サウジアラビアとその緑

 

 

 高橋 俊二

 

まえがき

 

沙漠の緑化と言うと地球的な規模の炭酸ガスの増加防止、温度上昇防止、環境保全等の一部として見なされ、例えばアラビア半島全域を緑地に変えると言うような意味での緑化と考える方も少なく無いと思います。

 

サウジアラビアに限って緑化を考えると、「何もしなくとも雨さえ降れば緑になる。雨も降らないのに緑を求めるのは水の無駄使いではないか」との感触が一般的です。

 

その上、日本人が海に親しみを感じる用に沙漠に親しみを感じ、週末や休日とも成ると沙漠に繰り出し、楽しむ習慣を伝統的に持って居るので沙漠の在来植物の増えるのは喜ばれますが、外来植物での沙漠の緑化については必ずしも賛同は得られるとは思えません。

 

現在の乾燥した状態はこの半島が出来てからの十二億年もの永い間のほんの片時でしかなく、沙漠化も一万五千年前から始まったに過ぎません。その一万五千年を掛けて沙漠に適応してきた耐熱、耐乾、耐塩の植物が生き残って来て居ます。

 

これらの植物はわずかな水分で露命をつなぎ、何年も雨期を待ち、繁茂し、又、次の雨期を待つと言う循環を繰り返しています。種や球根で露命をつなぐものばかりでは無く、ナツメヤシ、タマリスク、ミモザ、タルフ(Talh, Acacia Gerratdii)、サラム(Salam, Samgh, Acaia Tortilis)の様に成木の形で長い、時には数年にも及ぶ乾期を耐える木もあります。

 

この地での雨は人々が濡れながら歓喜する様に天からの尊い恵みで、雨が降れば、木々が萌え、草が生え、単調な埃っぽい灰色、煉瓦色、黄土色の大地が緑で覆われ、黄色、紫、赤等の花が咲き乱れ、蝶が舞い、鳥が鳴く別天地と成ります。

 

この様にサウジアラビアでは「緑とは水が生み出すもの」との観念が強く、ここでの緑化を進める為に求められている植物は耐熱、耐乾は勿論として、「水の要らない」、「塩地で育つ」、「海水灌漑出来る」を満足する様な種類の植物です。

 

「水の要らない」植物とは苗木や幼木の時期に水遣りが必要でも成木に成ったら水を遣る必要無い木でタマリスク、ミモザ、ナツメヤシの他、最近、街路樹に盛んに使われているコノコンボ等です。

 

「塩地で育つ」植物とは塩性植物で、ハロクネム(Halocnemum, Strobilaceum)等は海水の二倍以上の塩水でも生育しています。「海水灌漑できる」植物とは北海道の厚岸草から作られたサルコルニア等でカフジとダンマームの中間のアルザール岬には六百ヘクタール規模の実験農場があり、植物油の採油やサラダの食材として試験されていました。

 

水を使わない緑化と言う観点からサウジアラビア政府は耐熱、耐乾で「水の要らない」、「塩地で育つ」在来植物を特に家畜による被害から保護する為に何百平方キロ単位の野性保護区を設け、緑を増やし保護する一方で、海水灌漑に大きな期待をかけています。

 

現実の緑化事業では水を使った植物の栽培が中心と成る為、その貴重な水から出来る緑の付加価値を「如何に高めるか」がサウジアラビアの緑化に於いては一番求められている事だと思われます。

 

具体的には、農業牧畜等の生産が既に過剰と成っている為、輸出用高級食品の生産や緑化周辺の観光開発、土地開発、レジャー、スポーツ施設等への利用が近年、既に進められて来て居り、その発展が今後の緑化の課題では無いのでしょうか。

 

サウジアラビアのアラビア半島の生い立ち、サウジの地形、沙漠の気候、沙漠の水、沙漠の植物、土地の利用、現代の生活、緑の事業化等、現状をご紹介しながら沙漠の緑を考えて行きたいと思います。

 

アラビア半島の生い立ち

 

サウジアラビアの地勢はその生い立ちから火成岩と変成岩の硬い岩盤とその上を溶岩が覆った溶岩地帯(Harrats)、堆積岩の軟らかい岩盤とその上を砂丘が覆った砂丘地帯(Nafuds)の四つに分けられます。

 

西サウジアラビアの「硬い岩」の地形は約七億年間に少なくとも三度の激しい地殻変動を受けた後、比較的静かに時を過ごして来た休火山地帯です。「サウジアラビアで確認できる一番古い岩の出来た十二億年前には、地球上には木も土も無く、植物と言えば地衣類とか苔の様な藻類であり、海にはクラゲや原始的な軟体動物が居たに過ぎない。」と岩石の調査をした地質学者は言っています。

 

十二億年前に始まりその後の激しい地殻変動の時代に、雄大な火山が重苦しい灰の雲や噴石を海に噴出する事に始まり、新しい束の間の陸地を作り、それが風、雨や波で洗い流され厚い堆積層を形作ると言う循環が繰り返し行われました。

 

雷のようにとどろく地震が次に海と陸の両方に大規模な地滑りを引き起こし、地球の表面の広大な地域が切り取られ、圧縮され、折りたたまれ、浸食され、埋められました。この間に地殻の深い部分の噴火山のはるか下で溶けている溶岩の広大な塊が撹拌され、隆起し、地殻を持ち上げ褶曲されました。そこでは溶岩がにじみだし、やがて冷えて、目の粗い花崗岩やそれに伴う斑糲岩(Gabbros)に成っています。

 

この激しい造山活動は巨大な南方大陸であったゴンドワナに新たに生み出された土地を成長させては継ぎ足して来ました。各々の継ぎ目から地殻の下の溶けた岩が地表に搾り出されて来ました。この七億年に及ぶ激しい地殻変動が終わると山の頂上や火山が次第に浸食されて広大な平原を作りました。これからの四億八千年間は地殻の無活動時期であり、この間に「軟らかい」堆積岩が現在の基盤岩の上に積み重なってきました。

 

アラビア半島で二千万年前に始まった地殻変動は紅海を形作っている割れ目を、作りサウジアラビアをアフリカ大陸から引き離し、紅海の幅を広げながら、この基盤を三千メートルもの高さまで持ち上げ、新たに始まった浸食はアシール地方(火山活動が激しかった時代を喚起してくれる)の現在の崖地(Escarpment)、山脈、険しい岩山を形作りました。

 

一方内陸部では八百年前まで続いたこの変動は、物憂いような、澄んだ緑の結晶を持つ、イヘルゾライト(Iherzolite)や橄欖石(Olivine)の塊の様な岩の破片を含む夥しい量の溶岩が地殻の深い部分から噴出し、厚い糖蜜の様に流れ、広大な黒い玄武岩の台地を形成しました。ハッラのまるで月世界の様な人を寄せつけない景観が無数の噴火口(Craters)や今日では物憂げな風情の中にボロボロに砕けた火山錐(Cones)と共に激しい変動の痕跡を見せています。

 

この溶岩地帯(ハッラ、Harrats)は西サウジアラビアの南北に細く長く延びる山列を形作り、ジェッダからメディナへ掛けては、かつては熱い溶岩が噴出していた点在する円錐状火山が美しいハッララハート(Harrat Rahat)の眺望を作り出しています。しかしながら隆起は終わって居らず、一番最近の噴火は十二世紀に起き、この時には溶岩流がマディナの直ぐ近くまで流れてきて止まっています。

 

サウジアラビアの東部および北部を覆う柔らかく、明るい黄金色の「軟らかい」(堆積岩)層が地質学的な平穏が永く続いた事を物語っている様にこの地域の基盤岩の広大な平原は四億八千年もの間、水浸しにされ、安定した浅い海底を形作り、その上に、砂や貝殻や泥が急速に堆積しました。

