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2009月12月6日 高橋 俊二
 

マッカ・ムカッラマとメッカ州

(サウジアラビア王国西部地方)

その夏の政庁・薔薇の市 ターイフ

Summer Capital - Rose City Taif



 

 

目次

 

(注)必要な「章」の名前又は番号をクリックしてください。

 

前書き

緒言

第一部 地理(Geography)

1.1 位置(Location)

1.2 地勢(Physical Setting)

1.2.1 高所地域(Upland Area)

1.2.2 山麓丘陵地域(Foothills Area)

1.2.3 高原地域(Plateau Area)

1.3 気候(Climate)

1.4 民族(Ethnography)

第二部 涸れ谷と水源(Wadies and Water Resouces)

2.1 古代のダム(Ancient Dams)

2.2 古代ダム存在の確認(Identifying Ancient Dams)

2.3 スッド サマッラキ(Sudd Samallaqi)

2.4 スッド サイシド(Sudd Saysid)

2.5 市街地を流れる涸れ谷ワジ(Wadi Wajj)

2.6 涸れ谷ミフリム(Wadi al-Mihrim)

2.7 新たな水源(Alternative Water Resouces)

2.7.1 伝統的水源 涸れ谷ワジ(Wadi Wajj as Traditional Water Resources)

2.7.2 移送水(Transfered Water)

2.7.3 再生処理水(Recycle Pirified Water)

2.7.4 海水脱塩水(Seawater Desalination)

第三部 肥沃さと農業'Fertility and Agriculture)

3.1 肥沃さと伝統的農作物(Fertility and Farm Diary Products)

3.2 葡萄の栽培(Grape Cultivation)

3.3 誇れる産物としての蜂蜜(Honey as Prized Product)

3.4 森林からの産物と酪農品(Products of Woods, Livestock and Diary)

3.5 高名な薔薇(Rose as Celebrated Plant)

3.6 農地の生産特性(Productive Characteristics of Farmland)

3.7 デイツの果樹園(Date Groves)

第四部 ターイフの歴史的背景(Historical Background of Taif)

4.1 靄のかかったターイフの創建(Misty Domain of Taif's Foundation)

4.1.1 ワジと呼ばれたとの言い伝え(Legend as to Naming of Wajj)

4.1.2 呼称のターイフへの変更(Renaming to Taif)

4.1.3 シリアの土地との言い伝え(Legend says God placed it from Syria)

4.1.4初期の歴史(Early History)

4.2 オカズ市場(Suq Okaz)

4.2.1 神聖な月(Months of Sacred)

4.2.2 治外法権のオアシス(Oasis enjoying Extra-territoriality)

4.2.3平和的で利のある交易(Peaceful and Profitable Trade)

4.2.4. オカズの遺跡(Ruin of Suq OKaz)

4.2.5 アラビアのオリンピア(Olympia of Arabia)

4.3 イスラムの受け入れ(Accepting Islam)

4.3.1 豊かな緑と涼しい気候(Lush Greenery and Cool Weather)

4.3.2 預言者のターイフへの移住検討(Prophet's Study for migrating toTaif)

4.3.3 バヌ サキフ族の拒絶(Banu Thaqif's Refusal to Prophet's Requests) 

4.3.4 預言者によるターイフ包囲(Prophet's having laid siege toTaif)

4.3.5 サキフ族のイスラム改宗宣言(Thaqif's Adoptation of Islam)

4.3.6 マールワンの追放(Exile of Marwan)

4.4 ムスリム帝国と大シェリフ(Muslim Empire and Grand Sharif)

4.4.1古代のターイフ市の位置(Location of Taif in Ancient Times)

4.4.2 ムスリム帝国の遷都 (Muslim Empire's Shifting Headquarters)

4.4.3 メッカ首長管轄区(Amirate of Makkah)

4.4.4 蒙古帝国によるバクダット陥落(Fall of Baghdad to Mongols))

4.5 オスマン帝国の支配(Ottoman's Control)

4.5.1 宗主権とシャリーフの権威(Ottoman Suzerainty and Sharifian Authority)

4.5.2 オスマン帝国の州制度(Under Ottoman Povincial Arrangement)

4.6 サウジ ワッハーブの挑戦(Challenge of Saudi-Wahhabi)

4.6.1ターイフ陥落と奪回(Taif fallen by Wahhabi and recaptured by Ottoman)

4.6.2 ディライイヤの陥落(Diraiyyah overpowered by Egyptian Troops)

