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2006月11月06日
 豊かなオアシスに恵まれた原油の宝庫    (サウジアラビア王国東部州)

 その5 アラビア湾岸    (No. 5 Arabian Gulf_9)            著: 高橋俊二




8. 東部州の漁業(Fisheries)

8.1 近代漁業

8.2 近代的海老漁

8.3 伝統の真珠採り


8. 東部州の漁業 (Fisheries) 

東部州の漁業の中心は近代漁業、一次ブームとなった海老漁および今では廃れた伝統的な真珠漁等であるが、いまだに伝統的な漁も細々と行われている。Page Top

 

8.1 近代漁業 

東部州の漁業は「その1 東部州紹介の7.3 漁業」で触れた伝統的な浅瀬に仕掛けた刺し網(gill net)や立て網(trammel net) 、沖合に仕掛けた囲い網(surrounding net)や地引網(beach seine)等、遠浅を利用したヤナ漁、深みに仕掛ける網籠(fish pot)、投網等は石油産業の発展と共に廃れ、トロール漁などに近代的漁法が一般的と成ってきた。漁獲される外洋魚(pelagic fishes)のイワシ(sardines)、カタクチイワシ(anchovies)およびマグロ(horse mackerels)の他に海底魚(demersal fishes)も漁獲の重要な部分を占めていると共に、珊瑚礁に棲息する多くのスズメダイ等の種類が含まれる。詳細は別添の「アラビア湾の魚(Gulf Fish)」をご参照戴きたい。サウジアラビアの魚市場の並べられる魚は110種類で1996年の農水省公表よればその内の人気魚の漁獲量はエビ(5,700トン)、フエフキダイ(3,700トン)、サワラ(2,600 トン)であり、その他にアイゴも人気がある。21世紀に入ってその漁獲も減少し、エビやテラピア等を初めとして養殖漁業に重点が移行してきている。Page Top

 

8.2 近代的海老漁 

東部州の近代漁業の歴史は1940年代に遡る。その当時、アラムコは魚や海老を土地の漁師から買い取って、社員に売るために冷凍した。この為にアラムコは1950年代の初めにラス タヌラのマリーンターミナルに小さな冷凍プラントを建設した。地元の漁師たちはその冷凍プラントがフル操業出来る程の漁獲量を供給出来なかったのでこのプラントはやがて閉鎖しなければ成らなかった。その後、アラムコの甲殻類専門家C.E.ダウソン (C.E. Dawson)が「近代的なトロール漁の漁具や方法が導入されればアラビア湾での経済規模漁業は可能である」と研究結果を出した。1961年に真珠漁で財をなしたゴサイビ家 (Gosaibi) のカリファ アル ゴサイビ氏 (Khalifa al-Gosaibi)がアラムコのアラブ事業開発部に漁業事業を復活させる為の技術と資金の援助を要請するとアラムコは東部州漁業事業奨励の為にアル ゴサイビ氏へラス タヌラのプラント (the Ras Tanura plant) から幾つかの設備を譲渡する手配をすると共に、その投資に見合う1,100万リアルをアル ゴサイビ氏が地元銀行から借り入れるのも保証した。

19627月にアル ゴサイビ氏は政府から東部州のクウェイトとの中立地帯からカタールに至る海域の魚漁と海老漁に対する15年間の権益を認可された。1年後にアル ゴサイビ氏とその兄弟はヨーロッパおよび米国の専門家の助けを借りて、漁業事業を始め、アラビア湾の有望な漁場の開発を始めた。二回の漁期の為に、二隻のダウ船と二隻の近代的トロール船が音波探査機と小さな試し網を持って漁場探査作業を行った。結果は最初には悲観的であったが最後にマニファ (Manifa) 沖の砂州で黄金-ピンク色の黄金に当たった。その漁場は32km x 40kmの広さで、文字通り海老が這い回っていた。

1965年には120名の雇用員がマニファに駐在し、その半分の雇用員が船上に、そして300名がダンマンのプラントで働く程までにこの事業は発展した。プラントはジャンボサイズの海老の冷凍に集中し、そのジャンボサイズの冷凍海老は米国で高級ホテルやレストラン向けの「海洋砂州」のラベルで売られていた。最初の見積もりでは毎日6,000ポンド(2.724トン)の漁獲量を推定し、プラントはその量を処理し冷凍する為に建てられた。アラビア湾はもっともっと豊漁であり、1965年秋には正午までに7隻の船が17,000ポンド(7.718トン)の収穫を持ち帰った。アル ゴサイビ兄弟は事業の拡大し、製氷機、冷却タワー、冷凍機、処理魚肉の養鶏の餌に転換等の導入を始めた。更に2隻のトロールをパキスタンで新造し、米国でも追加4隻の船を新造している。1965年末までにアル ゴサイビ氏の計画は英国、イタリアおよびギリシャとの協定で700名の人員と5隻の船を船団に加え、何日も海に滞在し、洗浄、梱包、冷凍および貯蔵設備を持つ500-800トンの母船も動員出来た。1966年にはアル ゴサイビ氏の旗あるいは協定で働くのは30隻の漁船と3隻の母船であった。これは3,000隻を数えた真珠漁の船には遠く及ばないにせよ、1960年台の半ばにはアラビア湾の海老漁はジャンボ海老の様にほとんどバラ色に見えた。