 

その堆積した砂や泥の重みで、大陸はゆっくりと沈んで行くと共に、早期に堆積した層が埋められ、圧縮され、泥は頁岩に、砂は砂岩に、貝殻は石灰岩に成りました。そして、二千万年前頃にこの地域は持ち上げられ、固められた堆積は浸食に晒され、西部アラビアとは異なった景観を作り出しました。「硬い岩」の地方の造山に見られる様な褶曲や断層や曲がりくねった傷跡は見られない。弾力のある石灰岩や砂岩が誇らしげに無傷のままどっしりと立っており、一部に見られる塔状の断崖は高層ビル街の空の様な景観を作り出しています。

 

軟らかい泥は吹き飛ばされて長いくぼ地を残し、そのくぼ地は今では砂やサブハ(Salt Flat)で埋められています。サウジアラビアの膨大な石油資源を埋蔵するのがこの岩です。石油は温暖で、物憂い、浅い海に豊富にいる微細なプランクトンの様な微生物から生成されました。この浅い海は同じ時期にリン酸塩を堆積させ、そこで育った木々が亜炭、石化木のかけらとして残り、この五億年の間の動物や植物の進化の記録を包み込んでいます。

 

この堆積性の「軟らかい岩」の一部は広大な砂の海(ナフード、Nafuds)で覆われ、北の大ナフード (Great Nafud) から南のルブア・ハーリー(Rub’ al Khali、空白地帯、Empty Quarter)まで広がっている事は良く知られています。この影のある曲線的な広大な砂の海は地上で最も近寄り難く、美しい景観であっても、サウジアラビアの地質学的な歴史からすると極端に若い地形で、この数千年の間作り出されたに過ぎません。それは手斧やその他の石器が豊富に砂丘の間から見つかり、この沙漠が作られる前に人がこの辺りで生活して居たことが示しています。

 

サウジの地形

 

サウジアラビア王国の地形は、東は浅く広いアラビア湾、西は深く狭い紅海で遮られ、両岸とも海岸に沿って氷河期には海底であった海岸低地が細長く延びています。紅海側は海岸から海岸に沿ってヒジャーズ・アシール(Al-Hijaz/Asir)の細長い山脈がそびえ、その東側は北にナフード沙漠(An Nafud)が広がり、その南はシャンマル山脈(Jabal Shammar)を隔て広大なナジュド沙漠(Najd)を含むアラビア楯状地が南へと広がります。

 

楯状地は東側へ大きな弧を描き膨らみ、その弧を東側からトゥワイク山脈(Jabal Tuwaiq)が囲い込み、そのさらに東はダフナー沙漠(Ad Dahna’)で囲まれています。ダフナー沙漠(Ad Dahna’)北はナフード沙漠(An Nafud)から南はルブア・ハーリー(空白地帯)のヤブリーン・オアシス(Yabrin)に至る細長く沙漠で、この二つの大沙漠の間を細い回廊の様につないで居ます。ハルジュ(Al Kharj)付近で南西に向きを変えたトゥワイク(Tuwayq)山脈とオマーン(Oman)の間に漠漠たる空白地帯が広がっています。 

 

ダフナー(Dahna’)砂丘地帯は東部州をナジュド(Najd)沙漠から隔てる自然の障壁であり、東アラビアに吹く北北西の卓越風向が作り出した、ウルーク(‘uruq)と言う名で知られる広大な砂の流動の遺物である高く桃色掛かった茶色の砂丘が長く風向に合わせ並ぶダフナー(Dahna’)砂丘地帯が北方のナフード(Nafud)沙漠と南方の広大な沙漠(空白地帯)を結んでいます。  

 

西海岸ではティハーマ(Tihamat)と呼ばれる海岸低地が紅海岸に細長く発達し、東海岸では低地とダフナー(Dahna’)砂丘地帯の間にはスンマーン(Summan)台地が海岸より高く成っている等氷河期に海面が上下した跡が残っています。

 

特に東海岸では、今日のアラビア湾が生まれる前にはアラビア半島東部とチグリスユーフラテス(Tigris/Euphrates)川の流域を包み込んでいた盆地は浅い海で覆われていました。カフジ(Al-Khafji)の百キロ南のナイーリーヤ(An Nairiyah)の奥の涸れ谷ミヤー(Wadi Al-Miyah)は今日では100kmも内陸ですが、当時は干潟、潟、低湿地等の多い河口地帯であり、暑くて湿った熱帯気候の下で、マングローブが繁茂し、ヤシで縁どられた流れは西側の高地からの水を排出して居り、一千七百万年前には豊かな自然に溢れていました。

 

およそ五百万年前に海面が上昇し、今日のスンマーン(Summan)崖地の絶壁を刻み、再び、海は後退し、その後で著しい降雨の時期が訪れ、現在ワーディー(涸れ谷)として残っている川床を削り、二百万年前から洪積世が始まりました。 洪積世は氷河期が起きた画期的な時代であり、二十回も著しく暑かったり、寒かったりした時期が交互に訪れました。氷河期には両極地帯を覆う氷河の量が増え、その結果、世界的に海面が下がる現象が起きました。 十二万年前に最後の間氷河期が終わり、この最後の氷河には冷却化の傾向が一層進み、もっとも氷ついた気候が一万八千年前まで続き、アラビアでももちろん、海面が確実に下がり、海面下降は百メートル以上にもおよびアラビア盆地を覆っていた海水は干上がってしまいました。 

 

アラビア湾全域が潟や沼沢地の多いチグリスユーフラテス(Tigris-Euphrates)川の流域となり、河口は遥かホラズム海峡まで後退しました。 その他の陸地は三万三千年前から二万四千年前の間に降った雨で繁茂した植生の名残で覆われていましたが、一万五千年前までには乾き、沙漠の乾燥仕切った状態に成っていました。 両極の氷河が融けるにつれて、アラビア湾も再び、海水で満たされ、紀元前六千年前までには現在の海面の高さに近づいて来ました。 紀元前四千年前には海面は現在の高さより、約二メートル高く成りましたがその後次第に、後退して行きました。 

 

リヤードの西に景観を誇るナジュド(Najd)崖地とは異なり、スンマーン(Summan Plateau))台地の東の縁であったスンマーン崖地と呼ばれる太古の崖は東を向いています。この崖地の高さは概ね20m - 30mですが80mにも達する場所もあります。スンマーン台地は長く延びており、その中心はハサー・オアシス(Al-Hasa Oasis)へと東に膨らんでいます。この膨らみはスルブ(Sulb Plateau)台地と呼ばれる。 スンマーン台地とスルブ台地の東の端は風化されて、風化に強い岩をかぶった孤立した連山(ジャバル、Jabal)や小さな台地になっています。シャドカム台地(Shadgum Plateau)やハサー・オアシスのジャバル・カーラ(Jabal Qarah)は両方ともスンマーン台地の残骸です。この崖地は鮮新世の中期まで三百万年間、この地方を覆っていた浅い海に沿った絶壁でした。ジャバル・カーラ(Jabal Qarah)やシャドカム台地(Shadgum Plateau)の両縁に見られる崖廊や洞窟に当時の露出した岩肌が波に浸食された様子がはっきりと残っています。 

 

世界最大のガワール(Ghawar Oil Field)油田もこの太古の海に何百万年も掛けて堆積した有機物から作られていました。ガワール油田はスンマーン(Summan)およびスルブ(Sulb)台地の崖地の東側で、ハサー・オアシス(Al-Hasa Oasis)直ぐ西側に南北に横たわっています。海岸線が後退するに連れて、スンマーン台地の残骸である石灰岩や砂質石灰岩の露頭を点在させている海岸平地が残され、海岸に近いところに、もっと古い時代の地層が新しい地層を貫いて地表に出て来ている場所もあります。