4.6.3 アラブの反乱でのターイフ攻撃(Attack on Taif during Arab Revolt)

4.6.4 ターイフに翻るシャリフ旗(Sahrifian Flag rising on Citadel in Taif)

4.6.5 カリフ宣言とサウジの反発(Saudi Reaction against Declared Chaliph)

4.6.6 イフワーンへのターイフ無血開城(Opening Taif's Gate to Ikhwan)

4.7 サウジアラビアの市として(A City after Unification of Saudi Arabia)

4.7.1 ターイフのサウジアラビア編入(Becoming a part of Saudi Arabia)

4.7.2 イエメン軍事作戦の基地(Military Operatinal Base for War with Yemen)

4.7.3 軍事基地としての名声(Special Military Reputation)

4.7.4 アブデュルアジーズ王の夏住居(Summer Residence of King Abdulaziz)

4.7.5 サウド家治下での近代化(Modanization under Saudi, 1940s

4.7.6 第三回イスラムサミット(Third Islamic Summit Conference)

4.7.7通信に関する近代化(Modernization in terms of Communications)

4.8 ターイフの歴史的人物 (Taif's Historical Personalities)

4.8.1 ウルワ ビン マッサウド(Urwa bin Massaud)

(イスラムを受け入れた最初のサキフ族指導者)

4.8.2 アブ ウバイド イブン マッサウド(Abu Ubaid ibn Massaud)

(勇敢ではあるが運の悪いバヌ サキフ族出身のムスリム軍司令官)

4.8.3 ムスリム帝国に貢献の3(3 Distinct Contributors to Muslim Empire)

4.8.4 ファリヤ ビント アビ サルト(al-Fariyah bint Abi al-Salt)

(神の使徒の中でも最も卓越した信奉者)

4.8.5 ハリス イブン ハラダ(Thaqifi al-Harith ibn Khaladah)

(アラブ医師の先駆者)

4.8.6 イサ イブン ウマル(Isa ibn Umar)

(アラビア語の早期の文法家で辞書編集者)

4.8.7 ウマイヤ ビン アビ サルト(Umayyah bin Abi al-Salt)

(サキフ族のもっとも偉大な詩人)

4.8.8 アブ ミフジャン サキフィ(Abu Mihjan al-Thaqifi)

(イスラム到来の始めに栄えたアラビア詩の黄金時代を代表する詩人)

4.8.9 アブドゥッラー ビン アッバス(Abdullah bin al-Abbas)

(クルアーン解釈の容認された父)

第五部 早期西洋人旅行者の記述(Accounts of Early Western Travellers)

5.1 スイス探検家ブルクハルト(Swiss Explorer J. L. Burckhardt))

5.2 若いフランス人モーリス タミシエ(Young Frenchman, Maurice Tamisier)

5.3 フランス人シャルル ディヂエ(Frenchman, Charles Didier)

5.4 英国人チャールス ダウティ(Charles M. Doughty)

5.5 ハリー St. ジョン B. フィルビー(Harry St. John B. Philby)

5.6 英国人モスリムのエルドン ルッター(English Muslim, Eldon Rutter)

5.6.1 ジュダイラとカイムを通ってターイフへ

(Reaching Taif througth Judayrah and al-Qaym)

5.6.2 涸れ谷マスナへの小旅行(Short Trip to El Mathnâ)

5.6.3 ルッターによるターイフ市の調査(Rutter's writting to explore City of Taif)

5.7 医学博士ルイス P. ダーム(Louis P. Dame)

5.8 後の訪問者C.A. ナリノ(Later Visiter, C.A. Nallino) 

5.8.1 ターイフとその周辺(Taif and its Surroundings)

5.8.2 邸宅の内部とその家具(Interior of House and its Furniture))

5.8.3 市の周囲へのナリノの印象(Nallino's Impression on Surroundings)

5.8.4 マスマ村(al-Mathmah)

第六部 ターイフ市の昔と今(The City Yesterday and Today)

6.1 ターイフの城壁(Wall surrounding around Taif)

6.1.1 伝統的な防衛形体(Traditional Defensive Feature)

6.1.2 防衛と発展(Guaranteeing Security but limiting Development)

6.1.3 タミシエ等による城壁の記述(Wall described by Tamisier & Others)

6.2 航空写真(1971年撮影)(Mosaic of 1971 Aerial Photograph)

6.2.1 旧トルコ軍兵舎とその西側(Qishlah and its Western Side)

