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2006月1月31日
 豊かなオアシスに恵まれた原油の宝庫    (サウジアラビア王国東部州)

 その1 東部州の紹介    (Vo.1 Introduction of East Province) 著: 高橋俊二



緒言  前書き



緒言

   私のサウジアラビア紹介もアシール・シリーズを終え、やっとほぼ半ばと成った。この紹介シリーズがやっと軌道に乗って来た様に思っていた矢先に2つの問題が出てきた。1つは私のアラビア語のカタカナ表記で厳しい指摘を受けた事であり、もう1つはJETROのホームページの再編成でこのシリーズの打ち切りが伝えられた事である。

   従来、アラビア語のカタカナ表記についてはアラビアの発音を持たない日本語のアイウエオを使って表現する事は出来ないと考え、アラビア語の表記標準がある英語を併記する事で済ませて来た。ご指摘は私が親しんで来た「Qa」を「ガ」と発音するアラビア湾岸訛りに対して特に厳しかったので、及ばずながらアラビア語のカタカナ訳のある市販の白水社や国際語学社のアラビア語辞典や最近になって発売された岩波書店および平凡社のイスラーム辞典も調べてみた。サウジアラビアでは余り親しみの無いカタカナ訳で表現がされている場合も多く、改めてアラビア語の使われている地理的範囲の大きさを実感した。リヤド、クウェイト、カイロやドバイ等大都市でアラビア/英語の辞書を購入しても日常的に目にするアラビア語でさえ掲載されて無い程、アラビアの用語数 (vocabulary) は多く、同じ意味でも幾種かの単語がある。これはそれだけ多くの民族がアラビア語を使っているからだと思っている。幾つか思考錯誤の上でサウジアラビア政府および日本サウジアラビア協会の出版物で使われているカタカナ表現に近づけようと考え、それらの出版物から言葉の蒐集を始めた。「サウジ」が「サウジ」と表現される等、必ずしも一致しないし、統一されてもないがその「言葉の蒐集」の記録に基づき、又、専門家のご意見もお聞きし、この篇からカタカナ訳をかなり変えている。これは読む方に少しでも親しみを感じて戴きたい為の変更であり、アラビア語本来の発音が変わった訳では無い。従って、本文や注には引き続き、英語表現を併記している。

   アラビアに関する英、仏、独等探検家、歴史学者や著者による出版物は多く、又、現在の国営石油(サウジアラムコ)が学者や専門家を動員してサウジアラビアに関する多くの情報を公開しており、サウジの紹介は欧米では豊富である。これらの文献から私はサウジ紹介シリーズの参考資料を得ているが、それでもインターネットでサウジの地方の町や村の名を検索していると日本語での記述であるのに近頃ではこのシリーズがそれらの文献の末尾でインターネットの画面に現れてくる事がある。それ程、サウジの地方に関する紹介はまだまだ限られているので、このサウジ紹介シリーズは時間が掛かっても完結させたいと考えている。JETROのホームページの見直しで中止の決まったこのサウジ紹介シリーズが関係者のご尽力と中東協力センターのご好意で同センターのホームページで継続できる事に感謝すると共に引き続きご支援をお願いしたい。




                  東部州主要部地図 map
                  東部州全体図 map    
  

前書き

現在の東部州は何と云ってもその世界最大の輸出量を誇る原油を抜きにしては語れない。サウジアラビアの原油はその殆ど全量が東部州に埋蔵され、国営石油会社サウジアラムコによって独占的に生産されている。原油生産操業を行っている対象地域があまりにも広い為に当初から操業には航空機がふんだんに使われて来ている。従って、操業地域には週日勤務しても週末には本部のある石油城下町ダハランに戻ってくる勤務形体が一般的であり、かつては操業に携わる多くのアメリカ人達が家族と暮らしたこの石油城下町の社宅地区では治外法権的な別天地の生活があった

東部州はサウジアラビアの東部全体を南北に延び、サウジアラビア全土の約四分の1を占める広大な広がりを持っている。この東部州を被っている堆積岩はずば抜けて厚く、原油だけでは無く地層水(化石水)も豊富に埋蔵して居る。地層水を蓄え、西から東に緩やかに傾く帯水層が一番低く成った海岸付近では堆積岩の割れ目から掘り抜き井戸の原理で真水が大量に湧き出す。その水量の豊かさが地上と地下での二つの海を意味するバハレイン島の名の語源と成った。水の恵みで州中央部のカティーフ市およびアル-ハサ市ではナツメ椰子の栽培を軸とした伝統的なオアシス農業が栄え、海底に湧き出す泉の周辺では汽水域に育つ真珠取りが盛んであった。

海岸に豊かに水と農産物があり、真珠と言う貴重な産物がある事でこの両市の周辺は古代から中国およびインドと地中海を結ぶ海のシルクロードの重要な中継点と成っていた。イエメンから北上しこの両市の周辺に運ばれて来た乳香や没薬、或いはこの土地の産物の真珠と共にシルクロードの交易物資は駱駝に積み替えられ、東部州西北部を含む大シリア沙漠を横断して地中海へと運ばれた。

この広大な州の東西に広がった南の半分は「何も無く空白である」と云う意味で空白地帯沙漠、又は同じ意味のアラビア語名でルブ・アル-カリ沙漠(Rub' Al Khali)と呼ばれて居る。昔からこの沙漠には駱駝の放牧だけで生活するごく限られたベドウィン(アラブ遊牧民)しか出入り出来なかった。コアベンチャー事業や農業開発事業がこれから本格化するに連れて他の分野の開発も進む可能性が高い。その意味でこの空白地帯沙漠は21世紀の地球上に開発されずに残された広大で稀少な処女地である。空白地帯沙漠は地図で示す様に特にダンマン-リヤド鉄道南線から南の東部州のほぼ半分の面積に当たる途轍も無く広い地域で、大変興味深い場所ではあるが、この地域に関しては2004年に掲載した「空白地帯と呼ばれる沙漠ルブ’アル カリ(Rub' Al Khali)」に詳しくご紹介しているのでここでは割愛させて戴く。それでも東部州は一度にまとめるには内容が多過ぎるので「東部州の紹介」、「原油の宝庫」、「北部(古代シルクロード交易路)」、「中部(伝統的なオアシス農業と近代的化)」および「アラビア湾岸」5つの続編に分けてご紹介する。

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