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2009年06月23日 高橋 俊二
 

マッカ・ムカッラマとメッカ州

(サウジアラビア王国西部地方)

その2 発展する二十一世紀 ラービグ




 

 

前書き

緒言

ラービグの紹介

1. ラービグの地理

1.1 ラービグの位置

1.2 涸れ谷ラービグとクンム池

1.3 ラービグの珊瑚礁

1.4 ダイビング スポット

2. ラービグの歴史

2.1 乳香の道の水場

2.2 バドルの戦い

2.3 巡礼路と4基のトルコ要塞

2.4 ヒスン ジョフファ要塞

2.5 アラブの反乱(Arab Revolt)・ローレンスとの関わり

2.6 アラムコ ラービグの製油所(ARAMCO Rabigh Refinery)

3. 発展する二十一世紀 ラービグ

3.1 概要

3.1.1 ラーブグ市(Rabigh City)

3.1.2 高速道路(High Way

3.1.3 空港(Airport)

3.1.4 鉄道(Transportation Railways)

3.2 ペトロラービグ(Petro Rabigh)

3.2.1 ペトロラービグ(Petro Rabigh)の誕生

3.2.2 合弁事業の企業化調査

3.2.3 合弁事業投資資金の調達

3.2.4 ペトロ・ラービグ社の概要

3.2.5 石油精製・石油化学コンプレックスの操業開始

3.2.6 ラービグ第2期計画の共同企業化調査

3.3 ラービグ川下関連産業団地(Rabigh CIP)

(Rabigh Conversion Industrial Park)

3.4 アブドゥッラー経済都市(King Abdullah Economic City)

3.4.1 概要

3.4.2 市街地区分

3.4.3 開発

3.4.4 ラービグ工業バレー(ENTAJ)(Industrial Valley)

3.5 アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)

(King Abdulla University of Science and Tecnology)

3.5.1 概略

3.5.2 KAUST奨学制度

3.5.3 キャンパス

3.5.4 学長

3.5.5 学位

3.6 水電気会社

3.6.1 ラービグアラビア水電気会社(RAWEC)

(Rabigh Arabian Water & Electricity Company)

3.6.2 SECラービグ発電所(Rabigh Power Station)

3.6.3 SWCCラービグ造水工場

3.7 セメント工場(Arabian Cement Factory)

3.8 ラービグ飛行学校(Rabigh Flying School)

後書き

参照資料

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前書き

 

紅海岸のバドル フナイン(Badr Hunain)とスワル(Thuwal)の間の北部ティハマー(Northen Tihama)を私は訪れていない。今回、紹介するラービグ(Rabigh)についてはサウジ石油鉱物資源省(Ministry of Petroleumand Mineral Resources)のカフジ支局(Al Khafji Branch)の二代目局長のジュレイシー(Mr. Al Juraisy)の出身地であり、何度か同氏から様子を聞いた事はあり、興味は持っていた。但し、当時の私の理解ではアラムコの製油所のある町と云う事以外にはデュバ(Dhuba)からヤンブー(Yanbu)までの北部ティハマー(Northen Tihama)の様子とはそれほど違いが無い様に思い込んでいた。

 

バドル フナイン(Badr Hunain)からスワル(Thuwal)、ジェッダ(Jeddah)およびライス(Al Laith)を抜けて、ムザイリーフ(Al Muzaylif)までの間のティハマー海岸(Tihama)は私にとっては未踏破地域であり、何度か訪問しようとしていた。しかしながら、リヤド(Riaydh)から車で訪れるには少なくとも二泊三日は必要であり、休日を利用してトッレクしていた私はこの訪問をついつい後回しにしてしまい、帰任するまでにその機会は作れなかった。

 

アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)のあるスワル(Thuwal)はジェッダー北部(Northern Jeddah)と一般的に扱われているが、ジェッダーの紹介で触れなかった事もあり、ここでラービグ(Rabigh)と共に紹介する。ジェッダーとラービグの直線距離は150kmであるのにそれ以上の距離が文中に出てくる。「これは車での走行距離を示している」と思われるのでここでは敢えて修正していない。

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緒言

 

ラービグ(Rabigh)は古代から幾つかの異なる名前で文献に記録されている古い町である。シーア派はイスラムの誕生の時期に「ムスリム社会指導者としてのアリ(Ali ibn Abi Talib)が任命された場所である」と考えており、毎年、エイド ガディール(Eid al Ghadeer)としてこれを祝っている。それ以外にはラービグ(Rabigh)は歴史的には常に脇役であり続けた。アブドゥッラー国王(King Abdullah)が推進している経済政策の下でのラービクの開発は目覚しく、歴史上、初めてこの地方が主役と成ったばかりでは無く、発展する二十一世紀のサウジアラビアを代表する地方となっている。特にペトロラービグ(Petro Rabigh)、アブドゥッラー経済都市(King Abdullah Economic City)およびアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)(King Abdulla University of Science and Tecnology)はアブドゥッラー国王(King Abdullah)の治世を代表し、躍進する二十一世紀のサウジアラビアを象徴する事業でもある。

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ラービグの紹介

 

1. ラービグの地理

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1.1 ラービグの位置

 

ラービグ(Rabigh)の緯度・経度は22° 47' 55”N39° 1' 56”Eであり、マッカ・ムカッラマ州(メッカ州)(Makkah Al Mukarramah Emirate)北部のマディーナ州(Al Madinah Al Munawwarah Emirate)との州境に近いサラワト山脈(Al Sarawat Mountains)と紅海に挟まれた幅が狭く南北に長いティハマ海岸平地(Tihama)に位置している。この辺りにはラハト熔岩地帯(Harrat Rahat)から南東に延びた舌状の張り出しが真近まで迫っており、ラービグ周辺の海水温は比較的高いと云われているのは伏流水が温泉となって海底から湧き出している可能性もある。

 

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Original: http://www.athagafy.com/maps/Fig-12.jpg

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http://www.sgs.org.sa/content/images/Fig%203.jpg

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1.2 涸れ谷ラービグとクンム池

 

涸れ谷ラービグ(Wadi Rabigh)はラービグ(Rabigh)の町から内陸に入り込んでおり、マディーナ州(Al Madinah Province)とマッカ州(Makkah Province)の州境に沿って延びている。35km内陸のハッカク(Al Haggag or Al Hakkak)の近くにはヨシ(Reed Phragmites)に縁取られ、幾つかの涸れる事の無い泉から水の流れ込む自然の湖があり、ジェッダ(Jeddah)より北のティハマー低地(Tihamah)では珍しい自然の湿地帯を作り出している。

 

 

ガディール クンム(Ghadir Al-Khumm)(クンム池)は「クンム池のハディス(Hadith of Pond of Khumm)」に述べられている様に涸れ谷ラービグ(Wadi Rabigh)の中にある。この池は預言者ムハンマド(Muhammad)が「クンム池として知られている」と言った事件で歴史的に有名である。その内容や意味については論争があるものの、スンナ派(Sunni Muslim)およびシーア派(Shia Muslim)共に受け入れている。泉の湧き水で涸れ谷の中に作り出された池や湿地帯はメディナ・メッカ道路(Road from Medina to Mecca)の現在のラービグ(Rabigh)であるジョフファ(Al Johfa)から東に4kmから6km位で、メディナとメッカからはそれぞれ180kmの位置にある(22°49′30″N 39°4′30″E)。この池の周囲は厚い森で囲まれ、預言者のモスク(Mosque of Prophet)がこの池と泉の間にあった。

 

この池はシリア(Syria)とイエメン(Yemen)を結ぶ乳香の道(Incense Route)にあり、メディナとメッカの間のアラビアでも最も乾燥した地方であるのにもかかわらず、旅人はここで水を補給できた。

 

632315日に最後の巡礼(Hajjat al-Wada')からの帰る途中の預言者ムハンマドの隊商は同じく巡礼(Hajj)からメディナ(Medhna)に戻る途中のムスリム(Muslims)の一団と共にクンム池(Pond of Khumm)で止まった。ここでムハンマドは説教を行った。その内容が論争と成っている。スンナ派は不条理な批判に曝されたアリ(Ali)へのムハンマドによる擁護であると考えているのに対して、シーア派はムハンマドを後継するムスリム社会指導者としてのアリ(Ali ibn Abi Talib)の任命であると考え、シーア派は毎年、エイド ガディール(Eid al Ghadeer)としてこれを祝っている。

 

() アリ(Ali ibn Abi Talib)600年頃 - 661127日): イスラーム教の第4代正統カリフ(在位656 - 661年)で同教シーア派の初代イマーム。

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1.3 ラービグの珊瑚礁

 

KFUPM環境・水資源センターユーセフ ファドラッラー氏(Yusef Fadlallah)

 

1998年に生物分布調査の為の広範囲な測量が紅海東岸の二ヶ所で、沿岸と沖合いの珊瑚礁に対して行われた。一ヶ所はイエメン(Yemen)との国境に近いジザン(Jizan)の海岸沿いで、もう一ヶ所はジェッダ(Jeddah)から紅海に沿って140km北のラービグ(Rabigh)の海岸に沿った北緯22°33' から 22°58' までの地域で、199812月に測量された。ジザンでの測量は最初であったが、ラービグでは199710月にすでに行われていた。

 

199710月の観察の際にはラービグ沖合いの裾礁(Fringing Reef)や珊瑚礁堆(Reef Bank)は魚類の共存を伴う、広範囲で生き生きとした硬軟両方の珊瑚の群生が見られた。同じ海域が19988月から9月に起きた夏季漂白の結果、破滅的な死滅が広範囲に渡って発生した。裾礁の被害は特に甚大であり、アナサンゴモドキ属(Millepora)を含む硬質珊瑚および軟質珊瑚は珊瑚礁の表面から95%以上が失われた。珊瑚賞の頂や背そしてとくに水深15mの珊瑚礁の付け根に沿って重大な死滅が発生していた。ミドリイシ属(Acropora)は特に猛烈な被害を受け、ハナヤサイサンゴ属の一種(Pocillopora verrucosa)、ショウガサンゴ(Stylophora pistillata)およびハマサンゴ属(Porites)は壊滅的であり、1997年の観測の際に珊瑚礁の頂を被っていたアナサンゴモドキ属(Millepora)に至っては死滅率が100%であった。

 

ラービグの海岸から25kmにあった沖合い珊瑚礁堆(Offshore Reef Bank)も例外では無く、珊瑚の死亡率は前の観測と比較して約70%が死滅してしまったと推定される。紅海中央ラービグではの温度の影響が明らかに漂白の原因であり、その結果がラービグ海岸での珊瑚の大量死滅である。ラービグで観察される死滅は50 km x 20 kmと広範囲に及ぶけれどもその他のサウジアラビア側の紅海岸に沿った珊瑚での広範囲におよぶ漂白と死滅に関する情報は得られていない」

 

と同氏の著書「紅海における珊瑚礁の破壊と漂白(Reef Destruction and Bleaching in the Red Sea courtesy of Yusef Fadlallah)」の中で述べている。

 

 

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1.4 ダイビング スポット

 

ラービグはジェッダの北40kmにある観光村デュッラト アルス(Durrat Al Arus)の北ではジェッダにもっとも近く、ほどほどに出入り可能な潜水の為に開放されている海岸である。沿岸警備隊の事務所がアラムコのコンパウンド(Aramco Compound)と紅海岸の間にある。まず、沿岸警備隊事務所に届けを出し、南へとアラムココンパウンドを回り込み、その北側の長く開けた海岸に出る。

 

殆どの場所で潮間帯(Intertidal Area)90mから150m位であり、主要な礁(Main Reef)にたどり着くまでかなり歩いたり泳いだりする必要がある。沿岸警備隊の監視用土塁ではこの礁まで殆ど岩と砂の浅い海を歩いて約15分で到達できる。この海岸は特に冬にはキャンプ地としても最適であった。