 

例えばダンマーム・ドームの様なドーム構造が岩盤の下にある原油の存在の兆候を示しました。 海岸平地の気候は今日と同じ様にジュベール付近から南のジャーフーラ沙漠(Jafurah Desert)へ白っぽい砂を吹き降ろしていました。ジャーフーラ沙漠(Jafurah Desert)はハサー・オアシス(Al-Hasa Oasis)の東を抜け、南に行くに連れて広がっています。その沙漠では低い砂丘が目に見えるほど毎年、その位置を変えながら移動しています。冬に雨が降ると多年草の灌木が緑を取り戻し、一年草が芽吹く、こんな植生のある砂ばかりの地勢をこの地方では「ディカーカ」(Dikakah)と呼んでいます。 

 

東海岸の北部にも南部にも二つの広大な石ころだらけの海岸平地が広がって居り、 この二つの平地とも昔の三角洲の名残りで三角形をしています。東海岸の北部のディブディバ(Dibdibah)と呼ばれる地方はかっては中央アラビアから流れでる主要な河川の一つであった涸れ谷バーティン(Wadi Batin)から流れだした礫石から出来た扇状地です。この河川の跡は現在でも中央アラビアのカスィーム(Al-Qasim)地方にも残っていて、涸れ谷ルマ(Wadi ar Rumah)と呼ばれています。 

 

東部州の南部では、涸れ谷サフバー(Wadi Sahba’)がスンマーン崖地(Samman Scarp)をハラド(Harad)の近くで切り通しています。 かつて、このワーディー(Wadi)はナジュド(Najd)の南地方の主要河川であり、ハルジュ(Kharj)からハラド(Harad)へと流れだしており、現在でもその名残を止めている薄い礫石の三角洲がサブハ・マッティー(Sabkhat Matti)や現在の海岸線に向かって広がっていました。その南のはずれでは延々と細く長く続いてきたダフナー(Dahna’)砂丘地帯が広大な空白地帯に飲み込まれて行っています。

 

空白地帯はこの地方では単に、「リマール、Al-Rimal、砂原、The Sand」と呼ばれていますが、世界最大の連続した砂沙漠です。その北部は先端を風下に向けた三日月型の大きな砂の堆積である砂丘の連なりが縞模様を大地に描き、北部以外はイルク(‘irq)型の砂丘が一般的です。今日のこの沙漠は極端に乾燥したこの数百年間に風で運ばれ堆積した表層が覆っています。しかしながら、実際には、空白地帯の大部分は水成の土壌から出来ています。この土壌は鮮新世の終わりからや洪積世の早い時期に掛けての五百万年程度の間での雨の多い時代に河川によって西アラビアや中央アラビアから洗い流されて来た沖積層が乾燥しきって出来た土壌です。 

 

アラビア半島のほぼ、中央はトゥワイク山脈(Jabal Tuwayq)によって、南北に分断されています。トゥワイク山脈はアラビア盾状地の東を縁どり、ブライダ(Buraydah)の南からリヤード(Riyadh)、ライラ(Layla)、スライル(Al Sulayyil)、ファーウ(Al Faw)を通り、ハシュム・グラーブ(Khashm Ghurab)の西側に至る比較的低い山並です。かつての河川はこのトゥワイク山脈(Jabal Tuwayq)を幾つかの場所で切り通して流れていました。その名残は今でも、ファーウ(Al-Faw)付近の涸れ谷ヒンウ(Wadi Hinw)や涸れ谷ダワースィル(Wadi Dawasir)、涸れ谷ニサーフ涸れ谷サフバー(Wadi Nisah/Wadi Sahba’)と成って残っています。この時期には空白地帯は低くひろがるデルタ地帯でしたが、それ以前にはこの地域は広く海で覆われていました。 

 

海岸地帯では陸地の傾斜はほとんど分からない程に緩やかで、ところどころで陸地が辛うじて海面の上に顔を出している程度であり、往々にして、海岸線さえ、はっきりと確認できない様な場所です。そんな場所ではアラビア湾の干満の潮位差がわずか1.5mであるにもかかわらず、引き潮時には沖合1kmもの干潟を作り出します。特に、カティーフ・オアシス(Qatif Oasis)とタールート島(Tarut Iskand)からの湧き水の流れ込むタールート湾(Tarut Bay)の裂け目は動物植物の繁殖に取り分け貴重な存在です。この平らな海岸線はサブハ(Sabkhah)と呼ばれる浅い塩水の潟(ラグーン、lagoon)と含塩平地(ソルト・フラット、Salt Flat)によっても特徴づけられています。

 

サブハは海から閉ざされてしまった潟の海水が干上がって出来たものと、毛細管現象によって地中の塩分が地上に吸出され、水分が蒸発枯渇して結晶したものの二つのタイプがあります。ハサー・オアシス(Hassa Oasis)の周囲に広がる広大なサブハ(Sabkhah)は灌漑排水は枯渇して出来たものですが、半月湾(ハーフムーン・ベイ、Half Moon Bay)付近のサブハはかってはハサー・オアシスから海に注いでいた溢流水の川や沼沢地の跡です。 

 

海岸付近の海流は卓越風向と同じ様に、主として北から南に流れていますが、海岸線のほとんどが浅く、囲まれた湾で、わずかな量の海水が比較的大きな面積を覆いる為、弱い潮流でも大きく影響を受けています。夏の極端な熱さが海水の急速な蒸発と高い塩分濃度を作り出している反面、その浅い海が海草を繁茂させ、15mの深さまでには珊瑚礁が生育しています。瑚礁はところどころで、 頭の平らなプラットホーム型のリーフを作っており、それに向けて砂が堆積し、島と成って海面に現われているものもあります。 

 

沙漠の気候

 

アラビア半島の西は大西洋から東はパキスタンに至る、サハラ沙漠を含む乾燥帯に位置します。この乾燥帯は緯度的には四季があるには十分に北に位置しているにもかかわらず、その夏は極端に暑く乾燥しています。雨が降らず、晴れた空と強い日差しが五月から九月までの長い夏の特徴で、この乾燥した風土自身が時々起きる砂嵐の原因ともなります。この時期には雨は実際、全く降らず、温度も高く、七月、八月の平均気温は35 oC に達し、最高気温50oCを越える事も珍しくはありません。 

 

サウジアラビアのほとんどの地域では夏が長く、熱く、乾いていて、冬が短く、涼しく、年間降雨量が500mmにも及ぶアシール(Asir)地方を除けば、平均の降雨量は100にも達しません。夏での雨降りはアシール地方に限られており、春にかなりまとまった雨が降った記録は中央地方と南部地方に限られています。冬には相当量の降雨が北部地方、西部地方、東部地方でもみられますが、東部州南部の殆ど人跡未到のルブア・ハーリー(Rub al-Khali)沙漠では雨らしい雨は年間を通じて降りません。

 

海水の温度変化での緩和効果の及ばない内陸部では日中と夜間の気温変化が大きく夏場で18 oC 、冬場で11 oC にも及びます。 涼しい季節の十二月、一月の平均気温は15 oC ですが、寒い夜には霜が降りることもあります。相対湿度は低いのですがが、海岸地方では不快になる程に湿度が上がる事もあります。乾いたシャンマル(Shamal)と呼ばれる北西風が夏の卓越風向ですが、七月には吹き已み、風の穏やかな八月となります。

 