この事業は現在でもマニファ (Manifa)を中心に35隻の海老漁船を持つカリファ アル ゴサイビ漁業会社 (Khalifa A. Al-Gosaibi Fisheries Co.,) として操業しているが、東部州の近代漁業の中心は1980年に政府が40%資本を出して2億リヤルで設立したサウジ漁業会社 (Saudi Fisheries Company) に移行している。サウジ漁業会社はダンマンに本社を置き、近代的トロール船(Trawller)14隻と伝統的な漁船35隻を保有し、ダンマン(Dammam)、ジザン(Jizan)、ジェッダ(Jeddah)およびリヤド(Riyadh)に各100トン/日の魚肉処理施設とアシール州アブハ(Abha)の西140kmのフライダ(Huraidha)に敷地面積10km21ヘクタールの円形水槽108基、年産1,500トンの近代的海老養殖場を持っている。サウジ国内では「Alasmak」と言う商標で80以上のアウトレット(Outlet)を持ち、タミミやアジジアパンダ等殆どの代表的スパーマケットで売場を持っているので魚を好む日本人のサウジ在住者では知らない者のいない存在と成っている。

 

 

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8.3
伝統の真珠採り

アラビア湾のアラビア語の話し言葉には真珠を表現するルル (lulu) 、ダナ (dana) 、フッサ (hussah) 、グマシャ (gumashah) およびハスバ (hasbah)  等多くの言葉が有り、未だに形や色を記述する古い伝統的な名前に使われている。スジャニ (sujani) は真珠型の露であり、カイジ (khaizi) は引き伸ばされた上半分と丸くなった下半分を持ち、アダシ (adasi) は平らな側の円筒形であり、マジフーラ (majhoolah)  は「分からない」であり、大きな不規則な醜い真珠であるが時としてその外膜の下に完全な物を隠している。シンダアリ (sindaali) は新鮮な色付けで、ソフリ (sofri) は黄色で、カルディル (khardil) は黒である。 シンジャバアシ (sinjabaasi) は全ての中で最も精緻な黒真珠であり、ニムロ (nimro) は殻に固定された真珠である。最後にジワン (jiwan) はペルシャ語では頽廃ジャワン (jawan) であり、若かったり、未成熟であったりする事を意味するが、ローズ色を帯びた白で、完全に丸く、生きて輝いている様な純粋の光沢を持つ完璧な真珠の事である。この様に真珠にはピンク、青、緑、黒、灰色、黄色、クリーム色、赤褐色等虹に含まれる殆ど全ての色を見出せるが、全ての中で一番珍重されるのはローズピンクの淡い輝きを含む白であり、理想的には真珠に殆ど半透明の性質を与える深い光沢の組み合わせである。

東洋でも西洋同様に純粋と純潔の象徴である真珠の神秘的な起源について露或は雨の不思議な粒として様々な記述がある。シュメール人 (Shumerian) の銘板には真珠を魚の涙と言って居る。今日ですら、専門家は真珠がどの様に形成されるかについて同意が出来て居ない。寄生質の虫の所為なのか、砂粒かあるいは病気なのか?幾つかの真珠ではハッキリと寄生質の核を確認できるが、他では核を全く確認出来ない。唯一ハッキリしているのは牡蠣が殻を作る為の分泌液が形成する真珠層で殻の中に深く入った刺激物を包み、真珠が生まれる迄、何重にも覆う。天然真珠は世界中何処でも見付かって居るが、アラビア湾の真珠がもっとも精緻であるとの認識を得ており、他の如何なる場所でも同じ様な質と量の真珠を絶えず生産する事は出来ない。

真珠採りの季節の間、男達はノカサ (nokhatha) と呼ばれた船長の鉄の規律下で甲板上に共に働き、食べそして寝た。船長はしばしば船の所有者でもあった。ノカサはハイラト (hayrat) と呼ばれる最高の真珠礁を見ける為のその熟練でその地位を得て居た。航行は太陽と星と船長のアラビア湾の知識だけで行われた。

伝統的な真珠採り潜水方法は数千年前から殆ど変わって居ない。それは二人の男(潜水夫ガイス又はガウワス (ghais or ghawwas) とその綱番サイブ (saib) )の強さと辛抱のみが要求される。綱番が綱を早く引っ張り上げないと潜水夫が溺れてしまうので文字通り、綱番は潜水夫の命をその手に握っている。ガウワスは夜明けから日没まで潜水し、通常およそ9mから12mある深さにもよるが少なくとも8回は休憩する前に潜水する事を期待されていた。ダイイーン (dayyeen) と呼ばれる網のバスケットを自分の首に縄で吊るし、石の錘を付けた縄を腰に巻き、フェタトン (fetatn) と呼ばれる鼻クリップを鼻に留め、カバト (khabat) と呼ばれる皮の指サックを鋭い珊瑚から守る為にはめ、潜水夫は海底に母牡蠣を探しに沈む。何人かはクラゲの針やサメの攻撃をかわす為に綿の上張りを着用している。