 

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2. ラービグの歴史

 

ラービグ(Rabigh)は紅海岸の古代からの町で、17世紀の始め頃まではジョフファ(Al Johfa)と呼ばれていた。言い伝えによれば「この町は海水で完全に破壊された。その後、復興された時にラービグと改名された」と云う。ラービグは元々は港であり、海岸に位置していたが、現在の町は少し内陸に入り込んでいる。

 

ラービグが古代の町として形成された時期についての史料を私は探し出せないでいる。ギリシア歴史家ストラボ(Strabo)著の「地理学(the Geography of Strabo)」での「紀元前24年から行われたローマ帝国軍の古代南アラビア(ヒムヤル国)遠征」の記事で「司令官ガルス(Aelius Gallus)に率いられた遠征隊はその帰路、川の近くに在るマロサ(Malotha)と呼ばれる別の村に着いた。それから遙かに遠いエグラ(Egra)と呼ばれる村まで僅かな水場があるだけの沙漠の国を通過した」と記述されている。マロサ(Malotha)は現在のジェッダ(Jeddah)であり、エグラ(Egra)はヤンブー(Yanbu)であるので、少なくともここで僅かな水場と述べられているのはラービグであったと推定できる。更にマディーナ(Madinah)やメッカ(Mecca)も近く、それぞれの都市への隊商路の水場であった地理的な位置から脇役ではあっても歴史的には常にその名が出て来ている。

 

http://saudinomad.karuizawa.ne.jp/jeddah-2/Gallus%20Itinerary.JPG

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2.1 乳香の道の水場

 

イエメン(Yemen)から北上してきた古代の乳香の道は水場としてのラービグ(Rabigh)付近を通過した後にヤンブー(Yanbu)を経てエジプト(Egypt)に向かう隊商路とマディーナ(Madinah)を経てシリア(Syria)に向かう隊商路に分かれていた様である。

 

 

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2.2 バドルの戦い

 

624317日(ヒジラ暦(Hijiri Calender)2年ラマダン17日)のバドルの戦い(Battle of Badr)はイスラム(Islam)初期の主要な戦いであり、ムハンマド(Muhammad)とその出身部族であるメッカ(Mecca)のクライシュ族(Quraish)内の敵との闘争の転機でもあった。この戦いは神性の干渉(Devine Intervention)に帰する決定的な勝利としてイスラムの歴史で代々伝えられて来た。(非宗教的な出典によればムハンマドの天稟に帰する決定的な勝利となる。)この戦いはムスリム(Muslim)の聖典クルアーン(Qur’an)に特別に記載されている数少ない戦いの一つであるが、実際にバドルの戦いに関する現在の全ての知識はこの戦いの数十年後に書かれたムハンマドの言行録(Hadiths)と伝記の双方に書かれた伝統的なイスラムの記述に基づいている。

 

この戦いに先立ち、ムスリム達(Muslims)とメッカの住人達(Meccans)623年後期から624年初期にかけて何回かの小さな小競り合いを戦っている。その一つがラービグでの小競り合い(Skirmish in Rabigh)である。

 

622年のヒジラ(Hijira)の翌6231月にムハンマド(Muhammad)はハリス(Harith)の息子オベイダ(Obeida ibn Harith)にシリア・メッカ交易路(Syria to Mecca Trade Route)に沿って通過するクライシュ族指導者アブ サフヤン(Abu Sufyan, 560 - 650)が率いる隊商への襲撃隊を指揮する様に命じた。この隊商がラービグ谷(Valley of Rabigh)で給水している時にオベイダの襲撃隊は遠くから矢を一斉に放った。被害は出なかったが、アブ サフヤンが攻撃から逃れる為に進路を変えた。この一件でオベイダはイスラム(Islam)の為に最初に矢を放った男との栄誉を与えられた。623年の冬と春の間、他の襲撃隊がムハンマド(Muhammad)によって派遣されていたが、問題があって特に有効でも無く、破壊的でも無かった。オベイダの襲撃隊へ仕返しをする為にアブ サフヤンはメッカに武装部隊を要請し、その部隊がバドルの戦い(Battle of Badr, March 17, 624)で交戦する事となった。

 

その後、ムハンマド自身が加わる戦い(Ghazawat)も多くなったけれどもバドルの戦いが両勢力の最初の大規模な交戦であった。予めバドルに進軍して強力な防御地点を確保したムハンマドの良く訓練された男達はムハンマドの最大の敵対者であるアムル イブン ヒシャム(Amr ibn Hisham)を含む何人かの重要なクライシュ族の指導者達を殺害し、メッカの男達(Mecccan)の進路を遮断するのに成功した。初期のムスリム達に取って「ムスリム達が最終的にメッカの敵を打ち負かせるだろう」との最初の兆しであったのでこの戦いは飛びぬけて重要であった。この時のメッカはアラビアでもっとも豊かで強力な多神教の都市であり、ムスリム達の三倍の軍勢を有していた。このムスリム軍の勝利はアラビアに新勢力が勃興した事を他部族に知らせると共に脆弱なメディナ(Medina)社会の指導者としてのムハンマドの権威を強くした。

 

ムハンマドがバドルの戦い(Battle of Badr, March 17, 624)とウフドの戦い(Battle of Uhud, March 19, 625)で生き残り、メディナ(Medina)に平和と繁栄を保証した後、この地方のアラブ部族はイスラムに改宗し、メディナのムスリムたちと同盟を結び始めた。そしてこれがイスラム拡大(Muslim Conquests, Islamic Conquests or Arab Conquests, 632 - 732)の前触れであった。

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2.3 巡礼路と4基のトルコ要塞

 

エジプトからの巡礼順路(Egyptian Route)或は北西海岸駱駝隊商路のヤンブー バフル(Yanbu al Bahr)からマッカ(Makkah)への間にはヒスン ジョフファ(Hisn Joffah)、カアルアト クライス(Qaal’at Khulays)、カアルアト ウスファン(Qaal’at Usfan)およびカアルアト デュカン(Qaal’at Dukhan)4つの要塞(Haj Qaal’ats or Pilgrimage Forts)が並んでいた。

 

(「ヒジャーズ南部」参照)

 

これらの要塞は黒い熔岩を用いたどっしりとした構造、一つの正門と一重の城壁、塔の様に見える二、三の円くなった控え壁、控え壁の最上部の監視所、周囲が見渡せる立地とそれ故で井戸が無かった事等の共通した建設上の特徴があった。それぞれの要塞は聖都マッカ(Holy City of Makkah)へ旅する巡礼達のとって駱駝騎乗での一日行程である約50km毎に建てられていた。これら4基の要塞は少なくとも200年くらい前の物であると推定されている。

 

スイスの探検家ジェーン ルイス ブルクハルト(Jean-Lous Beurckhardt, 1786 -1817)(ヨハン ラドウィグ ブルクハルト(Johann Ludwig Burckhardt))はマッカ(Makkah)からマディーナ(Madinah)へ向かう途中の1815年にヒスン ジョフファ(Hisn Joffah)に立ち寄っている。ブルクハルトは又、クライス(Khulays)およびウスファン(Usfan)にも訪れている。

 

これらの遠く離れた小さな砦で一年中生活するのは評判の悪いトルコ兵には不可能であった。ブルクハルトは1815年にクライス(Khulays)で「この任務はこの地方の村人達と友好的な第三国のモロッコ人(Moroccans)に委ねられた」と記述している。その内の何人かはオスマン帝国軍から退役する前にここで家族生活を始めていた。

 

クライスではエジプトからの巡礼路とダマスカス(Damascus)からのシリア巡礼路が合流していたので、時代と共に異なった社会の競争と激しい小競り合いがあった。チャールズ モンタギュー ダウティ(Charles Montague Doughty, 1843 - 1926)1874年に砦に到着する熱心で混雑している巡礼達がこの地方の商人達から物品を買っている様子について述べていた。ダウティは巡礼達と共にそのルートの一部を旅して居り、夜毎の幕営の設置、オスマン帝国軍護衛の早朝射撃の合図での天幕撤収、異邦人に対する土地の人間による不法な殺人や強盗等の繰り返される攻撃やマッカ(Makkah)に近づく前の浄化儀式の挙行等々、巡礼生活を自ら直接経験していた。隊商が到着すると砦側が休息と食事を提供するのはトルコ護衛騎兵のみであり、豊かな巡礼は自分の召使達によって設営された天幕が使えたが、一般の巡礼は毎夜のごとく自ら幕営の設置をしなければならなかった。

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2.4 ヒスン ジョフファ要塞

 

ヒスン ジョフファ(Hisn Joffah)はラービグ(Rabigh)の南東9kmに位置し、その北側の城壁が壊されているけれども、ヒスン ジョフファは姉妹砦のクライス(Khulays)およびウスファン(Usfan)よりも良好に保存されている。砦の周辺の地勢は砂利混じりの砂であり、幾つかの場所では滑らかで柔らかい砂丘が高い吹き溜まりを作っている。涸れ谷ハルク(Wadi al Halq)が南に向かって流れて居り、涸れ谷の岸からの景色は美しい。谷は海に向かって広がって居り、そこから遠くに不明瞭なファラサン山(Jebel Farasan)の影が見える。

 

ヒスン ジョフファは砂丘の間にぽつんと建っている居り、疲れた巡礼達へのハッキリした目印であっただろう。これは岩だらけのどっしりとした砦で、その残っている三方の城壁は涸れ谷の岸辺に向かって突き出している。指の様な砂の筋が砦の側まで迫り、熔岩の黒い石造りの城壁とくっきりと対照となっている。門があったと思われる北側の城壁は壊れている。

 

 

この砦の大きさは40mx40mである。ヒスン ジョフファの特徴は南側の城壁の11の高いアーチに支えられた監視小屋にある。有利な場所から兵士は迫ってくる攻撃者達への警戒が出来たし、その夜を過ごす為にやってくる旅人が近づくのを知る事も出来た。城壁の内側は開けて居り、50名余りの軍勢をその騎乗する馬や駱駝と共に収容できた。ここには井戸が無いので、飲み水は砦から2km南のビール ジャファ(Bir al Jafa)から運んでいた。ビール ジャファは現在のジョフファ メエガト(Joffah Meegat)で、巡礼達がマッカ(Makkah)に入る前に必要な儀式を行う宗教上の場所となっている。

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2.5 アラブの反乱(Arab Revolt, 1916 - 1918)・ローレンスとの関わり

 

アラブの反乱(Arab Revolt)はラビーグ(Rabigh)と直接は関係ないが、「英国がアラブ族に約したラービグへの軍隊と航空機の派遣を反故にした事も契機となりこの反乱が組織され、オスマン帝国のアラビアからの敗退につながった」とされているので、ここに「パリ講和会議におけるロレンスとアラブ部隊の申し立て(T.E. Lawrence and the Arab Cause at the Paris Peace Conference)」の一部を抄訳した。

 

191512月にマーク サイクス卿(Sir Mark Sykes, 1879 - 1919)は英国政府に「英国がパレスティナ(Palestine)とシリア(Syria)への侵略を開始すれば、それがこの地域のアラブ語を喋る人々によるトルコ(Turk)への反乱の引き金になるだろう」と報告した。この様な反乱はメッカのシェリフ兼アミール(Sherif and Emir of Meccca)フッセイン イブン アリー(Hussein ibn Ali, 1854 - 1931)によってこの6月に宣言されていたが、具体化するのに失敗していた。サイクス卿の主張を導いた事件には上司でエジプト・スーダン駐在英国高等弁務官(His Majesty's High Commissioner in Cairo)ヘンリー マクマホン卿(Sir Henry MaMahon, 1862 - 1949)とフッセインの間の密接な書簡の往復が含まれ、その書簡でフッセインは自分の目的と自分の仲間の目的を明快にしていた。彼らはアラブ独立の達成を求めていた。