九月から東へと地中海から北アラビアを相次いで通過して行く低気圧が南はラアス・タヌーラ(Ras Tanurah)付近まで勢力を張るようになります。十月、十一月は涼しい気候への変わり目で、アラビアの秋です。風向きは変化を増し、雨が十一月から四月まで時折降ります。そのピークは十二月、一月で、その二か月がアラビアの冬で地域的な嵐や強風が吹くことも少なく無く、日中でも寒いことが多くなります。

 

海岸地帯では時として90%を越える湿気がでることもありますが内陸に対しては殆ど影響を与えず、10%を下回る湿度が記録されています。雲が無く、太陽による輻射熱の影響の強い南部沙漠地帯では特に夏の気温が摂氏50度を越えることもままあります。一般的に雲の無い状態は夜間の地表温度の放散量が多いので、特に内陸部では昼夜と夏冬での温度変化が大きいのが特徴です。

 

一般的にサウジアラビア全土での卓越風向は西から北西です。崖地や山岳地帯を吹く絶え間ない風の速度は低地を東向きに吹く風より70%も強く成っています。太陽の輻射熱が生物の新陳代謝に必要なエネルギーのほとんどを供給してくれていますが、サウジアラビアで六月、七月に受ける月平均最大輻射熱は一日当たり600langleysにもなります。南西部では輻射熱を最も受けるのが夏の前半で、夏の後半では雲が出て輻射熱を減らしています。中央内陸部や東部内陸部では輻射熱を一般的にもっと均一に受けていると言えます。

 

蒸発量は空気の温度、輻射熱、相対湿度、風の速度等に影響されている。一般的にはサウジアラビアのほとんどの地域で空気の温度と輻射熱は同じ程度の値ですが、相対湿度と風の速度は海岸から内陸に入るに連れ、変わってきます。大気中の相対湿度が低いことは蒸発に対し高い潜在的エネルギーを伴う大きな蒸気圧の不足を引き起こします。風の速さも似たような効果があります。従って、海岸低地に沿っての蒸発量は少なく、又、崖地に沿って、高度を上げている間は蒸発量は少なく抑えられていますが、東に向かって、内陸部に入ると一気に増大します。この値の違いは大きく、アブハー(Abha)では年間の総量が2,000mmであるのに対し、ハルジュ(Al-Kharj)では3,200mmにもなります。 

 

アラビア半島の東では雨量は北部が一番多く、南部に下がるにつれて少なくなります。 これは家畜の放牧への適性に大きく影響しています。空白地帯では十年もの間、雨が全く降っていません。もし降ったとしても、さらに南はもっと著しいが、雨は散発的で、当てにならないものでしょう。ある地方で激しく降っても、他の地方で降るとは限りません。平均降雨量はこの為、紛らわしい指標でしか過ぎません。ある地方の例えば75mmであったとしてもその地方の中では15mmから150mmあるいはそれ以上のバラツキがあります。

 

これと反して紅海側ではアフリカ大陸から紅海を渡って来た湿気を含んだ空気がヒジャーズ・アシール(Hijaz/Asir)の山を越え、夏でも雨を降らせます。この為に、雨水灌漑に頼る段々畑が広く山肌に作られています。又、この山々は高度も高く真夏でも涼しい為、シバの女王やソロモン大王の時代から文明が栄えていました。

 

沙漠の水

 

雨が降るのが極めてまれなサウジアラビアは川や谷に通年にわたる水の流れの無い世界で一番大きな国だと思われていますが、湖沼、河、小川の様な頼りになる地表水はありませんがサウジアラビアは帯水層に貯まった豊富な地下水に恵まれています。低地の溜まり水、泉、手堀の井戸の様な地表近くの水源がサウジアラビアに於ける町や農耕地帯、隊商路から放牧民の移動経路等の人間が生活を営む場所を決め、その発展を左右してきました。サウジアラビアにおける水資源開発は1932年最初に成功した深井戸の掘削よって大きく変化しました。

 

地下水が広く使われ始めたことで、この地での経済や社会の発展を可能にし、これと平行した石油開発の発展による歳入で水資源開発資金を賄うことが出来たので、サウジアラビアにおける水資源開発は急速に、広く行き渡ることが出来ました。今日では都市部や工業地帯で不足していた水資源はアラビア湾と紅海に設置された海水淡水化装置から供給されている一方で、国内の貴重な化石水資源の保全が注目されています。

 

アラビア半島の自然地理学的特徴と地質学的構成はサウジアラビアにおける水資源の存在と利用の可否を大きく決めています。地形の高低が降雨量を左右し、山地になるほど雨が多く降っています。浸食に強い岩盤が山地の基盤となり、反対に浸食されやすい岩盤が低地を作りだし、地勢を形作っています。浸食に強い岩盤は集水能力はありますが保水能力がないのに反し、浸食されやすい岩盤は保水能力に優れ、サウジアラビアの大帯水層の基本を形作っています。

 

取水可能な地下水の大部分はサウジアラビア全土の三分の二の地下に厚く、広く連続している堆積層のさまざまな場所に貯っています。アラビア楯状地の名で知られる地域が残りの三分の一でサウジアラビアの中西部の高地を形作っています。この地域は不浸透層で覆われており、集水機能と導水機能を主に果たしている。

 

アラビア半島での地表水の集水機能はそれぞれの地方の自然地理や地表水の形態によってさまざまです。ヒジャーズ(Hijaz)地方の山岳地帯では、通常、風に運ばれて来る湿った空気が高度を上げ冷やされる冬と春に降雨があり、山岳地帯の急な傾斜の為、その降った雨は往々にして急速に山地から流れ下ってしまいます。この流れを農業や生活水として使う為に土手や堰が広く普及しています。

 

ヒジャーズ(Hijaz)の南部のアシール(Asir)地方の山の斜面ではイエメン(Yemen)と同じ様に山肌に幾重にも水平にうねうねと刻まれた人工の段々畑が特徴です。急速に流れ下る雨水は段々畑の石積みの後ろに溜められ、通常では農地に向かない険しい斜面に耕作の出来る肥沃で幾重にも重なった細い回廊を作りだしています。石積みの貯水漕が作られ、降雨を集め、貯水し、雨の降らない乾期のための農業用水や生活用水をまかなっています。

 

この雨水の利用方法の恩恵で、ごく最近まで定住人口は高地の方が低地よりも密度が濃く、現在では快適な気候と自然環境が観光客を誘致しています。アシール地方に人類が定住した歴史を通じて、水を流用し、貯水する為の堰が広く使われてきています。土を積んだ一時的な堰がワーディーの土手に沿って、氾濫する流れを段々畑の方に流す為にしばしば作られて、最近では農業水資源省がこの地方の水資源の有効利用を図り、浸食や洪水を最小限に止める為に多くの大きなコンクリート製のダムや重力式ダムを建造してきました。

 

一番有名なのは観光名所でもあるアブハー(Abha)とナジュラーン(Najran)のダムです。(このダムはサドマディーク(Sad Mudhiq)と名付けられ、19825月に完成した大きなコンクリートのダムで涸れ谷マルワーン(Wadi Marwan)と涸れ谷イルド(Wadi Irdh)が合流した50m下流に作られました。このダム利用目的は洪水調整、地層水補充および農業用水の確保です。)今日までに全部で185箇所のダムが作られ、全貯水量は四億八千五百万立法メートルに達しています。