6.2.2 旧市街周辺部(Surroundings of Old City)

6.2.3 旧市街(Old City)

6.2.4 大モスクの敷地とその北地域(Site of Grand Mosque and its Northern Area)

6.2.5 東城壁とその東地域(Eastern Wall and its Neighnoring Area)

6.3 ビン アッバス モスク(Bin Abbas Mosque)

6.3.1 ビン アッバス モスクの配置(Plan of Bin Abbas Mosque)

6.3.2 リ’門とバブ リ城(Bab al-Ri' and Bab al-Ri' Castle)

6.3.3 改革者ミザト パシャの流刑(Banishment to Midhat Pasha)

6.4 キシュラと古い空港(Qishlah and Old Airfield)

6.4.1 キシュラ(Qishlah)

6.4.2 古い飛行場(Old Airfield)

6.4.3 大モスク(Grand Mosque)

6.5 ターイフ城外の固有のもっとも古い集落

6.5.1 マスナ(al-Mathnah)

6.5.2 サラマ(al-Salamah)

6.5.3 カールワ(al-Qarwah)

6.6 ヤマニイヤ(al-Yamaniyyah)

6.7 シュブラ宮殿(Shubra Palace)

6.7.1 偉大な建築上のランドマーク(Greatest Architectural Landmark)

6.7.2 カイロの宮殿の再現(Replica of Cairene Model)

6.7.3 二つのシュブラ宮殿(2 Shubra Palaces)

6.7.4 新シュブラ宮殿の間取り(Plan of New Shubra Palace)

6.7.5 王宮としての占有(Appropriated to Palace by King Abdulaziz)

6.8 第二次世界大戦後の1947年城壁撤去

6.8.1 大戦後の城壁外への拡張(1947年から1956年までの間)

6.8.2 市街地の拡張(1956年から1964年までの間)

6.8.3 市街地の拡張(1964年から1971年までの間)

6.8.4 市街地の拡張(1971年から1977年までの間)

6.8.5 市街地の拡張(1977年から1984年までの間)

第七部 中心から離れた地区(Outlying Districts)

7.1 シャファ地区(al-Shafa District)

7.1.1 「治療」と云う名の名声(Admiring Fame as "Cure")

7.1.2 シャファ地区の特産(Special Products of al-Shafa)

7.1.3 野外休養地(Out Door Recreation Center)

7.2 ハダ地区(al-Hada District)

7.2.1 「静穏」を意味する保養地(Health Resort under Name of Tranquility)

7.2.2 イーラムの涸れ谷ミフリム(Wadi Mihrim Station to don Ihram)

7.3 涸れ谷リイヤ地区(Wadi Liyyah District)

7.4 ハウィイヤ地区(al-Hawiyyah District)

7.4.1 ナジドからの山峡道路入口の伝統的な村

7.4.2 ターイフ第二の集落(2nd Important Settlement in Taif Metropolitan Area)

7.4.3 特色を持つ建造物(Main Features of District)

第八部 今日のターイフ(Taif, Today)

8.1 国内幹線道路網の要所(Major Nexus on National Highways)

8.1.1 主要幹線四道路(Four Major Road)

8.1.2 四幹線道路を結ぶ環状道路(Ring Road connecting 4 Major Arteries)

8.1.3 改善された市街地の道路(Improved Urban Roads)

8.1.4 非ムスリムバイパス(Non-Muslim Bypass)

8.1.5 ハダ(Hada)のムハンマディヤ道路(Muhammadiya Road in Hada)

8.1.6 アシール山岳ハイウェイ(Asir Mountain Highway)

8.1.7 主要ターイフ道路開通(Opening of a Main Taif Road)

8.1.8 トンネル建設による道路延長短縮事業(Cutting Distance By Tunnel)

8.1.9 ターイフとアブハ間の鉄道建設

8.2 観光事業(Tourism)

8.2.1 観光リゾート(Torist Resort)

8.2.2 ケーブルカー(Cable Car)

8.2.3 ターイフのホテル(Hotels in Taif)

8.2.4 夏のリゾート観光祭り(Tourism Festival in Summer Resort of Taif)

8.3 テレコミュニケーション システム(Telecommunication System)

8.4 保健と教育の発展(Development in Health & Education)

8.5 公園と動物園(Parks and Zoo)

8.5.1 キング ファハド公園(King Fahad Park)

8.5.2 ルダフ公園(al-Rudaf Park)

8.5.3 動物園(Zoo)