 

191610月にロレンス(Thomas Edwrad Lawrence, 1888 - 1935)は外交官ロバート ストーズ卿(Sir Robert Storrs)に同行して、ジェッダ(Jeddah)に向かっていた。ストーズはフッセインの息子の一人アブドゥッラー イブン フセイン(Abdullah ibn Hussein, 1882 -1951)に「保証したのと反対に英国政府はジェッダから海岸沿いを北上した紅海の港ラービグ(Sea Port of Rabigh)に軍隊も航空機も送れない」と告げなければ成らなかった。ロレンスはアブドゥッラーに「アラブの反乱の可能性を十分に認識する為に自分はフッセインの息子一人一人に会う必要がある」と説得した。アブドゥッラーはロレンスの代理として自分の父に会い、フェイサル イブン フッセイン(Feisal ibn Hussein, 1883 - 1933)等の自分の兄弟達と会う為に涸れ谷サフラ(Wadi Safra)と呼ばれる場所まで内陸の沙漠をロレンスが旅する許可を得て来た。それ程、アブドゥッラーはロレンスに感銘を受けていた。フェイサルとの最初の会合についてロレンスは「自分は第一印象で、この男が、自分がアラビア来て、アラブの反乱を栄光に導く為の指導者として捜し求めていた人物だと感じた」と述べている。

 

ロレンスはアラビアからカイロ(Cairo)191611月に戻った。しかしながら、ロレンスは直ぐにアラビア半島に戻り、ゲリラ戦を始める為に191612月にヤンブー(Yanbu)でフェイサルと合流した。沙漠を盾としてアラブとロレンスはメディナ(Medina)まで南に下っていたヒジャーズ鉄道(Hejaz Railway)を攻撃した。僅かな混乱を起こしたに過ぎないが、それでもその攻撃はメディナに迫っていたトルコ軍の増強を妨げた。厳しい環境と気候がロレンスの身体を蝕み、ロレンスと共に騎乗していたベドウイン(Bedoun)はロレンスにエミール ダイナマイト(Emir Dynamite)と綽名した。ロレンスは外貌も生活習慣もアラブ人と成って来た。

 

 

 

191776日にアラブ軍はトルコ軍によって守備され、紅海の南パレスティナ(South Palestine of Red Sea)に位置するアカバ港(Aqaba)を攻略した。この港は陸上の砲台を装備されていた。この砲台は水路に面し、パレスティナを保護する為に必要となる紅海の北東域に英国海軍(Royal Navy)が入るのを妨げた。アカバでの勝利は差し迫った英国のパレスティナ侵略への道を開き、この戦略的な港を奪い取った。この攻撃でロレンスはアラブ部隊の有効性を認め、そしてアラブが独立国を主張する為の戦いへの決心に油を注いだ。

 

1916年に締結されたサイクス・ピコ協定(Sykes-Picot Agreemen)(オスマン帝国領分割の秘密協定)と1917年のバルファア宣言(Balfour Declaration)(ユダヤ人のパレスティナにおける母国建設に対する支持の約束)に反してロレンスは「英国は戦後にアラブが独立国家を建国する権利を認める」と継続してアラブに約束していた。

 

ロレンスにはその様な約束をする権威は認められては居なかったが、アラブ部隊がトルコに対する戦闘を続けさせる為には他に選択肢は無いと感じていた。ロレンスが中東に関する英国の秘密協定に気が付いたかは明らかでは無かったが、戦争が進むに連れてサイクス・ピコ協定の有効性では英国は納得しない事を知った。

 

ロレンスとアラブ部隊に感謝しつつ、英国は1917年秋には首尾良くパレスティナ(Palestine)を侵略し、エルサレム(Jerusalem)へと北進を続け、1211にはこの市に到達し、そこからシリア(Syria)の心臓部であるダマスカス(Damascus)へと進軍した。

 

オーストラリア軍の2日後1918101日にロレンスとアラブ部隊はダマスカスに入城し、オスマン帝国(Ottoman Turks)に対する勝利が達成された。後にロレンスは「アラブ部隊がダマスカスを征服し、その結果としてアラブ部隊はシリアを領有できる」と主張した。不幸にもダマスカス陥落の祝賀の最中にロレンスが沙漠の戦闘で目撃しているアラブ部族の修復し難い部族意識が再度、噴出した。フッセインがヒジャーズ(Hejaz)の西隣の部族を落ち着かなく感じた講和会議(Peace Conference)の最中にも部族意識は再び現れた。

 

イブン サウード(Ibn Saud, 1880 - 1953) (Abdul Aziz bin Abdul Rahman ibn Faisal Al Saud)はアラビア半島では英国の援助を得たもう一方の勢力であった。英国外務省インド局(Anglo-India Office of His Majesty's Foreign Office)の激励と援助を得て、イブン サウードは次第にアラビア半島の中央州および東部州を事実上支配する様になった。インド局はインドへの交通路を保持し、保護する必要性に腐心しており、英国とインドの間の航空路開設の可能性を模索していた。英国にとっては半島西岸のヒジャーズ(Hejaz)だけでは無く、半島全体が英国に友好的になる事も英国権益にとって重要であった。

 

イブン サウードはアラビア半島の中央部および東部で英国権益を守る為に英国が選んだ男であった。イブン サウードがスンナ派(Sunni)の支配をヒジャーズ地方に及ばすまで中央州の支配を西へと広げたのに伴って、ワッハーブ派イスラムも西へと広まった。間も無くフッセイン派のスンナ アラブ族とイブン サウードのワッハーブ派の間の小競り合いが起き始めた。

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2.6 アラムコ ラービグの製油所(ARAMCO Rabigh Refinery)

 

ペトロミン(Petromin)は国際ペトロラ社(Petrola International)とラービグ(Rabigh)32.5BPDの輸出用製油所建設を26.2億ドルで契約した。この製油所は出資比率5050のペトロミン(Petromin)とギリシャ企業ペトロラ社(Petrola)両社の合弁企業であった。ペトロラ社は二期に分けた工事の設計、調達、建設および試運転業務を提供した。第一期工事は貯槽基地、海上施設およびユーティリティ施設を含み、1982年完成を目指し、第二期工事はナフサ脱硫装置(Naphtha Hydrotreater)、接触改質装置(Catalytic Reformer)、流動接触分解装置(FCC) (Fluid Catalytic Cracking)および石油精製設備(Visbreaking Units)を含み、1986年完成を目指していた。この製油所では軽質および中質原油の精製を予定していた。(ペトロミンは米国ケンタキー州(Kentucky)のアッシュランド石油社(Ashland Oil Inc.)とこの製油所の製品を原料として5BPDの潤滑油精製所の合弁事業も検討していた。)この製油所は40BPD 1990年に稼動を開始した。

 

1980年代後半までにサウジ政府はペトロミン(Petromin)の活動を引き継ぐ会社を設立する事を決め、サマレク (Samarec) (The Saudi Arabian Marketing and Refining Company) 1988年に王国の内外に石油製品を精製し売り出す為に設立された。サマレクは外国企業との合弁会社を監督した。サウジ政府はサマレクに1990年代前半に主要な国内製油所の近代化を命じた。その費用は50億ドルを越え、ペトロラ社は撤退した。1993年にサマレックはサウジアラムコに統合され、1995年にこの製油所はアラムコ100%所有へ移管された。

 

19961223日にサウジアラムコは17.9億ドルを投資し、ラービグ製油所を更新する計画を立てた。この更新は製品に占めるガソリンやケロシン等の軽質留分を増し、過剰生産となっていた重質留分を減らす目的であり、この為にこの製油所の精製能力は32.5BPDから28BPDに減じられる。この計画には17.2BPDの減圧原油蒸留装置(Crude Vacuum Distllation Unit)5.5BPDの脱硫装置(Hydrotreater)付き連続式ナフサ接触改質設備(Continuous Catalytic Naphtha Reformer)および10BPDの水素化分解能力(Hydrocracking Capacity)が含まれていた。この計画の建設は1999年早期に始め、200111月までに完成する予定であったが、1998年の通貨危機の影響で中止された。

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3. 発展する二十一世紀 ラービグ

 

3.1 概要

 

ラービグ市(Rabigh City)の海岸線は広くアラムコ製油所(ARAMCO Refinery)で占められている。サウジ アラムコ(Saudi ARAMCO)の製油所は日本の住友化学㈱との合弁事業(Petro Rabigh)として新しい石油化学プラントの建設が完了し、その川下関連産業の団地(Rabigh CIP)も整備されている。その海岸線の北にはサウジ淡水化公社(SWCC)の造水工場があり、海岸線の南にはサウジ電力会社(SEC)の発電所やサウジセメント会社(Arabian Cement Company)のセメント工場があり、ラービグ(Rabigh)から南約40kmの場所ではアブドゥッラー国王(Custodian of the Two Holy Mosques King Abdullah bin Abdul Aziz Al Saud)の主導で新たにアブドゥッラー経済都市(KAEC)が建設中であり、その中には工業バレー(ENTAJ)も準備されつつある。その更にラービグ(Rabigh)から南約50kmジェッダ(Jeddah)の北約80kmにはアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)が新設され、20099月には開校する。この様にラービグ(Rabigh)は工場・製油所・発電所および経済都市や科学技術大学等が増設・改造、新設され、「発展する二十一世紀のサウジアラビア」を代表する地域と成っている。

 

 

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3.1.1 ラービグ市(Rabigh City)

 

ラービグ市(Rabigh City)の人口は約10万人であり、教育機関としては男女それぞれの多くの小学校、中学校、高等学校があり、女子については英語科とコンピュータサイエンス科からなる新しい女子大が出来た。周囲の開発事業の影響でラービグ市では住宅が不足している。ラービグに移住しようとするなら、先ず住宅を確保しなければ成らない。市内にホテルが一軒あるが、常にアラムコ関係の訪問者か、開発事業関連の外国人で満員である。「アパートの賃貸料はだいたい年間15,000から35,000サウジリアルであり、年間25,000サウジリヤルで3部屋付いた質の良いアパートが借りられる」と云う。医療機関(Medical Service)としては国営のラービグ病院(Rabigh Hosipital)と民間の2つの小病院と歯科医がある。ラービグ病院には何処の病院でも必要とされる殆ど全ての診療所があるが、大手術を行う能力は無い。

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3.1.2 高速道路(High Way

 

交通省(Ministry of Communications)はカシーム(Qassim)、マディーナ(Madinah)、ヤンブー(Yanbu)およびラービグ(Rabigh)を結ぶ総延長826kmの高速道路を予算8億ドルで民営化する計画を立てていた(2002年)。この計画は3期の工事に分かれ、第一期工事はカシームとマディーナ間(448km)で片側3車線の往復道路であり、リヤド(Riyadh)・カシーム(Qassim)高速道路終点からバケリヤ(Bakeriya)・リヤド(Riyadh)・コバール(Al Khobar)間の高速道路との交差までである。第二期工事はマディーナとヤンブー間(154km)の接続であり、マディーナの第三環状道路から分れ、スダイラ村(Sudaira Village)およびファクラ山塊(Faqra Mountains)を通過し、現在のヤンブー道路と交わり、ヤンブー・ラービグ間の高速道路と接続する。第三期工事はヤンブー・ラービグ間(133km)の幹線道路だと思われる。この道路はラービグからスワル(Thuwal)(65km)まで延長され、ジェッダ(Jeddah)・マディーナ高速道路に接続されているので「Qassim-Madinah-Yanbu-Rabigh-Thuwal Expressway」との呼び名も付けられている。