カナート(Qanat)と呼ばれる地下水の配水の仕組は技術的に非常に面白く、この仕組は中東の長い歴史を支えて来ましたし、回教圏全域に普及しています。この仕組は山の麓にある扇状地から地下水を集めて、村々や農地へ直接、水を流し込む方法です。多くの既存のカナトは古くから利用されてきて居り、伝統的所有権や水利権、又、村落の体制までもそれらのカナトの補修維持し、有効に利用する為に、左右されています。地下水位を下げる原因となる一部での掘抜き井戸の利用はこのカナトの仕組を無視し、機能を停止させる為、今でも、村人の間との社会問題を引き起こしています。

 

自然の地下水の貯水系は地質年代の最も古い地層から新しい地層まで包含しています。その中でも一番貯水量の多い帯水層はサウジアラビア全土の三分の二を覆っている堆積層の中にあります。サウジアラビア中央部及び東部のほとんどの地域へ十分な水を賄える量の水が九つある主要帯水層のうちの少なくとも一つから湧き出しています。

 

これら九つの主要帯水層の地質的年代はカンブリア紀から第三紀の間で、そのうちの六つは古生代と中生代の主として砂岩層です。それらがサク(Saq)、タブーク(Tabuk)、ワジード(Wajid)、ミンジュル(Minjur)、ミンジュル・ドゥルマー(Minjur/Druma)そしてワシアビヤダ(Wasia/Biyadh)の各帯水層でです。残りの三つの帯水層は新生代の炭酸塩岩であり、ウンムラデュマ(Umm er Radhuma)、ダンマーム(Dammam, Alat and Khobar)およびネオジェーン(Neogene)の各帯水層です。

 

各主要帯水層の地域的な広がり、地質、水力学的特徴、水質、貯留量、開発状況等はさまざまです。サク帯水層は不揃いで細かい砂を含むタブーク帯水層よりも均一です。しかし、この二つの帯水層が北中央部及び北西部の井戸の主要な水源と成っています。ワジード帯水層が現在、ワーディー・ダワスィール(Waji Dawasir)およびシャルーラ(Sharawrah)地域で使われている生活用水、農業用水をまかなっています。

 

この帯水層はむしろサウジアラビアの南中央部での開発の大きな可能性を秘めています。ミンジュル、ミンジュル・ドゥルマーそしてワシアビヤダ帯水層はサウジアラビア中央部における重要な水源で、ミンジュル帯水層の下部では鉱物質が多く、この帯水層の開発を制限する要因と成っていますが、鉱物質の少ない上部が首都リヤード(Riyadh)の主要な水源と成っています。ワシア帯水層はリヤードの新しい水源として使われ始めた他に、農業用水や油田の水圧入の水源としても利用されて来ています。

 

この層が最も主要な白亜紀の帯水層で、ワシア帯水層はサウジアラビア北西部ではサカーカー(Sakaka)帯水層と呼ばれて、南中央部ではワシア帯水層はビヤダ帯水層と水力学的に繋がっており、南中央部においては二次的帯水層のアルマ(Aruma)を含め、三つの帯水層が水力学的に一つの層として働いていて、白亜紀砂岩帯水層と呼ばれています。この層は1980年代の前半まではほとんど開発されていませんでしたが、今日ではルブア・ハーリー(Rub al-Khali)地域での大きな開発余地があると期待されています。

 

ウンムラデュマ、ダンマームおよびネオジェーンは帯水層を構成する各炭酸塩岩のカルスト効果(Karistification)よる節理や溶解の為、非常に多孔質で浸透性も大きく、これらの層は東部州のほとんどの地域で飲料水を豊かに湧出させています。中でも、ウンムラデュマが一番水量も多く、広く分布しており、ダンマーム帯水層と重なり、ハサーやカティーフの湧き水と成っています。

 

地下水の理論的資源量

 

主要な帯水層以外は一般的に浅く、大規模な水資源開発の対象にはなりませんが、そのほとんどはワーディー近くや窪地の溜まり水で年間八億トンもの水が伝統的な農業や村落の生活水として活用されています。主帯水層は一般的にアラビア楯状地の東の外郭に沿って存在し、ハッキリと八つの帯水層に区別できますが、これらの帯水層に対する研究は推定水資源量五千億トンを埋蔵するせいぜい地下三百メートル程度に止まっています。

 

それらの帯水層の多くはアラビア楯状地を包むかの様に長い半月形をしていて、これらの半月形は北に行くほど狭く、南に行くほど広くなっています。この層には東に向かって幾筋かの割れ目が走っていて、帯水層間の水の移動を可能にしています。三百メートルよりも深い層にも大量の地下水が帯水されている十分な証拠は出てきていますが研究はこれからです。東や東北に向かう帯水層の流れと反対にこれらの地下水は遠くトルコからシリヤやヨルダンを通過してゆっくりと南西に向かって移動し、南東に向きを変え、最終的には帯水の無い多孔質で浸透性の高い地層か、アラビア湾に流れ込んでいます。

 

淡水化

 

海水は毎年十億立方メートル(六億ガロン/日、八億ガロン/日に拡張予定)都市用水や工業用水の為に淡水化され、もう一つの大きな水資源となっています。しかしながら、農業用水としては経済的に代わり得る水源とは成っていません。これは主として淡水化費用が一立方メートル当たり二リアルと高いばかりではなく、散在している町村や農地へ送配水する費用が更に、一リアル半から二リアル掛かる為でもあります。もちろん、この送配水は逆のことも意味しています。

 

すなわち、八つの主帯水層の農業用としての利用は出来ても広く散らばった何千という水井戸から都市生活水や工業用水として集水するにはあまりにも法外な費用が掛かってしまう事です。この様に、農業用と非農業用との間には本当の意味で海水を淡水化した水の利用をめぐっての経済的な対立はないし、逆に、主帯水層の水の利用についても同様です。

 

処理水の再生利用

 

最近建設される都市下水処理設備では最高で最新の技術を駆使して排水を処理し、ワーディーに流せる程に水質を向上させていますが、どこの設備も能力以上の操業を強いられており、大雨に対する設備を別に持っていない為、時として理想的ではない状況も起きています。処理済みの下水は農業や緑化の為のかんがい水として安全に効率良く使えますが、衛生的な観点から、直接口にする新鮮な葉野菜に使うのは栽培上の問題があります。

 

サウジアラビアの様に乾燥した国では限られた水資源の有効利用の為には再生水の活用は有効な方法だと言えます。サウジアラビア全体の都市下水の量は一日当たり三百五十万立方メートルにも成って来ており、処理水の再利用も進んできている。かんがい水の全体の量からすればこの再利用量はわずかではありますが、首都リヤードでは市街地の下流近傍に良好な農地が広がっているため、排水再生水を有効に使っています。さらに、上流の幾つかのワーディーでもポンプで送水して使用しています。ほとんどの都市汚水処理施設がアラビア湾岸と紅海岸に配置されているので、今後は、海岸地帯の主要都市での再生水の利用を広げて行く必要があります。

 

沙漠の植物

 

二月から四月にかけての冬と春の雨が多年性の植物を蘇(よみがえ)らせ、一年性の草木に命を与え、遊牧のベドウインが牧草として利用します。この極端な環境化では、植物もいかに種を保存するかに懸命です。アラビア半島は広大なサハラアラビア植生地域に属しています。この地域の植物は低降雨、高温、乾燥した風そして塩性土壌等多くの環境上の問題を抱えていますが、アラビア半島の東側だけでも360種にものぼる植物が自生しています。

 

まばらにしか生えていないけれども、一般的なこの種の植物が過去において野性動物と家畜の両方共、その乏しく沙漠に散らばった生命を支え、その家畜が放牧の民の生活を支えてきました。ベドウインは植生をウシュブとシャジャルの二種類に分けています。ウシュブは柔らかい一年生で雨の降った跡に一時的に繁殖し、シャジャルは低木から樹木までの全ての草木で夏の過酷な気候にも耐えられます。