8.6 名所・旧跡(Place to See)

8.6.1 考古学的な遺跡(Architectural Sites)

8.6.2 砦やモスク(Forts and Mosques)

8.6.3 景観(Beautiful Scenes)

8.6.4 建物(Prominent Buildings)

8.6.5 建造物(ダム)(Artificial Constructions - Dams)

8.6.6 スーク(Suq)

8.7 タイフ空軍基地(Taif Air Base)

8.7.1 アメリカ合衆国軍事教練使節(United States Military Training Mission)

8.7.2 合衆国軍事教練使節(United States Military Training Mission)

8.7.3合衆国国防総省組織の任務(Mission of DoD Oraganization)

8.7.4 ガイム コンパウンド(Al-Gaim Compound)

8.7.5 親衛隊オマール カッタブ旅団(SANG’s Omar Kattab Brigade)

第九部 ターイフへの訪問(Visits to Taif)

9.1. リヤドからターイフへ(Riyadh to Taif)

9.2. ターイフからバハーへ向かう(Taif to Al Baha)

9.3. ターイフからワハバ火口へ(Taif to Wahba Crater)

結び(Conclusion)

後書き(Postscript)

参考資料(Reference Materials)

 

(注)*を付した項目は「使用用語一覧(語彙集)」を参照し、**を付した項目は「その1 悠久な東西交易の中継港ジェッタ 1-5 ヨーロッパ人による近代ジェッダの紹介」をご参照戴きたい。

 

前書き

 

湾岸戦争(199082日から1991228)1991117日、未明に多国籍軍は「砂漠の嵐作戦(Operation Desert Storm)」を開始した。これに対するイラク側からの反撃で当時勤務していたアラビア鉱業所は6時間に及ぶ砲撃を受けた。この為、被弾したカフジ(al-Khafji)からダンマン(Damman)経由でリヤド(Riyadh)避難した。そこでもその夜、スカッド(Scud)の攻撃を受け、翌122日にアラビア半島を横断して射程距離外のジェッダ(Jeddah)まで移動することとなった。ほとんどは小さな鉱山町の中でしか運転した経験の無い自家用車18台で沙漠の中1,000kmの道程を走行するのは戦時ならではの事だろう。沙漠に延びるハイウェイ(Highway)は何故か3本で上下各一車線で真ん中が共用の追い越し車線である。その車線を使い対向車と時速300km以上で接近するのはスリル以上の体験だが、ノロノロ走るトレーラーが連なる道では致し方ないことではあった。

 

(注)今思えば、この3車線はダンマン・ジェッダ ハイウェイの工事中の措置だったのだ。

 

リヤドから西650km位から登りとなり、更に速度を落としたトレーラーの列を追い抜いて行くのは大変であった。そんな運転をしながら780km離れた休憩場所に指定されたターイフ(Taif)のインターコンチネンタル ホテル(Intercontinental Hotel)なんとか辿り着いた。この時には既にクウェイト政府がこのホテルを専用しており、サウジアラビア親衛隊に堅く守られ、ホテルの中には入れなかった。それでも長い長い沙漠のドライブの後、非常食の水と乾パンの食事であっても木陰での休息からは十分に英気を補給された。それが私の始めてのターイフ(Taif)の訪問であった。

 

その後、タブーク(Tabuk)、ヒジャーズ(Hejaz)、アシール(Asir)、ナジラン(Najiran)方面への旅は車を使うのでリヤドからの往復には必ずターイフに立ち寄ったし、宿泊も特に帰路はリヤドに近いマッサラ インターコンチネンタルを良く利用した。但し、回数が多くても単に立ち寄っただけではその土地を知る事には成らないと資料を集める中で改めて認識した。

 

緒言

 

高原の都市ターイフ(Taif)をまとめて紹介している書籍は思っていたよりも少なく、又、手元にあるのは1984年に出版された「サウジアラビアの夏の都(The Summer Capital of Saudi Arabia)」のみであった。著者はアンジェロ ペセ博士 (Dr. Angelo Pesce)であり、同博士は豊富な文献を参照して著述されているので、それを抄訳した内容にアラムコの出版している「ターイフの薔薇(Roses of Taif)等の資料に私の訪問記録等を加えて「夏の政庁・薔薇のターイフ市」としてまとめた。なお、同博士が引用した文献は別表-1に示した。

 