 

この新しい幹線道路(Highway)はヤンブー工業都市および同市にあるファハド工業港(King Fahad Industrial Port)から物資を特にマディーナ(Madinah)、カシーム(Qassim)およびリヤド(Riyadh)方面に運搬するのに使われると期待されている。さらにこの計画では海岸都市間の輸送が促進される経済効果が大きく、北部のタブク(Tabuk)、ワジ(Wajh)およびデュバ(Dhuba)も恩恵を受けれると考えられていた。

 

この道路計画のもう一つの大きな目的はこの道路が通過するカシームとマディーナおよびマディーナとヤンブーの間の多くの農場地帯での農業の発展であり、又マディーナの預言者のモスク(Prophet’s Mosque)やバドル フナイン(Badr Hunain)およびヤンブー等の史跡、さらに5kmにもおよぶヤンブーの海岸公園(Corniche in Yanbu)へに観光開発促進も目論んでいた。

 

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この道路プロジェクトは民営化の成功例として2008924日にSAMA(Saudi Arabian Monetary Agency)のハマド サヤリ総裁(Gov. Hamad Al-Sayari)が紹介して居る。又、施行業者のビンラーディン(Saudi Binladin Group)は国際道路連盟(IRF)(International Road Federation)から200510月に革新的資金調達賞(Inovative Finance Award)等を受賞している。

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3.1.3 空港(Airport)

 

既存のラービク空港(OERB, 22° 42' 9N  39° 4' 11E)はアラムコ ラービグの製油所(ARAMCO Rabigh Refinery)の直ぐ東にあり、滑走路は長さ2,359m・幅32mでアスファルト舗装されている。サウジ アラムコの定期便が就航し、ダハラン(Dhahran)、アブケイク(Abqaiq)、タナジブ(Tanajib)等のコンポウンドやキャンプの間の人員・資材の空輸を行っている。民間航空の定期便は就航して無いが、Citation, Hawker, Lear, Falcon, Challenger, Gulfstream, Global Express, Boeing Business Jet等のチャーター便の来航は受け入れており、ジャンボジェット(Jumbo Jet)の離着陸も可能である。

 

 

既存の空港(OERB)とは別にラービグ内のアブドゥッラー経済都市(KAEC)(King Abdullah Economic City)の一部として国際空港の建設が予定されている。この為に同経済都市の敷地は55平方キロ(55km2)から168万平方キロ(168km2)に拡張され、建設予算も約270億ドルから約530億ドルに増額されている。

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3.1.4 鉄道(Transportation Railways)

 

「二つの聖都を結ぶ鉄道(Haramain Railway or Makkah-Madinah Railway Link (MMRL))」が新たにラービグ(Rabigh)を通って建設中である。交通大臣兼サウジ鉄道機構総裁ジャバラ サライスリ(Jabara Al-Seraisy)2006523日に民間との共同投資でマッカ・マディーナ間の高速鉄道建設を提案した。アブドゥッラー国王は特にハジやラマダンの時期での二つの聖都間の交通渋滞を緩和する為に国内資本を使ってこの提案を実施する事を2008220日に承認した。この鉄道は当初はメッカ・メディーナ鉄道(MMRL)(Makkah-Madinah Rail Link Project)と呼ばれていたが、現在は「二つの聖都を結ぶ鉄道即ちハラマイン鉄道(Haramain Railway)」と呼ばれている。この鉄道は2つの聖都の間でウムラ(Umrah)とハジ(Haj)の巡礼客を輸送する為に建設されるので安全、快速、信頼性、乗り心地よさが求められる。利用客はハジ(Haji)の季節に250万人、ラマダンの季節に200万人の他、ウムラ(Umrah)が年間550万人等年間1,000万人の巡礼の利用が見込まれる。さらに3.27%で増えている現在のサウジ国内人口2,800万人の利用を考慮すると年間2,000万人の利用客が考えられ、この数字は2020年までには3,000万人に達すると予想される。この鉄道の完成でジェッダ港の荷扱い量は40%増えると見込まれるので、ジェッダ港では4.3億ドルかけて新たにコンテナー埠頭(Container Terminal)2009年中に完成させる予定である。

 

この鉄道の列車は時速300kmで運行され、ジェッダ・メディーナ間の410km2時間足らず、ジェッダ・メッカ間の78km30分で走行する。この鉄道の延長は約500kmで新型の高速電車が採用され、最新の信号・テレコムシステム(Modern Signaling and Telecommunications Systems)も併設される。ハラマイン鉄道の駅はメッカ(Makkah)、ジェッダ(Jeddah)、マディーナ(Madinah)およびラービグのアブドゥッラー国王経済都市(King Abdullah Economic City in Rabigh)の四つである。サウジ鉄道機構(SRO)は国内業者が日米英等の企業とコンソーシアム(consortium)を組む事を期待し、幾つかのコンソーシアムが編成された。その内、Al-Rajhi ConsortiumBinladin-OHL International ConsortiumSaudi Oger ConsortiumおよびSaudi Japanese Consortium4コンソーシアムが資格審査に合格している。第一期工事の第二部には駅舎が含まれているが、第二期工事は鉄道軌道、信号・通信システム、客車の輸入および操業・保全で構成されている。

 

ハラマイン鉄道(Haramain Railway)の建設予算は総額53.3億ドル($5.33 billion)と見込まれており、2009511日にその内の「4つの駅の設計業務」をファスター(Foster & Partners)3,800万ドルで契約し、第一期工事の第二部の「国際標準に合致する技術設計の準備」を英国業者と契約した。又、「土木工事」はラジヒ コンソーシアム(Al-Rajhi Consortium)18億ドルを調印しており、その後、「プロジェクト実施の監督業務」をダール ハンダサ コンサルタント(Dar Al-Handasa Consultant)9,600万ドルで契約している。ハラマイン鉄道建設の第二期工事と最終工事の実施の入札書類は資格審査に合格したコンソーシアムに6月までに渡す予定である。このプロジェクトには電気鉄道、高速鉄道車両の供給とこの鉄道の操業・保全業務が含まれており、建設は設計・建設・操業した後に引渡しとなる DBOT(Design, Build, Operate and Transfer)契約が採用される。

 

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3.2 ペトロラービグ(Petro Rabigh)

 

3.2.1 ペトロラービグ(Petro Rabigh)の誕生

 

ラービグの工業は現在、活況を呈している。ペトロラービグ(Petro Rabigh)はアラムコ ラービグの製油所(ARAMCO Rabigh Refinery)に新設された世界最大の石油化学プラントである。この製油所はジェダ(Jeddah)の北165kmの紅海岸に位置し、3,000エーカー(12.14平方キロ)の敷地を保有し、1989年に操業を開始している。アラムコはラービグ製油所(Rabigh Refinery)を単に増強しようと考えていたが、今世紀に入ってからは急速に成長する石油化学工業とその原料に対するずば抜けて豊富で安定したアラムコ自身の供給能力に着眼し、その可能性についても検討を始めた。

 

その頃まではサウジアラビアで生産される原油・ガスは比較的低価格の石油製品か、単に燃やすだけのガスに転換されてきていたが、この製油所は紅海の海岸に位置しており、その喫水の深い港を利用して、簡単にアジアやヨーロッパの市場に出荷できる事からアラムコはラービグでの新たな分野開拓の可能性を見出した。この時点で、アラムコは石油化学工場を操業して居らず、それを成功させる企業にするには最新鋭の技術を持ち、そして石油化学製品の市場における世界的な専門的知識が必要であった。これら全ての重要な観点につては住友化学㈱(Sumitomo Chemical Co Ltd)によって最終的に充足された。住友化学㈱はこの業界での世界的に指導的立場にあり、石油化学工業のすでに確証されている革新技術を持っていた。この様にしてペトロラービグ(Petro Rabigh)は誕生した。

 

なお、ペトロラービグ(Petro Rabigh)については「豊かなオアシスに恵まれた原油の宝庫(サウジアラビア王国東部州)その2原油の宝庫5.3 ペトロラビーグ 」でも触れている。

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3.2.2 合弁事業の企業化調査

 

サウジアラムコ(Saudi Aramco)(Saudi Arabian Oil Co)は原油精製能力が42.5BPDのラビーグ(Rabigh)にあるトッピング製油所を所有し操業していた。19956月にこの製油所の所有者となって以来、サウジアラムコは幾つかの増強計画を検討してきた。これらの検討の結果、「既存の大容量の精製能力を持つ、このサイトと基盤に大幅な投資を行い、このサイトを広げて石油精製と石油化学のコンプレックス(Integrated Refinery and Petrochemical Complex)とする事が最もシナジー効果(Synergy)がある」との結論となった。

 

サウジアラムコは43億ドルをかけて1985年に建造されたラビーグ製油所(Rabigh Refinery)2008年までに増強(Upgrade)し、巨大な石油化学コンプレックス(Integrated Refinery and Petrochemical Complex)への転用を決め、石油精製品から石油化学製品までの一貫生産大型プラントを建設する合弁事業覚書を200459日に住友化学㈱(Sumitomo Chemical Co Ltd)と調印した。合弁事業に対し、サウジ・アラムコは日量40万バレルの原油、95百万立方フィートのエタン(Ethane)1015千バレルのブタン(Butane)を供給し、住友化学㈱は多岐にわたる独自の石油化学製品の生産技術とアジア全体に及ぶ販売網を提供する。

 

合弁事業の検討が進むに連れ、この事業の内容は見直され、アラムコのラビーグ製油所の拡張を中心として世界規模のエタンベースの分解装置(Ethane Cracker)および重油流動接触分解装置(HOFCC)(High Olefins Yield Fluid Catalytic Cracker)を含むサウジアラビア最大の石油精製・石油化学コンプレックス築く事になった。この分解装置では年間に130万トンのエチレン(Ethylene)および90万トンのプロピレン(Propylene)、合計220万トンのオレフィン(Olefins)を生産すると同時に製油所製品として日産6万バレルにガソリンを生産する。

 

下流石油化学装置もオレフィン製品全量(All of Olefins Production)を川下製品(Downstream Products)に転換する為に包括しなければならなかった。本計画に予定されている石油化学誘導品としては

 

1. ポリエチレン(PE)(Polyethylene) 2系列(住友化学㈱の技術による新型ポリエチレン(EPPE)(Easy Processing Polyethylene)を含む) なお、合計年産能力は約75 - 90万トンの予定であり、その内訳は新型ポリエチレン(EPPE) 25万トン、リニアポリエチレン(LLDPE)(Linear Low Density Polyethylen) 35万トン、高密度ポリエチレン(HDPE)(High Density Polyethylene) 30万トンであった。

2. ポリプロピレン(PP)(Polypropylen) 2系列で、合計生産能カは70万トンであり、ホモポリマー(Homopolymer)、ブロックコポリマー(Block Copolymer)、ランダムコポリマー(Random)、ターポリマー(Terpolymer)のフルレンジ(Full Range)をカバーし、コンパウンド(Compound)も予定した。コンパウンドの能カはフイージビリテイ・スタデイー(Feasibility Study)で検討し、決定する事になっていた。

3. 住友化学㈱の技術によるプロピレンオキサイド(PO)(Propylene Oxide)または他のプロピレン誘導品能力はフィージビリティ・スタディーで検討、決定する予定で、プロピレンオキサイド(PO) 20万トンが見込まれていた。

4. 上記以外のエチレン誘導品(侯補としてエチレングリコール(EG)(Ethylene Glycol)、アルファオレフイン(Alpha-Olefin or α-Olefin)等)については、フィージビリテイ・スタデイーで検討し、決定する予定でいた。その内、エチレングリコール(EG)60万トンが見込まれていた。

 

等がある為、次ぎの様なオレフィンの石油化学誘導品製造装置がこの事業計画に含まれていた。

 

1. 住友化学㈱の技術による新型ポリエチレン製造装置(EPPE Unit)(Sumitomo’s Proprietary Easy Processing Polyethylene Unit).