 

草木の多くの種類は乾燥、熱さ、塩性土壌に適応するための進化を遂げています。ナツメヤシは多分、アラビアで始めて人が栽培した果樹です。ナツメヤシは、高い塩性に耐え、強烈な日差しにも耐える樹木で、ヤツメヤシの栽培はオアシス農業を発展させた重要な要素です。ナツメヤシが強い日差しを遮り、その木陰では他の作物、果物、野菜等が栽培されました。このように、ナツメヤシは基本食料を提供してくれるばかりでなく、その周囲に農耕に適した環境を作り出してきました。 

 

その他の草木では、葉や幹が萎んでいる間に、直根が地中の深く湿り気を探りだし、ワックス分や産毛に包まれた葉や幹が水の蒸発を最小限に抑えています。他の植物の根に寄生する種類ではあるが、多年性植物のあるものには多汁で排塩作用があります。 ある一年性植物の種は発芽するまで何年も休眠状態をとります。少なくとも一年性植物はその種を時差を持って発芽するので一斉に成長し、花を咲かせ、萎んで行く事はなく、種が生き残る為の最大限の機会を作り出しています。

 

 

土地の利用

 

二百二十五万平方キロのサウジアラビア全土の内、色々と利用のされ方は異なるにせよ、おおよそ国土の七十八パーセント約百七十五平方キロが利用されている土地です。その中で、解放された放牧地としての利用が断然大きな割合をしめており、おおよそ利用されている土地の九十七パーセント約百七十万平方キロに及んでいます。サウジアラビア国内の過剰な家畜の飼育によって放牧地の環境悪化が進行しているのは明らかで、家畜の数は千二百三十万頭に増え、百七十万平方キロを振り分けると一家畜単位に対し14haの土地しかない事になります。

 

これはこのような乾燥地域において、一家畜単位あたり20haは最低必要とする一般的な概念を大きく下回っています。これが家畜と同じ植物を餌とする野性動物の数を減らす要因にも成っており、家畜の数の増加と環境の悪化は家畜の検定不合格や野性の動物植物の絶滅を引き起こしつつあります。驚く事に殆ど全域が沙漠と考えられている国土の中で高地の森林が二番目に大きな割合を占め、その面積は二万七千平方キロに及んでいます。三番目が耕作地で一万六千五百平方キロです。五百三十平方キロの作付け牧草地や二百九十平方キロの公園等はこれら他の用途に比べると取るにも足らない面積です。

 

アマーラ(Amarah)によると作付け作物の生産はサウジアラビア国内ではリヤード地区が飛び抜けて多く、全体の収穫量の三十七パーセントを占めています。二番目がカスィームでその半分の十八パーセントを占めて、南のジザンが四番目に大きく差を付けています。全ての地域で作付け地の分布は経済的耕作を可能とする水と土壌資源の量と質に左右されています。比較的な長所や経済状況が時間と共に変化し、これら二大農業地帯の収穫量が減退しています。これは小麦がもっと外来の涼しい高地適用の作物に代わって来ていることにも原因しています。雨水かんがいの可能な高地では牧草の栽培が圧倒的に多かったのですが、掘抜き井戸が地元の水源として設置され、労働集約型の水の向きを変える古い方法が廃れてくるにつれて、補助的なかんがい水の必要性が時と共に増えて来ています。

 

植林もまた経済的だけではなく、環境改善に寄与するという意味から土地利用計画の全面に出て来ています。公園だけでも六十一万六千本を越える木が植えられて来た。全果樹の七十七パーセントを占めるナツメヤシは千三百万本にも及ぶと推定されています。ナツメヤシの生産量は六十万トンを越え、梱包や加工で増える重量はさらに七万五千トンであり、主要な輸出品になっている。1990年だけで、おおよそ三十六万五千本のナツメヤシが農業水資源省から私企業に普及用に無料で配られています。

 

果物の苗木も生産され、同じように配られていますが、湾岸戦争以降これらに対する補助金は大幅に削減されているにもかかわらず、この12年間に、約百二十万本が二十三万七千トンの果実の生産に寄与してきています。政府が配った果樹の苗木うちの六十一パーセントが柑橘類(七十万本)であり、マンゴー、パパイヤが十万本、グアバ、イチジクが七万本、ザクロが四万本、葡萄が二万七千本です。これらを含め、他の外来種の果物も収益性が良ければ時間と共に全体に占める割合が増えてくると期待されています。

 

現代の生活

 

サウジアラビアの人口は人口の三十パーセントを占める外国人も含めて急速に二千万人に近づきつつあります。人口の増加は4.5%であった1980年代の後半をピークとして現在はおおよそ3%と予想されています。湾岸戦争後の不確定さや財政投融資の減額や個人収入の減少に伴う成長率の低下は社会経済的な圧力への一つの作用と成っています。人口増加の伸びよりも経済成長の伸びの方が大きければ人口の増加は再び増えると考えられます。

 

しかしながら、逆に、人口増加は経済成長の減退の効果を持っています。過去も現在も一貫して外国人労働者の削減を図って来ているにもかかわらず、サウジアラビアの国民の人口増加よりも外国人労働者の人口増加が高い値を示しています。人口の地方地域への分布は西部地区が最も多く36%の外国人を含んで五百五十万人です。これに対し、中央地方は28%の外国人を含んで五百万人です。サウジアラビア国民の男女の比率がほぼ同じであるのに対し、外国人の男女の比率は2.4/1.0と一方的に男の比率が多くなっています。

 

サウジアラビアの人口のほとんどが二十余りの都市に集中している事も大きな特徴です。その中でもリヤードが一番大きく全人口の18%で三百二十万人、それに次、ジェッダが15%で二百七十万人です。これら二十の都市に入らない都市部の人口は十都市を合わせてもジェッダの人口にも及びません。このように、二十の主要都市の人口が全人口の八十パーセントを占める程にサウジアラビアは高度に都市化された国家であると言えます。又、若年人口と外国人が圧倒的に多い事もサウジアラビアの人口構成の特徴で、若年層(24歳以下)が国民千三百万人の六十パーセント、外国人が全人口千八百万人の二十九パーセントです。

 

サウジ人と外国人の教育水準を比べるとサウジ人の5.6%以下しか学士以上の教育水準が無いのに、外国人の16.5%がもっと高度な教育を受けています。これは、経済の発展に取って外国人熟練者の継続的必要性を示しています。第六次国家計画にも示されているように、人的資源の中で高等教育への入学者に比べて、技術や職業訓練を受ける人間の数が非常に少なく、労働力をサウジ人ではまかないきれない事を示しています。

 

私企業において働く百二十万人余りの厚生年金に登録された被雇用者のうちの54%が最低賃金で働く未熟練労働者で、外国人専門家並の給与を得ているのは被雇用者のわずか8%に過ぎません。公共事業関連に働く五十九万人の公務員の内でこの給与をえられている階層は十級以上の層で全体の二十パーセントに過ぎません。第六次国家計画の中で一般人の雇用の内、農業とその関連の緑化事業等は第二位を占め、年間の平均成長率は1.7%です。さらに、この国家計画はサウジ国民の野外作業よりも都市化傾向の持続による事務所への勤務への希望が多く、農業とその関連事業では年間一万八千九百人も新人不足が続いていることに言及している程、サウジアラビア国民の労務者が不足し、外国人労務者を必要としています。

 

経済部門での総国民生産に占める石油と天然ガスの割合が圧倒的ではあるにしても、1982年の46.8%から1993年には35.3%まで下がって来ています。この間に、工場生産が第二位の重要な分野を占めるように成って来て居り、農業、林業、漁業は急速に発展中であり、第四位に迫る勢いです。貿易、輸送、金融等も経済の中で強力な中堅分野と成っています。

