmingway)著の「老人と海(The Old Man and The Sea)」に登場する。スキフ(skiff)は帆と櫂で推進力を得ている。 スキフ(skiff)の現在の使われ方は沿岸漁民(inshore fisherman)が使う為に安価で簡単に作れる船首が尖り、船尾が平らな小さな平底の甲板の無い小舟である。元々は櫂で推進するように設計されており、船外機で効率的に推進できる形に発展した。この設計は今でも作業船としてもレジャー用ボートとしても共通して使われている。 テムズ スキフ(Thames skiff)は丸底で重ね張りの手漕ぎ舟で、テムズ川(River Thames)等の英国の河川で非常に一般的で、ジェローム カラプカ ジェローム(Jerome Klapka Jerome)(1859-1927)著のテムズ川の旅行を書いた「ボートの三人男(Three Men in a Boat)」に特徴付けられている。 5.3.8 バーク帆船(barque) 近代でのバーク(Barque)と云う用語はケルト語(Celtic languages)を通じてフランスのガリア語(Gaulish)から来ている。19世紀以前にはバーク(Barque)或いはバージ(barge)は沿岸や内陸水面で使われた帆または艪櫂で推進させる小さな舟を意味していた。 18世紀に英国海軍はどの型にも属さない船にバーク(Barque)と云う用語を使った。探険家ジェームス クック船長(Captain James Cook)(1728-1779)の助言で石炭バラ積み船が海軍に導入された探検船に改造された時にその船はHMバーク探検号7(HM Bark Endeavour)と名付けられた。この船はたまたま横帆(square-rigged or ship-rigged)のみで艤装(full rigged ship)され、飾り気の無いずんぐりした船首と窓を持つふくらんだ船尾の帆船であった。 (HM Bark Endeavour) http://en.wikipedia.org/wiki/HM_Bark_Endeavour しかしながら、18世紀末にバーク(Barque or Bark)と云う用語は3本以上の檣(mast)を持ち、後檣(mizzenmast)のみが縦帆で残りは横帆を張られる艤装を持った帆船に使われる様になった。 3本檣(mast)の木製バーク船(Barque)は19世紀中頃の外洋貨物船としては最も一般的に使われていた。20世紀初期には4本檣(mast)の鋼鉄製バーク船(Barque)が典型的な外洋貨物船となった。米国では3本の檣(mast)に横帆が張られ、後檣(mizzenmast)のみが縦帆が張られた艤装された4本檣(mast) バーク船(Barque)をシペンティン型帆船(Shipentine)とも呼んでいる。 http://www.theshipslist.com/ships/descriptions/barque.htm
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