2. リニアポリエチレン装置(直鎖状低密度ポリエチレン装置)1(An LLDPE Unit)(An Linear Low Density Polyethylene Unit).

3. 高密度ポリエチレン装置(硬質ポリエチレン装置又は中低圧法ポリエチレン装置)1(An HDPE Unit) (An High Density Polyethylene Unit).

4. ポリプロピレン装置2(Two Polypropylene Units)

(ポリプロピレン装置はHomopolymerBlock CopolymerRandomTerpolymer等ポリプロピレンポリマー(Polypropylene Polymers)全域を製造できる。)

5. 住友化学㈱の技術によるプロピレン オキサイド装置1(A Propylene Oxide Unit utilizing Sumitomo’s Proprietary Technology).

6. モノ エチレン グリコール装置1(MEG Unit)(A Mono-Ethylene Glycol Unit).

7. ブテン装置(ブチレン装置)1(Butene-1 Unit).

 

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この共同フィジビリティスタディの結果、経済的規模、製油と石油化学の相乗効果、基盤整備状況および石油化学製品の将来性等によってこの事業が有望であると確認され、両社は200581日にこの合弁プロジェクト契約に調印した。その一方でこの合弁プロジェクトの予算規模は当初予想(43億ドル)を大きく上回り、98億ドルと修正された。

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3.2.3 合弁事業投資資金の調達

 

途轍もないこの事業の大きさの為にサウジアラムコと住友化学㈱が中心となって、内外の金融機関からの投資も受け入れ、ペトロラビーグ社(PETRO Rabigh)(Rabigh Refining and Petrochemical Company)を設立し、ペトロラビーグを通じて、この二社はサウジアラビアにおける最初の石油化学合弁会社の事業を開始することに成った。2006319日にサウジアラムコのアブドッラ ジュマ(Abdullah Jum’ah)社長と住友化学㈱の米倉 弘昌社長が石油鉱物資源大臣アリ ナイミ博士の立会いの下で最終事業融資合意書に署名し、2008年末完成予定のペトロラビーグ社(PETRORabigh)(Rabigh Refining and Petrochemical Company)の事業の鍬入れ式を西海岸のラビーグで行った。

 

その席でアリ ナイミ石油鉱物資源相(Ali bin Ibrahim Al-Naimi, Ministry of Petroleum and Mineral Resources)は「ペトロラビーグはサウジアラビアにおける石油化学工業と世界経済にとって新しい推進力である。アブドッラ国王の直接の指示でこの事業の株式の25%は民間から募集する」と述べた。更に2006323日にナイミ石油鉱物資源相は「ペトロラビーグ(Perturbing)25%の民間からの公募はサウジアラビア最初の投資家向け新規株式公開(IPOInitial Public Offering)と成るだろう。そしてこのIPOが年末までに完了する様に期待している」と補足説明している。

 

ペトロラビーグ社はサウジ内外のイスラム開発銀行(Islamic Development Bank)、日本の国際協力銀行(JBIC)、サウジ公共投資基金(PIF)(Saudi Public Investment Fund)を中心に両国および欧米、湾岸諸国の商業銀行にイスラム系投資家を加えた17の金融機関をメンバーとする幹事団からJBIS25億ドル、PIF10億ドルを始め、58億ドルの投資を受けている。17の金融機関にはフランス カリヨン銀行(French Calyon Bank)SABBHSBC、シティバンク(Citybank N.A)、リヤド銀行(Riyad Bank)BNPパリバス(BNP Paribas)、三井住友銀行および三菱東京UFJ銀行が含まれる。

 

又、ナイミ石油鉱物資源相は「間接的にこの事業はペトロラビーグの下流生産物全てを生産する川下関連産業コンプレックスの建設を許容する。この産業コンプレックスの全ての基盤整備の必要性を満たす為に30ヶ所を越える用地がサウジ政府によって用意されており、サウジアラビアはこの下流部門への国の内外から投資を誘致する事を念願している」と言う。

 

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3.2.4 ペトロ・ラービグ社の概要

 

ラービグ・リファイニング・アンド・ペトロケミカル・カンパニー(PETRORabigh)(Rabigh Refining and Petrochemical Company)2005 919日にサウジアラビア法人の株式会社 (Joint Stock Company)としてサウジアラビア王国 ラービグ (P.O. Box 666, Rabigh, KSA)で商業登録(CRN 4602002161)された。資本金は876千万サウジ・リアル(約234千万ドル)(SAR 8,760 million)で、出資比率は親会社のサウジ・アラムコ社(Saudi Aramco)37.5%、住友化学㈱(Sumitomo Chemical)37.5%で一般投資家が25%である。執行役員(Exeutive Directors)CEOがサアド ドサリー氏(Mr. Saad F Al-Dosari)CFOが松村俊樹氏(Mr. Toshiki Matsumura)である。

 

事業内容は石油精製・石油化学の総合コンプレックスであり、サウジアラビアの石油産業下流部門を発展させる長期政策の一部として、隣接するラービグ 川下関連産業団地(Rabigh CIP)(Rabigh Conversion Industrial Park)に進出する輸出志向のプラスチック加工産業(Export-Oriented Plastics Conversion Industries)に低廉で安定的な原料を供給する。この操業に対し、親会社(Founding Shareholders)としてサウジ・アラムコ社(Saudi Aramco)はアラビアライト(Arabian Light Crude Oil)、エタン(Ethane Gas)およびブタン(Butane Gas)等の原料(Feedstocks)の供給、石油精製品の引き取り・販売(Lifter and Marketer of Refined Prodicts)および補助役務の提供に責任を持ち、住友化学㈱は石油化学製品の販売および技術・触媒の提供に責任を持ち、両社でペトロラービグの操業を継続的に支援する。

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3.2.5 石油精製・石油化学コンプレックスの操業開始

 

石油精製・石油化学コンプレックスの基幹設備の一つであるエタン分解設備(Ethane Cracker)200948日に本格的稼動を開始した。当エタン分解設備(Ethane Cracker)はポリエチレン(Polyethylene)やモノエチレングリコール(MEG)(Monoethylene Glycol)といった石油化学製品を生産するための設備に年産130万トンのエチレン(Ethylene))を供給することになる。

 

加えて、ハイオレフィン流動接触分解装置(HOFCC)(High-Olefins-Yield Fluid Catalytic Cracker Complex)を稼動させるための、減圧蒸留装置(VDU) (Vacuum Distillation Unit)や、水素化処理装置(VGOHDT)(Vacuum Gasoil Hydrotreater)といった、新規の精製関連設備も、既に稼動準備が整っている。当HOFCCは年産90万トンのプロピレン(Propylene)、日産59千バレルのガソリンを生産するため、減圧軽油(VGO)を分解する。HOFCCはポリプロピレン(Polypropylene)やサウジアラビアでは初めて生産されるプロピレンオキサイド(Propylene Oxide)などの石油化学製品の設備にプロピレンを供給する。なお、ポリプロピレンの2系列設備のうちの一つは、すでに、輸入プロピレンを原料として、本年2月、試運転を完了している。

 

石油精製・石油化学コンプレックスは工業用の冷却剤(Coolant)や不凍液(Antifreeze Solvent)として使われるモノエチレングライコール(MEG) (Monoethylene Glycol) 19,200トンを2009518日に中国向けに第一船で初出荷し、操業を開始した。

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3.2.6 ラービグ第2期計画の共同企業化調査

 

サウジアラムコ(Saudi Aramco)は、2009419日、住友化学㈱と「ラービグ第2期計画(Rabigh Phase II Project or Rabigh II Project)」について、両社が共同して企業化調査(Feasibility Study)を実施するための基本的な枠組みを定めた覚書(Memorandum of Understanding)を締結した。「第2期計画」は、このほど稼動を開始した世界最大級の石油精製・石油化学統合コンプレックスであるペトロ・ラービグ社(Petro Rabigh)の「第1期計画」の拡張計画として詳細検討を進めている。

 

本企業化調査(Feasibility Study)は、ペトロ・ラービグ社の協力も得ながら、サウジアラムコと住友化学㈱の両社で実施し、2010年第3四半期に完了する予定である。「第2期計画」では、新たに確保する30百万立方フィート/日(Additional 30 Million Standard Cubic Feet per Day)のエタン(Feedstock Ethane)と、約3百万トン/年(3 Million Tons per Year)のナフサ(Naphtha)を主原料に、エタンクラッカー(Ethane Cracker)の増設や芳香族プラント(Aromatics Complex)の新設を通して、さまざまな高付加価値な石油化学製品を生産することを前提に、投資額等を含め、その事業性を両社で判断する。検討する主な石油化学製品は、

 

エチレン・プロピレンゴム(EPR)(Ethylene-Propylene Rubber)

熱可塑性エラストマー(TPE)(Thermoplastic Elastomers)

メチルメタクリレート モノマー(MMAモノマー)(Methyl Methacrylate Monomer)

メタクリル樹脂(PMMA)(Polymethyl Methacrylate)

低密度ポリエチレン/エチレン酢酸ビニール共重合樹脂(LDPE/EVA)(Low Density Polyethylene/Ethylene Vinyl Acetate)

カプロラクタム(Caprolactam)

ポリオール(Polyols)

クメン(Cumene)

フェノール/アセトン(Phenol/Acetone)

アクリル酸(Acrylic Acid)

SAP(Super Absorbent Polymer)(高吸水性樹脂)と

ナイロン6樹脂(Nylon-6)

 

を予定している。

 

「第2期計画」は、サウジアラビアで初めて生産する製品も多く含まれており、本計画の実施により、ペトロ・ラービグ社は、世界最大級の石油化学製品コンプレックス(World-Class Petrochemical Complex)として一段の発展を遂げることになる。また、本計画では、住友化学㈱や関連する他社の最新鋭の技術を導入し、「第1期計画」との相乗効果、ならびに、サウジアラビアにおけるさらなる雇用創出と川下産業(Conversion Industries)の発展を追求して行く。

 

サウジアラムコと住友化学㈱の両社は、本企業化調査(Feasibility Study)を迅速に進めるため、プロジェクト・マネジメント・コンサルタント(Project Management Services Contrac)およびその他のアドバイザーを起用する予定である。両社にて「第2期計画」の事業性が確認できた場合には、ペトロ・ラービグ社が本計画実施の主体者となり、2014年第3四半期までの操業開始を目途に、建設に着手することになる。

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3.3 ラービグ川下関連産業団地(Rabigh CIP) (Rabigh Conversion Industrial Park)

 

ラービグ 川下関連産業団地(Rabigh CIP)はサウジアラムコ(Saudi Aramco)と住友化学㈱が保証人となって製油・石油化学コンプレックス(Refining and Petrochemical Complex)であるペトロラービグ(PetroRabigh)の下流部門として隣接地に建設される。この川下関連産業団地は面積240ヘクタールを占め、その内の70ヘクタールが用役、物流および共有施設用に当てられる。この団地では良好な工業基盤とユーティリティイ供給の保証を条件にプラスチック加工(Plastics Conversion)およびその関連企業からの進出企業(Tenannts)を現在、募集中である。低廉なエネルギーおよび原料価格、サウジ政府誘致奨励政策、経済的・政治的な安定等、プラスチック加工業にとってこの団地は理想的な立地である。又、この団地は原料供給源や幾つかの港湾に近いと云う利点を持っている。隣接するペトロラービグから原料が供給されるし、180km圏内にはアブドゥルアズィーズ国際空港(King Abdulazizi International Airport)やジッダ イスラム港(Jiddah Islamic Port)があり、アブドゥッラー経済都市(King Abdullah Economic City)およびその港からは僅か15kmであり、北アフリカ、ヨーロッパ、中東、湾岸諸国や国内市場への船積み・出荷に適している。