 

しかしながら、消費部門の総国民生産に占める政府の財政投融資が一定して30%余りなのに対し、私企業は36.5%から42.1%5.5%も増加しています。その一方で総国民生産に占める投資の割合は27.2%から21.6%5.6%減少しています。前者は経済を活性化する要素ですが、後者は経済を阻害する要素です。消費の増加と投資の減少が長期にわたると経済の生産性と成長力が弱まってしまいます。物資と役務の純輸出額は総国民生産の6%とこの期間の間ほぼ変わっていませんが、輸出入の両方での国民総生産に占める割合は11%とかなり落ち込んでいます。

 

近年、経済は余り目覚ましい発展はしなかった一方で、人口の伸びは著しかったので一人当たりの国民総生産は減少した事になります。良い方向としては石油、天然ガスや公共事業への依存度が減って来たことです。悪い方向としては私企業の経済活動に占める割合が増えているにもかかわらず、その原因が公共投資の減ったことであって、製造業が増えたとか、輸入代替え品が増えたと言う理由ではないことです。

 

サウジアラビアは他の経済域と比べて国民生活にかかわる物価上昇を驚くほど一定に抑えて来ています。住居費は減り続けて来てはいましたが湾岸戦争後に少し増加傾向にあります。十大都市の中産所得者の家計費は全人口に対するそれと大差は有りません。これは、全ての所得層に物資の供給が公平に行われているということを示して居ます。

 

サウジアラビアに於ける人口と発展の両方を表わす主要な指標は電力の需給です。1983年頃からの受電加入者は200%余りに増加しているのに対し、電力の消費量は268%も増え、加入者あたりの電力使用量の増加を示しています。電力の供給は海水淡水化の副産物として増えて来ています。十大都市の水道水使用料は1983年から200%以上にも増えています。特にメッカでは他の都市を断然抜いて600%にも増えています。又、リヤードは十一万もの新たな加入者が増加した事もあって、上水受給者の数は他の都市と比べ群を抜いて多く成っています。

 

これらの主要都市に於ける生活用水、工業用水の増加に間に合わせる為に、海水の淡水化は著しく増加して来ています。全生産量は四百三十六億ガロンから千五百六十六億ガロンに増え、現在、ジュベールが最大の生産を誇り、遠くリヤード、カスィームへ送水しています。リヤードは飛び抜けて大きな水の需要者で二百四十二億ガロンから九百二十億ガロンに380%も増えています。

 

率ではターイフが930%と大きいのは測定開始の時点で淡水化に頼る水需要が五十八億ガロンと少なかった為です。この様に給配水量が増えた原因は高い生産原価や増大している徴収額にも係らず一人当たりの消費量が増えて居る事にあります。水資源はその原価と稀少性にもかかわらず、特に厚い政府補助を受けていることは海水淡水化と給配水の私有化が水の使用料と使用の仕方を大きく合理化する手段であることを示しています。

 

サウジアラビア基幹工業会社(SABIC)はサウジアラビア国内最大の工業事業であり、目覚ましい生産と輸出を行っています。各生産部門の輸出は時間と共に増えていますが、金属生産だけが著しく減少しています。基礎金属、運輸、倉庫等の分野を除けば、各々の工業化分野で認可された生産工場の数は増えて来ています。しかしながら、金属生産、工具、機械は基礎金属供給の不振にも係らず、最大の工業事業と成っており、輸入代替え品は金属分野ではうまく機能して無い事を示しています。

 

この十年間大規模な農業基盤の整備を受けて、食品製造、飲料製造が急激に伸びている分野ではありますが、今日まで、原料を輸入する事が基礎に成っており、国内の農業生産物の付加価値をあげるような産業と成っていないと言う問題があります。

 

政府が緊縮財政のために新しい計画の投資を縮小しているため、私企業や自治権のある政府機関が建設企業の為の推進力と成って来ています。幾つかの病院や学校が大きな拡張や、新規の設立を行っており、新しいショッピング・コンプレクス、事務所、コマーシアル・センター、ホテル、レクリェーション・エリア、私有の別荘、ハウジング・コンパウンド等がサウジアラビア中で建設されています。

 

大規模なレクリエーション施設を含む開発がサウジアラビア全土に広まっているのは確実です。一箇所全ての施設が利用可能であるような包括的な余暇の過ごし方、観光の様式の傾向が見られます。広い土地に様々な主要施設を取り込んだ大規模な緑化が必要で投資規模は莫大な金額になります。ホテル、リゾート、休暇村等の建設が増えており、1994年から1995年にかけては全建設工事に占める割合は4.4%から44.4%tに成っており、十倍にも増えています。

 

沙漠の緑化とは

 

もう一度「緑化とは何か」をここで復習してみたいと思います。サウジアラビアの様な沙漠地帯を緑化すると云うと日本では不毛の土地で草も生えない土地に植栽植樹する様なイメージを持たれがちです。サウジアラビアの国土面積は225万平方キロでそのうち森林面積が27千平方キロ、放牧地(但し、放牧地は日本人の感覚では沙漠ですが駱駝、羊の放牧が可能)が170万平方キロです。

 

「七つの緑の穂」と名付けられた1965年から1972年に行われた農業改革を軸に耕地面積は165百平方キロにも広げられています。この耕地面積の夥しい増加を可能にしたのが1932年に成功した化石水からの取水です。アラビア半島は化石水に恵まれ地下300m位までで五千億トンが埋蔵されています。その水を汲み上げ、主として灌漑水として利用しています。ところが、現在サウジアラビア国内で使用されている灌漑用水(年間二百億トン位)の内の65%が化石水です。

 

この為、化石水の水位の低下傾向は著しく、ハルジュの竪穴で見られるように100m近くも下がっている場所もあり、海岸地帯では海水の混入が問題になる程水資源の枯渇が心配されています。その一方では従来の農業にたいする手厚い補助金制度は農業の過剰生産と家畜の過剰放牧を招き、それが沙漠の自然環境を破壊し、沙漠を荒れ地化するものとして深刻な問題に成っています。この様な現状では「沙漠に緑を」は水資源の無駄使いと受け取られるばかりでは無く、環境破壊とも受け取られ兼ねません。

 

一方で、サウジアラビアは1938年の原油の発見以降、急激に発展しました。その結果、人口が極端に、都市化(80%以上)し、若年化(24才以下が国民の60%)しています。都市の住人に対する生活水の供給は海水淡水化によって大規模に補完され、年間10億トンの淡水化が行われ、ジェッダ、ダンマーム等の海岸都市ばかりでなく、パイプラインで遠く、リヤード、カスィーム、メッカ、メディナ等の内陸都市にも供給されています。

 

貴重な水資源を効率化使って、国民の大多数となった都市部の住人に緑のアメニティを提供し、緑の付加価値を高め事業化することにより、若年層の雇用機会の増やす事が第六次国家計画として挙げられています。さらに、高等教育程度の普及は大家族主義から核家族主義へと生活様式を変えており、この十年間に大規模な観光、休養、別荘、居住を対象として数多くのコンパウンドやマリーナ、ヨットバーバー、遊園地、観光用のケーブルカーやリフト等が有力な王族、財閥、投資会社等によって建設されている一方で、地方政府の手で散策用の公園が整備され、中央政府の手で国立公園や野性動物保護区が拡大されて来ています。人口構成からこの傾向は当分続くと考えられます。

 

緑の事業化

 