乗組員でその他に重要なのがアル・メジャッディミ (al-mejaddimi) と呼ばれる第2司令者、サイブが礼拝している間、サイブを開放してもやるアル・ムサッリ (al-musally) と呼ばれる礼拝頭、グループの歌を指揮し全ての乗組員の指揮を向上させるナハハム (nahham) 等である。歌の多くは哀愁を帯び、悲しげであるが、全ての歌は今日でもアラビア湾の音楽として圧倒的な太鼓の強い打つ音を基礎にして居た。

真珠採り船の船上生活はスパルタ式であり、真珠採り潜水夫は非常な苦難を被って居た。彼等は朝と昼がコーヒーとデイツ(ナツメ椰子の実)で夕食が魚とご飯と云う主食でしばしば栄養失調であった。漁期の最初に付いて居た潜水夫の体の肉は急速に失われ、最後に彼等が村に帰り着く時には骨と皮だけであった。彼等は又、肺病、皮膚の菌類による感染、壊血病、リューマチ及び関節炎を患った。潜水夫はフカの攻撃にも晒され、もっと申告なのは長い潜水時間の繰り返しの間に高じた酸素不足が原因で遅効性脳退化を頻繁に被った。

苦労して手に入れた牡蠣は甲板に山積みにされ、簡単に口が開けられる様に23日乾くまで放って置かれた。真珠は探すのは純粋に幸運の問題であった。或る時には一日どころか一週間丸々数千の牡蠣から1個の真珠も探し出せない事もあった。別の時には数時間の潜水が真珠の豊かな収穫をもたらした。船長が見つけた真珠全てに責任を持ち、赤い布の子袋に保管した。この赤い布の子袋は今でもアラビア湾の真珠商が使っている。

船長は真珠を売ると直ぐに各々の乗組員に現金を支払う。この支払いの階層分配は頑なに決められ、細心に固執されて来た。大きな分け前は船長の分として脇にどけられる。その他は船の費用を差し引き、残りが各個人にその階層分配に占めた役割によって比例して配分される。潜水夫はしばしば彼等の分け前を彼等が船出している6ヶ月間の家族の生計を支える為に漁期が始まる前に前借している。従って、もし漁獲が良ければ彼等は次の漁期が終わる迄、前借無しに生活を賄うのに十分な分け前を得られたが、そうでなければ、死ぬまで、困窮と空腹と負債に直面した。男が死ぬとその息子が全ての負債を引き継がなければ成らなかった。この様に多くの潜水夫が最初に潜るまえから多大な負債を抱えていた。

タウワシュ (tawwash) と呼ばれる真珠商人は真珠連鎖の次段階の繋がりである。小さな真珠商人は毎週真珠礁付近のダウ船を訪ね、自分が買えるだけ買い込み、それで得た真珠をもっと大きな商人に転売した。もっと卓越した商人は品物の価値によって分け前を支払われる特別の使者によって海岸に運ばれてくる委託購入の真珠を受け取る。真珠の買い付けは皆が公正だと考える複雑な仕組みのセリ方式で厳しく統制されていた。真珠の取引を300年以上も続けてきたカタールのアルファルダン家(Alfardan)は現在でもその中心にある。

アルファルダン家(Alfardan)はバハレイン(Bahrain)のシットラの出でアラビア湾中にその分家がある。真珠採りの潜水夫達に偉大な真珠の男として記憶され、家族に指導的な真珠王朝の立場を確保したハッジ イブラヒム アルファルダン(Hajji Ibrahim Alfardan)が始祖である。デザインや飾りの選定から素晴らしい真珠が瞬間的に分かる広い知識を持つ専門家である為に、ハッジの5人の息子は未だに現在の天然真珠取引に残っている。手軽に入手出来る安い日本性の養殖真珠に対しての伝統的な天然真珠市場の損出に加え、大恐慌はアラビア湾においてなお一層深刻な影響を与えた。しかしながら、アルファルダンの息子達は父親の足元に座って売り買いの技術を学び、1930年代の世界的大恐慌を乗り越え、その間にさらに大きくなった。

石油の富みの恵まれ、湾岸産油国の国民に対する経済効果は装飾技術繁栄の基礎となった。この装飾技術は今では南アラビア湾全体に広がり、精緻な真珠で一番知られているアルファルダン家はティファニィ (Tiffany) やショメ (Chaumet)と並ぶ水準の名声をこの国々では得ている。現在では天然真珠の価値が数十万ドルにも高騰してしまっている為、天然真珠の装飾は一般的では無くなってしまった。この為、バハレーン海域の牡蠣に関する専門家であるサミ・アブドッラー・ダンイシュ博士 (Dr. Sami Abdulla Dannish)等が近代装備を身に着けた潜水夫による天然真珠採り操業の可能性を再検討している。真珠礁の生き物、アラビア湾海域での汚染、汚濁物質の影響等、牡蠣成長の研究に基づいて人工的な牡蠣礁を再現したり、新設したりする為の幼牡蠣養育等アラビア湾真珠養殖の可能性は今後、増大していくと期待されている。
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