 

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3.4 アブドゥッラー経済都市(King Abdullah Economic City)

 

アブドゥッラー経済都市(KAEC)(King Abdullah Economic City)はアブドゥッラー国王(King Abdullah bin Abdul Aziz Al Saud)によって2005年に示されたサウジアラビアの大型事業でその敷地は市街地168平方キロ、水域5平方キロで開発全面積は173平方キロと広大な土地を占め、150万人の雇用と200万人都市の創設を目指している。アブドゥッラー経済都市に関する記事は多いがWikipediaが私には一番分かりやすかったのでここではその抄訳に加筆して紹介する。

 

 

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3.4.1 概要

 

アブドゥッラー経済都市は総面積173平方キロで紅海岸のジェッダ(Jeddah)の北約100kmに位置している。サウジアラビ経済の中枢都市であり、この町へは聖都メッカ(Mecca)およびメディーナ(Medina)から車で約1時間、中東の国々の首都からも航空機で約1時間で到達出来る。この都市の建設費はエマール経済都市会社(EmaarThe Economic City)による事業も含めて800億ドルである。エマール経済都市会社はサウジアラビア株式市場(Tadawul)に上場していおり、世界最大級規模の不動産取引企業であるドバイ(Dubal)法人のアラブ首長国連邦政府系エマール不動産株式会社(Public Joint Stock Company)とこの事業の推進者でもあるサウジアラビア総合投資院(SAGIA)(Saudi Arabia General Investmenrt Authority)によって設立された。

 

この経済都市は他の5つの経済都市と共にサウジアラビア総合投資院によって立案され、2010年までにサウジアラビアを世界の上位10番目までの競争力のある投資先に向上させようと云う意欲的な「10x10」計画の一部である。経済都市の第一期工事は2010年までに完了し、2020年までには都市全体が完成する計画である。この経済都市はサウジアラビアの石油依存の経済を外国直接投資並びに国内資本の投資によって転換させられると期待されている。現在人口の40%15歳以下であるサウジアラビアの若年層に対して、この経済都市は工業および軽工業での雇用創出が33万人であり、研究開発部門で15万人、商業・事務で20万人、役務で11.5万、接遇で6万人、教育・行政で14.5万人と全体で100万人分の雇用を創出するとも期待されている。

 

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3.4.2 市街地区分

 

この経済都市は工業化地区、港湾、住宅地区、海岸リゾート、文教地区および金融島を含む中央商業地区に分けられる。

 

a. 工業化地区

 

工業化地区(Industrial Zone)6,300万平方メートルと推定され、その内の4,400ヘクタールの土地が工業用地および軽工業用地にあてられ、サウジ経済の推進役として期待される2,700余の工場を収容できると思われる。経済都市内に設けられるプラスティック谷(Plastics Valley)とも呼ばれるラービグ工業バレー(ENTAJ)(Industrial Valley)ではサウジアラビア国内で流通している原料を使って自動車、生物医療、建設および食物包装に使われる高級プラスティックが製造されると思われる。

 

() 1ヘクタールは1万平方メートル)

 

b. 港湾

 

港湾は1,380万平方メートルを占め、年間1,000万個の20ftコンテナー(20TEU)を荷役出来る能力を持ち、この地域最大である。この港は貨物(Cargo)とバラ積み貨物(Dry Bulk)の荷役が可能で、世界最大の船舶の接岸が可能である。この港の特徴はさらに聖都メッカおよびメディーナへの巡礼30万人を受け入れられる特別仕様の巡礼桟橋(Custom-built Hajj Terminal)を持っている事である。

 

c. 住宅地区

 

住宅地区には26万世帯のアパートと56千世帯の一戸建て住宅を建設する計画である。この地区はもっと小さな居住区、商業区およびレクレーション区に分かれている。公園や緑化帯はこの住宅地区全体に設けられ、各々の小地区にはモスク、商店やレクレーション用地等公共設備が配置されている。

 

d. 海岸リゾート

 

リゾート地域は国内外からの観光客を引きつけ魅力のあるサービスと快適さを提供し、サウジアラビアおよび中東での観光地となる様に設計される。このリゾートにはホテル、ショッピング センターやレクレーション施設が含まれ、120以上のホテルに25千室が確保される。訓練設備や打ちぱなしを含む18ホールのゴルフ場が注目である。乗馬クラブ、ヨットクラブや水上や水中スポーツの施設も建設される。

 

e. 文教地区

 

文教地区は国際水準の技術を習得できる様に計画され、2ヶ所の研究開発公園を外縁に持つ幾つかの大学キャンパスの建設が計画されている。このキャンパス群には18千人の学生、75百人の教職員を収容する計画である。

 

f. 中央商業地区

 

中央商業区は380万平方メートルを占め、事務所、ホテルおよび混合商業スペースが設けられる。中央商業区内の金融センター島(Financial Island)は世界的銀行、住宅投資会社、保険会社等のこの地域最大の金融中枢センターとなる14ヘクタールの土地が確保される。金融センター島の完成想像図は下記に示す。

 

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3.4.3 開発

 

2008612日にアブドゥッラー国王はこの経済都市を視察すると共に下記の総計350億ドルの事業の竣工式に立ち会った。

 

科学・研究コンプレックス(Science and Research Complex)

コロンビア大学(Colombia University)

サンダーバード大学(Thunderbird University)

環境保護センター(Environment Protection Centre)

エスラー小都市(Ethraa, The Smart City)

保健都市(Health Care City)

KAEC報道都市(KAEC Media City)

中核技術都市(Cadre Technical City)

EMAL国際アルミ製錬所(EMAL International Aluminum Smelter Factory)

トタール石油工場(Total Oil factory)

ホリデイ イン(Holiday Inn Express Hotel)

リッツカルトン(Ritz-Carlton Hotel & Resort)

 

エマール(Emaar E.C.)とサウジアラビア総合投資院(SAGIA)は下記に示す多くの分野で国内外の開発業者との覚書および契約に調印した。

 

Orange Business Services (France Telecom Group), to be trusted advisor to the project and will oversee the design of the Smart City telecoms services.

Ericsson, to supply, build, integrate operate and manage multiplay end-to-end fixed broadband network.

Cisco Systems, to design infrastructure for IT networks in the city.

GEMS World Academy, to design, build, and operate the first school in the city which will be opened by September 2009.

StrateSphere Emterproses and PolymerOhio, to develop KAEC Plastics Valley

CEMCCO, to develop infrastructure for the Industrial Zone

DO World, to develop KAEC Sea Port to be the largest in the Red Sea and one of the top 10 largest ports in the world with a capacity to handle 20 million TEU(twenty foot equivalent container units)

Mars GCC, to establish its own manufacturing facility in the Industrial Zone

Capri Capital Partners, to develop a mixed-use project with a total worth of $ 2 bn (SR 7.5 bn)

Freyssinet Saudi Arabia, to develop the Business Park at Bay La Sun Village

Bin Laden Group, to construct 16 residential towers within Bay La Sun Village for completion in September 2009.

Siemens, to undertake the electrical transmission and distribution (T&D) works for the first phase of KAEC to be completed by 2010.

A house in Esmeralda

 

Emaar, E.C’s 2 Residential Areas, i.e.,Bay La Sun Village, and Esmeralda Suburb including a golf community. Bay La Sun including such new initiatives as:

 

Raffles International School

Bay La Sun Business Park.

Bay La Sun Hotel and Mall(これらはアブドゥッラー国王のこの経済都市視察に合わせ

竣工式を終わらせた。)

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3.4.4 ラービグ工業バレー(ENTAJ)(Industrial Valley)

 

湾岸諸国でのシリコン バレー(Silicon Valley)ENTAJ工業バレー(ENTAJ Industrial Valley)である。ENTAJ工業バレーはアブドゥッラー国王経済都市(King Abdullah Economic City, KAEC)の一部であり、中東におけるシリコン バレー(Silicon Valley)である。ENTAJEMAAR(Dubai-based Public Joint Stock Company)によって開発され、7つの異なる業種に対して世界中のどこの工業技術バレーとも同等或はそれ以上の水準での工業化を湾岸に実現させる事を目指している。

 

1. 一般工業: 鋼鉄、紙、プラスティク等の原材料を使った大規模な最終製品組み立ての為の工業生産に使われる製造装置群である。

2. 高級技術工業: コンピューター チップ製造の様な清浄な環境を必要とする資本集中型の商業企業である。

3. 物流(Logistic) 工業立地には製品の倉庫への納入、貯蔵、梱包および配送が必要となる。

4. 軽工業: 最小500m2で構成される小規模で拡張性のある工業装置は特殊技能者や中小企業(SMEs)の為の保育器や操業開始時装置として機能するだろう。

5. 研究開発: 工場又は社屋型の建物に収容できる研究開発を行う組織は研究対象の分野次第である。

6. 展示場と直販店(Showrooms and Retail Outlets) 家具、台所および浴室用器具、園芸用品、自動車、レジャー用品等の工場と販売所。この様な制度はKAECへの価値ある小売サービスに寄与するばかりでは無く、この都市の発展の鍵となる役割を担っている。

7. 建設: エンジニアリングと建設専門の会社は自分達が調える様々なサービスを支援する機材の貯蔵スペース提供できる施設上の利点を持っている。

 

世界最大のメガプロジェクトである巨大なアブドゥッラー国王経済都市(King Abdullah Economic City, KAEC)の一部としてENTAJ内の企業はKAECに含まれる都市センター、公民センター、壮大なモスク、ビッラやその他の居住施設、ゴルフ場、大学を含む教育機関等の様な統合設備の恩恵を享受できる。

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3.5 アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)

(King Abdulla University of Science and Tecnology)

 

アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)はスワル(Thuwal)に完成する研究機関であり、設立の目的はサウジアラビアと地球規模での研究と科学的業績の促進である。KAUST3,600万平方メートルの敷地と100億ドルの寄付を基金として運営される。正式な開校はサウジアラビアの第79回建国記念日である2009923日を予定している。アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)はサウジアラビアの新時代の科学技術達成を達成する為にアブドゥッラー国王の肝いりで設立され、アブドゥッラー国王自らが名誉総長(Honorary Chairman of Board of Trustees)となっている。アブドゥッラー科学技術大学(KAUST) が軌道に乗れば、東岸のダハラン(Dharan)にある1963年に設立され、アラムコ(ARAMCO)を初め、サウジアラビアの多くの技術系の官僚や産業人を育てて来たキング ファハド石油鉱物大学(KFUPM)King Fahd University of Petroleum and Minerals)と並んでサウジアラビアの科学技術を支える重要な役割を担うと期待されている。

 

(詳細はwww.kaust.edu.saを参照)アブドゥッラー科学技術大学に関しても記事は多いがWikipediaが私には一番分かりやすかったのでここではその抄訳に加筆して紹介する。

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3.5.1 概略

 

アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)はジェッダ(Jeddah)の北約80kmの紅海岸に位置する。KAUST20099月に約500名の学士過程卒業者を入学させ、開校する。アブドゥッラー国王はKAUST100億ドルの寄金を贈り、サウジ アラムコ(Saudi Aramco)36平方キロのキャンパスの設計・建設を委託した。このキャンパスには完成後に約2万人の学生・教職員が収容される。

 

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3.5.2 KAUST奨学制度

 