緑化に関する事業は一般には取水給配水施設、緑化設備の基礎資材、緑化材料の製造や供給の様に思われています。取水給配水施設とは水井戸の掘削、ポンプ、エンジン、発電器、灌漑機器、タンク、パイプ、フィッチング、バルブ、排水処理施設、淡水化プラント等の製作、維持であり、緑化設備の基礎資材とは植木鉢、グリーンハウス、遮光ネット、冷却パッド、フェンス、ゲート、貯蔵施設等の園芸、植木、花壇に必要な道具、器材の製作で、緑化材料とは種、肥料、土壌改良材、殺虫剤、防黴剤、除草剤等の他苗木や苗の育苗等です。しかしながら、サウジアラビアで緑化の事業化を考えるとこれらの農業、園芸、水関連、水産等関連事業の他に東部州、中央州や西部州の商工会議所が揃って挙げている様に緑化周辺事業である観光開発、レクリエーション施設、スポーツ施設等の他、ハウジングコンパウンド、ショッピングセンター、別荘地等の土地開発も含まれてきます。この様に緑の事業化は「緑の付加価値を高める事に尽きる」と考えられます。

 

農業分野

 

サウジアラビアの豊富な土地と日光を利用し、遮光、水、肥料を調整することにより高級果実野菜を生産し、氷冷保存等の生鮮野菜の長距離輸送技術を使えば輸出出来ます。既に、イスラエルからは日本に多くの果実野菜が輸入されて居り、サウジアラビアの国立農業開発会社(NADECO)からも赤や黄色のピーマンが輸入されています。課題はサウジアラビアではサイズ合わせ、梱包等に対する認識が低いのでこの啓蒙による買い付け技術が必要です。ちなみに、日本にブルドックソースやお好み焼のソース原料として輸入されたデーツの値段はトン当たり六万円であったのが、サウジアラビア国内のマーケットで食用に買うデーツがキロ当たり二十リアルでトン当たり六十万円、デーツの高級小売が扱う最高級品では一粒が一リアル半でトン当たり六百万円にもなります。

 

この様、同じ作物でもサイズ合わせ、収穫後の処理方法、梱包方法の管理により、極端な場合、百倍もの価格差が出てきます。開発輸入の有望な野菜としてはピーマン、ユズ、ワサビ、ラッキョウ、ハス、アスパラガス、イチゴ、メロン、キノコ類の他、この副業としてサウジ国内向けに淡水を利用して飼育できる虹鱒、姫鱒、稜魚、鰻、鯰、鯉等、開発輸入用にはすっぽん、かえる、淡水海老、蟹等の養殖も考えられます。淡水魚の養殖としては既にテラピアが成功しており、大手のスパーマーケットで生きたまま売られています。

 

園芸分野

 

サウジアラビアでは室内や庭を植栽で飾る事は一般的であり、園芸の趣味は広く行き渡っています。このおおきな理由としては現在の都市生活者の殆どは子供の時代に村落に住み、羊の世話をしたり、ナツメヤシの木陰で家庭菜園の手入れをしたりして育って来た事があげられます。しかしながら、都市生活も二代目と成ると村落生活の経験も少なく、鉢植えの観葉植物や花卉を購入する事が多く成っていると思われます。

 

彼等の殆どは欧米を旅行しており、現在のサウジアラビア国内で取り引きされている様な品揃えや品質の鉢植えでは満足せず、家庭花壇の品評会で入賞する様な高品質の鉢植えや多くのバラエティを求めています。従って、自動播種、発芽装置等を使い、大規模に品質管理の行き届いた鉢植えの販売は有望です。現在、日本芝が庭園用に十倍以上も高いにもかかわらず、美しいと言う理由で良く売れています。又、財産に成るような高級種のナツメヤシの組織培養育成等技術的に難しいだけに将来性があると思われます。

 

水資源分野

 

海水の淡水化の技術は現在の海水蒸留やR/O使う限り、成熟しているので、激しい価格競争に晒されています。都市下水の排水処理技術も普及しており、この分野においては新技術の開発がされないと進出は難しいですが、サウジアラビアの豊富なガス資源また、ますます増える都市部の下水量を考えると生産コストを削減できる技術開発さえされればこの分野の需要は果てしない可能性を持っていると考えて良いのでは無いでしょうか。太陽電池を利用した小規模のR/Oも開発余地が大きいと思われます。

 

観光開発

 

サウジアラビアの観光資源はその地勢地理、動植物、歴史、風俗のどれを取っても優れた観光資源を持っています。現在、外国人特に回教徒以外に対する入国は厳しく制限されているため、対象は国内とG.C.Cを始めとする回教諸国に限られていますがそれでも観光客はサウジ国民の海外観光旅行の国内化とハッジ、オムラと言ったメッカ巡礼を中心に年間百万人を越え、観光収入も十億ドル規模に成っています。

回教の宗主国として回教の戒律に問題と成らないように外国人の観光に関しては慎重ですが、国家観光委員会の下に観光庁を設置し、積極的に観光開発に乗り出しています。最近外国人の観光をサウジ航空が主催して始め、既に、一部に観光ビザが解禁され始めて居り、酒や歓楽街の無いと言うハンディは持つものの、セキュリティの良さや無愛想だけど親切な国情がそれを埋め、特に、青少年や塾年を対象に考えた観光や大沙漠を舞台にしたサハリ等には大きな可能性のある事業化分野です。

 

土地開発

 

ハウジング・コンパウンド、ショッピング・センター、別荘地、保養地等大規模な土地の造成や造園はこの十年間だけでも相当数行われているがまだ、対象が富裕階級や高給の外国人等に限られており、二十代前半から十代の世代が、今後共、都市部に収集して住み、中産階級化し核家族と成って戸数の増加して行く事を考えると、現在は一段落した様に見受けられるが原油収入や工業化が安定し、国が発展する限り、長期的には土地造成は益々必要となると考えられます。これらの緑化を伴う土地開発は過剰放牧や農業の過剰生産が問題と成っているサウジアラビアでは緑化の生み出すアメニティ効果を利用しての緑化の付加価値増大が計れると言う事で最近、自然の景観を利用或いは改造し数多くのコンパウンドが作られて来ています。

 

レジャー施設

 

現在のレジャー施設は土地開発に付随した形で遊歩道、バーベキュウ、遊園地、遊覧船、遊覧馬車、休暇村等が主体で観覧設備が比較的少ないが将来的にはディズニーランドの様なテーマパークの整備が可能に成って来るでしょう。既に、小型の遊園地が各地で人気を呼んでいます。

 

スポーツ施設

 

現在のスポーツ設備の主体は何と言ってもサッカー場でスポーツ設備の大半を占めると思われます。その他には乗馬クラブ、狩猟クラブ、マリーナ、フィッシングクラブ等があり、外国人向けにヨットクラブ、テニスクラブ、ゴルフクラブ、スカッシュ、アスレティクジム、プール等があります。最近は従来、若者に限られていたスポーツをダイエットの為に中高年者も行う傾向が出て来て、サウジ人が汗を流しながら少し涼しく成った夕暮れ時にナイキ等履いて早足をしたり、走ったりしたりする姿が少なく無く見かけられ、又、テレビ放送でアスレティク体操の指導の番組等流れる様に成って来て居ます。今後は、特に中高年を対象とした楽しみながら出来るスポーツの為の施設例えば他の湾岸諸国で自国民のプレー人口が増えているゴルフ場等が有望と思われます。又、アスレティクとマッサージ、健康入浴施設等を組み合わせたスポーツクラブ等も増えてくるのでは無いでしょうか。

 

あとがき

 

サウジアラビアを緑と言う観点から駆け足で眺めて、まとめた小文ですが、知られない部分の多いサウジアラビアへの理解の一助にでもして戴ければ幸いです。