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2008 年10月25日 高橋 俊二
ヴァレンシア卿の航海・旅行記

(Voyages and Travels to India, Ceylon, the Red Sea, Abysinia and Egypt in the Years
1802, 1803, 1804, 1805 and 1806, by George, Viscount Valentia, London 1809 )


 

ヴァレンシア卿の航海・旅行記

 

1802年から1806年のインド、セイロン、紅海、アブシニア及びエジプトへの航海・旅行記」

 

マウント ノリス伯爵ジョージ アンスレイの嗣子ヴァレンシア(George Annesley, Earl of Mount Norris, Viscount Valentia)

1809年ロンドンで出版

(Voyages and Travels to India, Ceylon, the Red Sea, Abysinia and Egypt

 in the Years 1802, 1803, 1804, 1805 and 1806,

by George, Viscount Valentia, London 1809.)

 

1802年から1806年のインド、セイロン、紅海、アブシニア及びエジプトへの航海・旅行記」のジッダに関する二章からの抜粋

 

1805129日、逆風と潮に繰り返し邪魔された後で、ようやく我々はジッダ港(the harbour of Jidda)に着いた。我々が合図を繰り返し、やっと水先案内人が現れ、一時までに我々は安全に錨を降ろした。ジッダ(Jidda)の家並みはモカ(Mocha)のそれよりも遙かに優れていた。家々は非常に見事なイシサンゴ(madrepore)の大きな塊で作られていた。玄関口は端麗な孤を描いており、石の表面には漆喰は塗られず、雷文(fret)が刻まれていた。サクソン式の孤形(the Saxon arch)では一般に行われているジグザグ(稲妻形)が最もありふれていた。窓は多くて大きかった。

 

 

通りは非常に狭く、結果として日中の殆どは日陰に成っているので熱帯地方では利点になっている。この時代の最も傑出したジッダ(Jiddah)商人で、私の接待主であるシディ アルビ ジラニ(Sidi al-Arbi Jilani)の宮殿は非常に快適に水際に位置していた。我々は入っていないが、上階は幾つかの素晴らしい部屋があるらしく、その中でも特に西翼の外れにある部屋は特に素晴らしい様であった。この部屋は西と南と北に向かってバルコニーが開けている。税関は海に面しており、立派な高い建物であった。基礎は海から立ち上がり、この町にモカの様には長くはないがモカよりもずうっと良い外観を作り出していた。海も又、その壁の両端を洗い、真ん中では家々に近かった。これが大きな効果を加えていた。

 

断食月(Ramadam)にもかかわらず、バザール(Bazar)は多くの小麦、豆類(pulse)、ナツメ椰子の実(date)、イチジク、干し葡萄およびパンで満たされていた。パンは小さなケーキであったが、非常に上質であった。ジラニ(Jilani)は良質な種類を我々にくれたが、それはヒメウイキョウの実(caraway seed)で少し香り付けしてあった。我々は我々の全員の前に置かれたパンを持ち、我々の仲間だけがナイフとフォークが与えられた。一番目の皿はミルクと肉と一種の酸から作られたスープで非常に美味しかった。彼等はそれを角のスプーンですくい、直ぐに彼等の口へと運んだ。我々は自分達の分を小さなボウルに入れて持っている。次に来たのが非常に豊かな詰め肉のミートボール(very rich forced-meat balls)で、それから薄く切った西瓜が出て、それから再び肉がシチューで出され、それからペストリー(pastry)が出て来て、この様にして甘味料理と肉料理が交互に15から16皿出てくる。テーブルの上には一度に一種類の料理しか出て来ないし、我々が半時間もテーブルにつけ無い程、素早く下げられてしまう。我々はザクロ、バナナと干し葡萄入りのシャーベトで食事を終わらせた。

 

 

それが終わると各人振り返って、白いナプキンを持った奴隷が水を注いでくれる水盤の上で手を洗った。この料理はこれ以上のご馳走を食べた事の無い程、美味しかった。我々はいとまする時にコーヒーとバラ水を得た。私はジラニ(Jilani)から「アラブの最初の食事は夜が明けて直ぐで、ミルク、ごはん、果物、砂糖漬け、パンおよびコーヒーで構成される」と教えられた。我々がお相伴したのは日暮れ後の第二回目および第三回目の食事で肉とペストリー(pastry)で構成されていた。

 

人々は一般的に真新しく端麗な服をバザールや道で着ていた。断食月が今、終わったのでコーヒーハウスは営業しており、満員であった。食料品店を除いて全ての店は閉じていた。すなわち、全ては祭りの空気に包まれていた。港長のエミール バハール(Emir Bahar)は私に何人かの奴隷を調達してくれた。この奴隷達は潜水出来、ジッダ港に豊富にあるケロトファイト(kerotophyte)の一種のユッセール(Yusser)を採ってきた。これは潮流によってかき回された時のその穏やかに揺り動かされる事で起きる海中の最も珍し現象を作り出す。ユッセールは深い黒い色で、イシサンゴ(madrepore)にへばりついた基盤の茎は羽の幅程は厚くなく、しかもほっそりした枝が約4フィート位の長さに伸びている。これは茶色で粘着質の物質で被われており、その物質は明らかにユッセール(Yusser)の小さな孔から生ずる数百万の極微動物(animalculae)で構成されており、それらを取り除くと見える様になる。手に取るとしなやかで曲がりやすいが、乾かすと非常に脆く(brittle)なる。

 

 

潜水夫は14(fathom)潜り、港の浅瀬を形成しているイシサンゴ(madreporea)の奇麗な標本を採ってくる。私の潜水夫達は一種類を非常に切望していた。トリックであると思いつつ私は舌で触ってみた。私は彼等にも同じ様にさせ、それが鋭く刺したので、彼等が顔をしかめるのが直ぐに分かった。

 

ジッダ(Jidda)の港は無数のイシサンゴ(madreporea)の珊瑚礁で形成されている。珊瑚礁は多くの狭い水路を残して、陸から約4マイル沖合まで広がっている。これら狭い水路の水深は6から12(fathom)もあり、そこではひどい強風が吹いても海はガラスの様に滑らかである。入港は勿論、難しかったが、太陽が船の後から照っていると岩礁は良く見え、現地の水先案内人は的確に(uneeringly)目視だけで安全に操船した。大きな船も入港出来たが。ダウ船(dhow)にとっては最高の良港であり、今でも多くのダウがやって来るのは素晴らしい。

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