KAUSTへの入学資格のある有能な人材に学費、生活費および夏季およびキャリア講習会費など全ての財政的援助を行う奨学制度(Discovery Scholarship)を用意している。この奨学金受領者達がKAUSTの学生の核になり、この受給者達は約70の異なる国から採用されると期待している。この奨学制度は学部在校生時代およびKAUST入学以降の両方に貰える。学部在校生時代に受け取れる奨学金は学費、教科書手当て、ラップトップ コンピューター手当ておよび学生の出身地での生活費を賄える手当てで構成されている。KAUST入学以降は学費全て、住宅費、旅費および潤沢な給付金が支給される。

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3.5.3 キャンパス

 

現在、建設中であるが、キャンパスの敷地はジェッダ北80キロの漁村スワル(Thuwal)に近い海岸である。敷地の総面積は3,600万平方メートル(凡そ9,000エーカー)で、海洋保護区としてKAUSTによって保護・研究される珊瑚礁生態系を含んでいる。米国最大の建築設計会社HOK(Hellmuth, Obata & Kassabaum)がこのキャンパスを計画・設計した。シェン・ミルトム・ワイケ(Shen Milton Wike)がキャンパスの音響の技術顧問を担当し、ジャッフェホルデン(JaffeHolden Acoustics Inc.)が大講堂の音響の技術顧問を担当した。2009610日にアブドゥッラー国王は数名の閣僚と共に建設中のアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)構内を視察した。

 

http://www.skyscrapercity.com/showthread.php?t=539136

 

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3.5.4 学長

 

学長は20064月からサウジアラムコの元技術担当副社長であったナディミ ナスル氏(Dr. Nadhmi Al-Nasr)が暫定的に任命されていたが、シンガポール国立大学現学長の施春風氏(Dr. Shih Choon Fong)2008113日から初代学長に指名され、施春風学長は2008年末にはシンガポール国立大学を退官している。

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3.5.5 学位

 

アブドゥッラー科学技術大学(KAUST)11の研究分野を持って開校する。

 

1. 応用数学と計算科学(Applied Mathematics and Computational Science)

2. 生物化学(Bioscience)

3. 化学・生物工学(Chemical and Biological Engineering)

4. 化学科学(Chemical Science)

5. コンピュター科学(Computer Science)

6. 地球科学・工学(Earth Science and Engineering)

7. 電気工学(Electrical Engineering)

8. 環境科学・工学(Environmental Science and Engineering)

9. 海洋科学・工学(Marine Science and Engineering)

10. 材料科学・工学(Materials Science and Engineering)

11. 機械工学(Mechanical Engineering)

 

200810月にアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)は最初の大学院案内(Graduate Program Guide)を公開し、資格取得の要件とコース内容を紹介している。修士資格取得には通常一年半、PhD博士資格には3年以上を要する。

 

キング アブドゥッラー 科学技術大学(KAUST)は国際水準研究の大学院大学であり、サウジアラビアの新時代の科学技術達成を達成する為に設立され、200995日から学生を受け入れる。

 

この内のIT分野の研究を総合的、合理的そして効率的に運営する為にIT基盤が必要となる。この為にキング アブドゥッラー 科学技術大学(KAUST)向けのITソリューションおよびITインフラ・サービスについて、サウジアラムコはソリューション・プロバイダーのグローバル企業、ウィプロ社(Wipro Ltd.)とダール リヤド グループ(Dar Al-Riyadh Group)のコンソーシアムと20069月契約した。

 

又、200955日には「スパーコンピューター(Shaheen)と最新視覚化実験室(CORNEA)(Advanced Visualization Lab)を導入、Saudi Telecom Company (STC)とも提携し、世界最速科学コンピューター網(SAREN) (Saudi Arabian Advanced Research and Education Network)の中枢機能(Hub)を担う事になった」と公表しており、更に200966日にアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)は「サウジ基礎産業公社(SABIC)(Saudi Basic Industries Corporation)とシュランベルジャー(Schlumberger)KAUST工業協力課程(KICP)(KAUST Industrial Collaboration Program)の創立会員になった」とも公表している。

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3.6 水電気会社

 

3.6.1 ラービグアラビア水電気会社(RAWEC)

(Rabigh Arabian Water & Electricity Company)

 

アラムコ ラービグ製油所は民間および外資による投資の基盤整備事業への活用を奨励するサウジ政府の政策に基づき、20037月に造水装置併設をCTSC(City Technical Services Company)およびザヒド(Zahid Company)と契約した。この造水装置は2005年から稼動する予定であった。同様な方針はペトロラービグ事業(Petro Rabigh)でも踏襲され、ペトロラービグ(Petro Rabigh)の石油精製と石油化学の統合コンプレックス(Rabigh Refinery and Petrochemical Complex)に、電力・水・蒸気を25年に亘って供給する契約(WECA) (Water and Energy Conversion Agreemen)200587日に丸紅株式会社、日揮株式会社、伊藤忠商事株式会社およびACWAパワー社(ACWA Power Projects of KSA)の共同事業体と調印した。

 

この共同事業体であるラービグアラビア水電気会社(RAWEC)(Rabigh Arabian Water & Electricity Company)はペトロラービグ(Petro Rabigh)の石油精製と石油化学の統合コンプレックス(Rabigh Refinery and Petrochemical Complex)内のラービグ水・蒸気・発電装置(IWSPP)(Independent Water, Steam and Power Plant)を開発・所有・操業する目的で20058月に設立された。出資比率は丸紅株式会社、日揮株式会社、伊藤忠商事株式会社およびACWAパワー社(ACWA Power Projects of KSA)30%25%20.1%および24.9%である。

 

この契約では重油専焼廃熱利用発電・造水設備(Fuel Oil-Fired Cogeneration and Desalination Plant)を建設し、、20086月からペトロラービグ(Petro Rabigh)360MWの電力、5,580トン/時の水、1,230トン/時の蒸気を供給を開始して、この設備を25年間所有・運営し、25年後に無償譲渡する所謂BOOT(Build, Own, Operate & Transfer)方式であり、総事業費は13億ドルを予定している。

 

 

油専焼廃熱利用発電・造水設備は9基の電気集塵機付き蒸気発生器(470t/h Steam Generator Units with Electrostatic Precipitators)3基の湿式石灰石膏方式排煙脱硫装置(Wet Limestone Flue gas desulfurization (FGD) Unit)5基の蒸気タービン発電機(120MW Steam Turbine Generator)7,000トン/16列を待つ海水逆浸透膜設備および付属設備から成り、三菱重工業と建設請負契約を行った。三菱重工業はラービックIWSPPプラントとして火力発電設備(120MW×5)と逆浸透膜海水淡水化設備(毎時500トン×16系列)200911日にラービグアラビア水電気会社(RAWEC)へ仮引渡した。

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3.6.2 SECラービグ発電所(Rabigh Power Station)

 

ラービグ発電所(Rabigh Power Station)はジェッダの北160kmの紅海岸に位置し、SCECO西部社(SCECO West)(Saudi Consolidated Electricity Company for the Western Region)に所有されていた。2000年にサウジ電力会社(SEC)(Saudi Electricity Company)が設立され、全て電力事業はSECに統合され、SCECO西部社もサウジ電力会社(SEC)の所有と成った。ラービグ発電所の履歴および現在の発電能力についてはサウジ電力会社(SEC) ホームページを含め、出来るだけは調べて一応ここにまとめたが多少の齟齬はあると思われる。

 

ラービグ発電所は蒸気タービン発電の第一発電所、ガスタービン発電の第二発電所がある。廃熱利用の造水装置は無く、それぞれ廃熱回収発電も行っている。第二発電所に16基のガスタービン発電機が増設される2009年末2010年にはこの発電所の総発電量は2,684MW(Arab News dated December 9 2007)となるが、今後のマッカ(Makkah)およびマディーナ(Madinah)地方の増大する電力需要への対応には政府の方針に沿って独立発電事業者(Independent Power Producer)方式が積極的に導入されると思われる。

 

a. 第一発電所

 

三菱重工()(MHI)( Mitsubishi heavy industries)が建設した4基の260MW原油専焼発電機(Oil-fired Generating Set)4基からなる発電所が1980年代初めから稼動していた。1991年から1992年に掛けてSAE Sadeimi SPAが元受業者と成って、取水路。排水路、配管用暗渠、橋台等の工事をポンプ小屋等を設ける為に施工した。その後、1996年までに第三期増設(Rabigh Power Station Stage III)として2基の266MW再熱・復水型タービン(Reheat Condensing Turbine)2基のガス・原油炊き850T/Hのボイラーと共に三菱重工()(MHI)が建設・納入した。1999年までには三菱重工()(MHI)から更に2基の330MW蒸気タービン発電プラント(Steam Power Plant)が建設・納入された。このプラントは内燃力発電の排熱で汽力発電を行う複合発電(Combined Cycle Power Plant)方式が採用されている。

 

b. 第二発電所

 

1988年に4基のガスタービン(ABB Type GT11D554MW at @50)が設置され、続いて、翌1989年さらに4基が設置され、1993年まで運転された。1993年第2四半期にガスタービン発電と廃熱回収利用(Heat Recovery Steam Generators)の蒸気発電(2 x 133MW)を合わせた複合発電(Two Combined Cycle Blocks) (2 x 349MW))に変換され、合わせてラービグ第二発電所(Rabigh 2)と呼ばれている。建設業者はABB Power Generation of Baden Switzerland with SAE Sadelmi of Italy and Bin Lading Organization of Saudi Arabiaである。960MWの石油炊き蒸気発電所(第一発電所)が燃料受け入れ桟橋やボイラー水(Boiler Feedwater)確保用の多段蒸発装置等を含む基盤設備を共有して隣接地で運転されている。

 

http://www.industcards.com/cc-saudi.htm

 

SCHEDULE

Gas turbines #1-4 in simple cycle

February 1988

Gas turbines #5-8 in simple cycle

February 1989

Contract award for boilers

January 1992

Operation of first combined cycle

March 1993

Operation of second combined cycle

April 1993

Full Commercial operation

September 1993

 

 

この地方の経済と人口の拡大の為の追加電力を賄うサウジ電力会社(SEC)の計画の一部として960MWの拡張はガスタービン発電機供給契約基づき16基のガスタービン(GE 7EA Frame)供給をGEエネルギー社(GE-Energy)から受け、EPC形式の請け負うコバール(Al-Khobar)NPC(Natinal Contracting Company Limited)によってこのプラントを2009年秋までに完成させる。

 

Project Description

Region

Capacity

(MW)

 

Planned date for

commissioning

first unit

Estimated

project cost

(in millions of Saudi Riyals)

Rabigh Gas Plant

WESTERN

480

2009

1,776

Rabigh Gas Plant

WESTERN

480

2010

1,776

 

 

c. 独立発電事業者(Independent Power Producer)

 

2009526 韓国国有の韓国電力会社(Korea Electric Power Corp.)(KEPCO)は、「サウジアラビア西部の発電所建設の一番札に選ばれた」と発表した。同社は「ACWAパワー社(ACWA Power Projects of KSA)と共同企業体を組み、サウジ電力会社(SEC) (Saudi Electricity Company )から「最も好ましい入札者であり、近くSECは公式協議に入る」との選定を受けた。もし、この協議がまとまれば、KEPCOACWAが各々40%SEC20%を出資する事業が始る。「この事業では25億ドル($2.5 billion)の予算で20134月までに1,200MWの火力発電所をジェッダの北150kmのラービグに建設し、建設後20年間操業する」とKEPCOは述べている。KEPCOACWAの共同事業体はベルギーのスエズ(Belgium’s Suez)、英国のIP(England’s IP)およびサウジのオゲール(Saudi’s Oger)より適正な入札者として選ばれた。ラービグ事業は2013年までにラービグに1,204MWの重油専焼発電所(Fuel Oil Power Plant)を建設し,2033年まで操業する事業である。この交渉がまとまれば韓国電力会社(Korea Electric Power Corp.)(KEPCO)およびACWAパワー社(ACWA Power Projects of KSA)は各40%、サウジ電力会社(Saudi Electricity Company )(SEC)20%を出資する。