聖都メッカ(Makkah)は元々は高地農業で発展したターイフ(Taif) の農民が市場に送る食糧に大きく依存し、遠い昔から経済的には一体となっていた。その一方でターイフはナジド(Najd)、メソポタミア(Mesopotamia)およびイエメン高原(the high Yemen)からメッカへの道筋の要所であり、東方への防御やメッカから出入りする巡礼や半島内の交易経路に対する重要な戦略的地位を確保していた。

 

バヌ サキフ族(Banu Thaqif)*はターイフ周囲の肥沃な土地の広大な地域を占有し、大規模に定住していた農耕部族であり、この都市でもその人口の大多数を占めていた。自分達の土地を通過する大規模な隊商に保護と役務を提供できる利点を利用し、バヌ サキフ族は繁栄していた。

 

ターイフがメッカに近く、その気候が快適である事がこの都市とその周辺にメッカの富裕なクライシュ族商人(Rich Quraishi Merchants)の為の山岳休養地としてのもう一つの機能をもたらした。クライシュ族商人は夏期別荘、果樹園や農地をターイフ周辺の集落や谷間に所有した。クライシュ族商人はそこで自分達の都市の夏の間のうっとうしい熱さから毎年、数ヶ月の間、避難していた。この過程でメッカの住民達はこの土地に親愛の情を持つ様に成り、そしてしばしば「一対と見なされる」と言われるのは住民達のターイフへの特別な情感を示している。

 

イスラム以降はターイフはメッカ(Makkah)の姉妹都市となり、農作物の供給地であると共にメッカ人達の多くの果樹園を含む別荘地も兼ねていた。例えば第二代カリフ(Caliph, 634 - 644)のウマル イブン カッタブ(Umar ibn al-Khattab, c 581 - 644)*は「父親の貧しさが自分の家族をターイフに楽しみの為の小さな地所を持つ事さえ許さなかった」のを嘆いて「自分はシリアにある10の宮殿とターイフの廃屋を交換する用意がある」と声を荒げたと言う。歴史的には「ウマルは間もなくルクバ(Rukbah)の広大な地域の土地を手に入れてこの状況を改善し、その所有権を子孫に継承した」と言われている。それから余り経ってないが、ウマイヤ朝(Umayyad, 661 - 750)の初代カリフ(661 – 680)であったムアーウィヤー(Muawiyah, 602 - 680)*は「幸福な人生の理想は冬をメッカで過ごし、春をジェッダで過ごし、夏をターイフで過ごす事である」と明言している。

 

交易に加えて、多くの住民の移住、婚姻やその他の家族関係がこの二つの都市社会の繋がりを時間を掛けて更に高めてきた。聖なるクルアーン(Quran)(Sura XLIII, 31)は、この二つのヒジャーズ集落間の固く、親密な相互関係を意味する表現として、「メッカ(Makkah)とターイフ(Taif)をカリイヤタイン(al-Qariyyatain)即ち二つの都市(The Two Cities)」と見なしている。

 

ターイフは長い間、オスマントルコ(Ottoman Turks)*に領有され、その宗主権下でシャリフ政権(Sharifian - Ottman Domination)に支配された。サウジ公国(Saudi State)の勃興するとそれに対抗する為にターイフはオスマントルコの属国であったムハンマド アリパシャ(Muhammad Ali Pasha, 1769 - 1848)*の率いるエジプト軍の基地となっていた。最終的にサウジアラビアにより征服され、191695日にその領土に編入された。編入後直ぐに起きたイエメンとの戦争では軍事作戦の基地となる砦が築かれ、それが軍事都市となる一方で夏期行政府所在地となる要因となった。屋内冷房装置の普及による変化とは思うが、今ではターイフの夏期政庁としての役割は終わっている。街中は美しいが何となくた寂れており、ホテルや観光地が整備される程、それが目立つ様な気がしていた。

 

200944日にメッカ州知事カリド ファイサル殿下(Prince KhaledAl-Faisal)の下、観光・史跡最高会議議長スルタン ビン サルマン殿下(Prince Sultan bin Salman)の列席を得て、ターイフ観光諮問会議(Tourism Development Council)は「ターイフをサウジ国内の主要観光地としての史跡オカズ市場(Okaz Souk)および景勝地ハダ(Al-Had)とシャファ(Al-Shafa)を中心にリゾート化(Making Resort)を目指す」と決めている。ジェッタ(Jeddah)やメッカ(Makkah)更にラービグ(Rabigh)の後背地であり、景勝に優れた涼しいこの高原都市の将来は観光リゾートの開発が中核になると私にも思える。

 

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