ラッセル少佐のアビシニアと紅海での或る任務
「アビシニアと紅海での或る任務」
スタニスラフ ラッセル(Stanislas Russel)陸軍少佐著
1884年パリで出版
(RUSSEL, S. Une Mission en Abyssinie
et dans la Mer Rouge Paris 1884.)
「常にイヴの墓はジッダでは崇拝されていた。そして巡礼の大部分、とりわけ女性はメッカへの出発の前にこの墓に詣でお祈りしている。この墓はジッダ市城壁の外で、メッカ門から500mの場所に設けられた壁で囲った墓地の中心に建てられている。イヴの墓は長く、狭い平行四辺形(paralleogram)で頭から足までが146mで、幅は頭部が4mで足部が4.6mである。頭部から86.87mの距離に四角の囲みの上に、石灰で白く塗られた聖者の墓 (marabut) に似た小さな円蓋(dome)が立っている。訪問者はモスクの中と同じ様に裸足で入らなければ成らなかった。円蓋の下には木製で緑色の金の刺繍を施された絹のつづれにしき(tapestry)で覆われた面取りしたピラミド型の棺台(catafalque)が神聖を汚す視線から人類を養育した聖なる脇腹をおおい隠している。
チップ(bakshish)を渡すとオリエントでは全ての錠前を開ける鍵が渡され蓋が上げられ我々は黒く湿気のある石で作られた縦横1.43m x 1.0mで50cm深さの四角い枠を見れた。底にはチップを渡しても持ち上がらないビャクダン(sandalwood)の木片が引き詰められている。それはその元々の出典では生命を生む不可解な神秘を覆っている」。
更に、ラッセルはこの市に対する自分の印象を同書の中で、
「私はアラビアでもっとも素晴らしい都市カイロにも無い様なジッダの美しい家々について述べずには居られない。豊かな邸宅の入り口を飾る彫刻された木製のバルコニーよりも奇麗で得も言われぬ(aerial)物は無い。建物の調和は完全に釣り合い、優雅である。セビリャ(Seville)やグラナダ(Granada)等ヨーロッパに非凡な記念建造物を残した天才的で能力ある巧みなアラビアの芸術家の子孫達がジッダではいまだに見られる事は疑いも無い」
と述べている。
やや予言的にラッセルは「確実にある日には写真が独特のアラベスク模様をスケッチより優れた方法で再現するだろう。記述が可能な事より遙かに美味く出来るだろう」と結んでいる。