 

8次五ヵ年計画(2006-2010)ではSECWEC(Water Electricity Company) に担当させ、5-10年以内にRabigh II (2,400MW and 680,000m3/d) (Completion Dates 2011-2013)を計画している(3.6.3章を参照)

 

Project Description

Region

Capacity

(MW)

 

Planned date for

commissioning

first unit

Estimated

project cost (in millions of

Saudi Riyals)

Rabigh Steam Plant

WESTERN

2,400

2011

10,800

 

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3.6.3 SWCCラービグ造水工場

 

サウジ淡水化公社(SWCC)(Saline Water Conversion Corporation)1974年に設立され、サウジアラビア国内の淡水化および給水を担当し、又水力発電も担当している。2008年度にはサウジ淡水化公社(SWCC)は全土に30ヶ所の造水工場を持ち、その内の24ヶ所が紅海岸で6ヶ所がアラビア湾岸(Gulf Coast)である。これらの30の造水工場で2007年度は106,600万立方メートル(1.066 billion cubic meters)の淡水(Desalinated Water)を生産している。又、サウジ淡水化公社(SWCC)の造水能力(Desalinated Water Capacity)は日産330万立方メートルであり、同時に5,029 megawattsの発電能力も持ち、サウジ電力網(Saudi Electricity Grid)に給電している。

 

ラービグ造水工場(Rabigh Plant)はサウジ淡水化公社(SWCC)が所有する造水工場の一つであり、給水範囲(Beneficiary)はラービグ市とその近郊である。この工場は1982年に設計能力1,204立方メートル/(m3/day)で操業を開始し、その後、1994年にアカバ湾(Gulf of Aqabah)のヨルダン(Jordan)国境の町ハクル(Haql)から設計能力774立方メートル/(m3/day)の造水装置が移設・増設された。

 

ラービグ造水工場(Rabigh Plant)では現在、設計能力18,000立方メートル/(m3/day)の新造水工場が建設中である。この新造水工場はワジー(Al-Wajh)、ライス(Al-Laith)、クンフダ(Qunfuda)、ファラサン島(Farasan Island)およびウムルジ(Umluj)と共にサウジ淡水化公社(SWCC)がサウジアラビア国内の6ヶ所で21,630万ドル(81,100万リヤル)の費用を掛けて、現在、建設中である設計総力63,000立方メートル/(m3/day)の新造水工場群の1つあり、ラービグ以外の5ヶ所の新造水工場の設計能力は各々9,000立方メートル/(m3/day)である。200610月に資本金約18億ドル(SAR 6,848.88 million)で造水と汚水処理の民営化の為に設立されたナショナル水会社(NWC)(National Water Company)は「これら6ヶ所の新造水工場群建設はナショナル水会社(NWC)が引き継ぐ」と公表している。

 

20027月に最高経済会議(Supreme Economic Council)は大型統合造水・発電施設の開発は民間企業を活用する決定を行っており、その受け皿となる独立発電事業(IWPP)(Independent Water and Power Project)は「最高60%を民間投資で残りは公共投資資金(PIF)(Public Investment Fund)とサウジ電力会社(SEC)(Saudi Electricity Company)とが負担する」と決めている。2016年までに総額160億ドルでサウジ国内10ヶ所に独立発電事業(IWPP)を行う計画であり、第8次五ヵ年計画(2006-2010)ではサウジ電力会社(SEC)がサウジ淡水化公社(SWCC)と半々で出資して2003年に設立した水電気会社(WEC)(Water Electricity Company)に担当させ、5-10年以内にラービグに発電量2,400MW で造水量680,000m3/dの独立発電事業(IWPP Rabigh II) 2011年乃至2013年に完成させる計画である(3.6.2章を参照)

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3.7 セメント工場(Arabian Cement Factory)

 

アラビアセメント会社(Arabian Cement Company)はラービグ(Rabighの工場に日産7,000トンの製造能力のある新系列(Production Line-6)を増設した。この増設に対し、デンマークに本社のあるセメント工場製作の大手F.L.スミドス社(FLSmidth)はキルン(7,000 tpd ILC Type Kiln System)1基、セメント粉砕機(UMS Cement Mills plus Separators)2基および制御装置(a Complete Control Package)1式を納入した。

 

ラービグは紅海岸にあり、ジェッダ(Jeddah)、マッカ(Makkah)やマディーナ(Madinah)等のセメントの主要な市場に近い。ラービグ工場は1956年創業のアラビアセメント会社によって1984年に建造され、その後、1996年から1997年にかけて拡張されている。

 

このセメント工場では年間3百万トンを生産していた。アラビアセメント会社はこの増設によってラービグ工場に新たに日産7,000トンのセメント製造能力を追加すると共に、この工場をこの地域で最も近代的な工場の一つとする計画であった。

 

この計画には最新の製造技術を使い。環境保護の最高水準を達成する事も含まれていた。環境に対する責任はアラビアセメント会社の重要な政策の一つであり、ラビーグ工場増設の背景には環境保護の目的があった。この新系列が安定して稼動し始め次第、既存の製造系列は部分的に閉鎖される。アラビアセメント会社は放出を減らす継続的な計画を持っている。汚水処理施設による排水の再生利用や植樹はアラビアセメント会社の環境保全努力の現れである。その一方で、環境問題に関する学習や訓練のコースは今後も継続的に発展させられる。

 

New 7,000 Tonnes per Day Line

Added to Arabian Cement Co.’s Existing Plant at Rabigh

http://ehighlights.flsmidth.com/april2006/index.php?menu=106#

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3.8 ラービグ飛行学校(Rabigh Flying School)

 

サウジ飛行クラブ(Saudi Aviation Club)(SAC)は二つの飛行学校をサウジ東西に各一ヶ所設置する計画である。最初の飛行学校はリヤド北方のサママ空港(Thumama Airport)に設けられ、もう一ヶ所がラービグ飛行場(Rabigh Airport))である。ラービグ飛行場では民間航空庁(General Authority for Civil Aviation)との協力で4年生単科大学相当の飛行学校を設立しようとしている。又、タクシー飛行機の運航も考慮している。

 

ラービグ翼飛行学校(Rabigh Wings Flight School)は新たに建設された近代的な飛行訓練学校で、アブドゥッラー経済都市(King Abdullah Economic City)から数分の紅海岸に近いジェッダ(Jeddah)北西115kmに位置している。ラービグ飛行場(Rabigh Airport)と熟練パイロット訓練施設が完成するまではジェッダ国際空港(OEJN)で臨時に訓練を行う。

 

新たに参入した航空会社が操業を開始し、既存の航空会社が操業を拡大するに連れて、湾岸諸国では訓練されたパイロットの需要が増えていた。飛行機の操縦を夢見たり、将来の冒険的な経歴を探していた若者達にとっては良い機会である。

 

ラービグ翼飛行学校はこの地域で最良に訓練されたパイロットを供給する使命を持っている。ラービグ翼飛行学校は単発エンジンのセスナ(Cessna 172SP G1000 and Cessna 182T G1000)やパイパーアロー(Piper Arrow PA-28T)、多発エンジンのパイパーアロー(Piper Seminole PA-44T and Piper Seneca PA-34T)を所有している。又、全ての飛行機にはGNS 530, GNS 430 GPSおよびG1000が装備されている。

 

ラービグ翼飛行学校ではサウジ民間航空局(GACA)(General Authority of Civil Aviation)の私用飛行機パイロット免許、商業飛行機パイロット免許、定期航空機移送パイロット免許等の資格が習得でき、又飛行時間の蓄積も出来る。

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後書き

 

サウジアラビアは5ヵ年計画で着実に国土の開発を行ってきているが、今回、言及した第八期5ヵ年計画の一部からも原油値上げによる膨大な歳入増加と民間投資導入により、予算規模の大きさが伺える。圧倒的な若年層の未来に対してアブドゥッラー国王を中心にサウジアラビアが自国を発展させようとしており、その意気込みを強く感じた。その為の人材育成については2009923日に開校するアブドゥッラー科学技術大学(KAUST)に対してはアブドゥッラー国王の並々ではない熱意が伝わってくる。アブドゥッラー国王が21世紀のサウジアラビア発展の端緒として母方のハイル(Hail)では無く、ラービグ(Rabigh)を選定した理由については資料からは判然としないが、私には東岸のアラビア湾岸にあって、サウジアラビアの産業・経済の基盤を担うサウジアラムコ(Saudi ARAMCO)に対応する基盤を西岸の紅海岸にも作る事である様に思われてならない。アラビア石油㈱が撤退した後のサウジ国内ではペトロラービグ(Petro Rabigh)事業を通して、日本がサウジ国内で最も関与している地域である。原油を単に燃料としてでは無く、工業原料として利用する石油鉱業(Oil Industry)の下流部門への本格的進出はサウジアラビアの長期に渡る展望を開く鍵であり、この合弁プロジェクトにはサウジアラビアの大きな期待が掛けられていると思う。

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参照資料

 

Wikipedia

 

岩波イスラーム辞典

 

住友化学株式会社ホームページ(http://www.sumitomo-chem.co.jp/)

 

Saudi Aramco Home Page (http://www.saudiaramco.com/irj/portal/anonymous)

 

PetroRabigh Home Page (http://www.petrorabigh.com/)

 

ラービグアラビア水電気会社(RAWEC)ホームページ (http://www.rawec.com/Welcome/)

 

丸紅ホームページ(http://marubeni.com/news/2005/050809e.html)

 

Off-Road on The Hejaz by Patrick Pierad and Patrick Legros

 

「紅海における珊瑚礁の破壊と漂白(Reef Destruction and Bleaching in the Red Sea courtesy of Yusef Fadlallah)」著者KFUPM (King Fahd University of Petroleum and Minerals)環境・水資源センター(Center for Environment and Water)のユーセフ ファドラッラー氏(Yusef Fadlallah)(yfadlal@kfupm.edu.sa)

 

T.E. Lawrence and the Arab Cause at the Paris Peace Conference

 

オイルエンドガスジャーナルの1980811日版(Oil and Gas Journal published on Aug. 11, 1980)

 

2004年の日本エネルギー研究所IEEJ8月号(http://eneken.ieej.or.jp/data/pdf/917.pdf)

 

アラブニュース(Arab News) (http://www.arabnews.com/)

 

Khaleejtimes (http://www.khaleejtimes.com/)

 

Saudi Binladin Group Homepage (http://www.sbgpbad.ae/)

 

IRF(International Road Federation) Homepage (http://www.irfnet.org/)

 

日揮株式会社アニュアルレポート
(http://www.jgc.co.jp/jp/06ir/pdf/annual_rpt/2006/section/jgc_ar06j_tokusyuu1.pdf)

 

Saudi Electricity Company(SEC) Homepage (http://www.se.com.sa/SEC/English/default.htm)

 

Saline Water Conversion Corporation(SWCC) Homepage (http://www.swcc.gov.sa/)

 

Water and Electricity(WEC) Homepage (http://www.wec.com.sa/)

 

National Water Company(NWC) Homepage (http://www.nwc.com.sa/)

 

Energy profile of Saudi Arabia (http://www.eoearth.org/article/Energy_profile_of_Saudi_Arabia)

 

Saudi Arabia’s Eighth Five Year Plan, covering the years 2006-2010

 

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