サウジアラビアの自然と地理

 

高橋 俊二

 

                      修正  平成240803

平成151115

                     

 

前書き

1. 地質的生い立ち

2. サウジの地形

3. 遺跡と古代史

4. 民俗と部族

5. 自然と地理

 

 

前書き

 

サウジアラビア王国はアラビア半島の内の二百二十平方キロもの広大な乾燥した土地を占めている。外国人はこの国を単に沙漠の国と認識して居り、この王国の南東部から南部に位置して居る空白地帯(ルブア・ハーリー沙漠)は外国人がこの様な土地をどの様に感じているかをその名前が典型的に示している。しかしながら、その王国の一部でしかないルブア・ハーリー沙漠の中の乾燥した地でも山々、岩丘、崖、洞窟、原野、草地、小さな湖沼、季節的な河川、泉、砂丘、考古学的遺跡、民俗的村落、遊牧民、農場、油田など変化に富んだ地勢、地理をしており、この王国全体を思い出しながら景色の良い場所を数え始めると訪れてみたい場所の大変多い事を改めて認識する。

 

私は大学を卒業しアラビア石油(AOC)に入社し、クウェイトとサウジアラビアの中立地帯沖合の利権操業に関わる仕事を中心に長年働いて来たが、その内のサウジ駐在期間の殆どをクウェイト国境に近い東部州の最北端であるカフジで過ごした。第一次湾岸戦争の際にサダム・フセイン(サッダーム・フセイン)から爆撃を受けた後、ダンマーム、リヤード、ターイフを抜けて自分達で自ら運転してジェッダまで避難した。サウジ国内に様々な変化があるとは思って無かったので、その際に見た景色、町や人々は大変に印象的であった。

 

その第一次湾岸戦争後、間もなく日本がサウジ国内でサウジ政府の科学技術庁に当たるKACST(科学技術都市)と共同研究を行った「排水再生と緑化」のプロジェクトに参加する事になった。1996年に始まり、7年間にわたったこのプロジェクトの間に自分の沙漠の知見を広げる為にサウジ国内の沙漠を回って歩いた。その間、走行距離が100,000kmを越えると車を更新し、帰任する時には5台目の車を使っていた。この沙漠の旅を通じてサウジ政府が沙漠の奥や深い山の中のどんな遠隔な小さな村にもアスファルトで舗装した道路を敷設する努力をしている事に本当に感心した。その様な沙漠の奥や深い山の中の遠隔地であっても治安的な不安を感じる事は全く無かった。

 

サウジと言えば、イスラムの伝統、サウジ王家、油田開発の三つが主要なテーマであるがそれらを紹介する文献は多い。私も及ばずながら一般的には余り知られて居ない地質、地形、遺跡、民俗、動植物等の自然と地理に関する紹介をこの7年間に様々な場所を訪れた経験を基づいて行いたいと考えている。個々に紹介する前にここでサウジの自然および地理をおおまかに振り返ってみたい。

 

1.地質的生い立ち

 

サウジアラビアの地質には非常に興味をそそられるのは地表を覆う物が殆ど無いので地層を簡単に見る事が出来るばかりか直接触れるのも容易い為と思われる。

 

12億年にわたるアラビア半島の地質を理解するのは簡単では無い。私の僅かばかりの観察も合わせて、文献によると「アラビア半島の本体(アラビア盾状地)が12億年前から5億年前までの7億年間に大陸の塊が何度かの衝突とそれによって起きる地殻変動を通じて形成された。」と言う。基盤岩即ち花崗岩がアラビア盾状地の殆どの場所で露出している。

 

その後の48千万年の静かな時代にこの半島は繰り返し海に沈んだり、海から隆起したりを繰り返した。堆積岩がアラビア半島の上を厚く覆った。この時代の前半には陸地の殆どが海で覆われ、砂岩が堆積岩の中でも圧倒的に多い。この時代の後半には海は西部までは侵入せず、堆積岩も石灰岩が殆どである。

 

砂岩は褐鉄鉱の多い花崗岩を起源として居り、みずみずしい赤い色をしている。この赤い砂岩は風化し、水の流れで半島の東へと運ばれた。今日、赤い砂岩はサカーカー、タブーク、ウラー、タイマー、ハーイルや南西部のワーディー・ダワースィル、ビイル・ヒマー、タスリース、ビーシャ、ヤダマ、ナジュラーン等で見られる。

 

風化せずに取り残された砂岩は半島の一番高い場所であるアブハーのハバラやスーダでも見られる。又、半島中央部のジバル・トゥワイクの下部層ではボウム山付近の様にこの赤い砂岩がみられる。

 

半島の東は広く石灰岩の豊富な地層で覆われている。油井の中の浅層から深層へと変わるバハレイン、ダンマーム、ウンム・ラデュマ、ワシア、ヤママ、アラブ、ジュバイラ、デュルマ、マッラト、フッフ等の地層と同じ地層をダンマームからリヤードに移動するに連れ、地表で見られる。このカルスト台地は半島の北東および東に広く広がっている。これらの地方では沙漠の中に多くの鍾乳洞がある。半島東の主要な水層はワシア・ビヤダ、ウンム・ラデュマ、ダンマームおよびネオジェーンの様な石灰岩層である。この地域を眺めるのは退屈ではあるが、小さなきっかけがこの半島の12億年もの地質の歴史の不思議を解く貴重な鍵である。

 

2千万年前にこの半島は巨大な地殻運動を受けた。この地殻運動が北は死海から南はタンガニーカ湖至る大地溝帯の裂け目(谷)を作り出した。この地殻運動は又、二つの火山帯と共に高いヒジャーズ・アシール山脈も作った。火山帯の一つはヒジャーズ山脈の東側に平行に並ぶ連続したハッラと呼ばれる火山地帯の連続である。もう一つはヒジャーズ・アシール山脈と紅海の間のティハーマと呼ばれる海岸低地に連続する低い火山の連続である。

 

33千年前から24千年前の猛烈な雨の降り続いた時代の後、アラビア半島は乾燥し始め、15千年前までに沙漠状態になった。乾燥と共に砂は卓越風向に沿って移動した。赤い砂は北のナフード沙漠から南のルブア・ハーリー沙漠へとダフナー沙漠を通じて運ばれている。

 

人々が地質に興味を持つ為には地表を覆う物の少なさが大変貴重である事をここで再度強調したい。

 

2.サウジの地形

 

王国には5つの異なる地域がある。それは花崗岩地帯、火山岩地帯、砂岩地帯、石灰岩地帯および砂丘地帯である。

 

花崗岩地帯はアラビア盾状地の主要部である。この地域は緩やかに起伏している。ハーイルのアジャー山塊等、場所によって大地が筋肉の様に盛り上がっている。この様な山塊はその赤黒い山肌と、その麓に生える緑の木々が青い空を背景にして素晴らしい調和を作り出している。麓の砂地に生えて居る木々はタルフ、サラム等のアカシアである。花崗岩の山の3分の1はそのもともとの滑らかな山肌を残している。その他の3分の1はその山肌は比較的大きな4角に近い大石に割れている。タルフはその大石の割れ目でも生長し、まるで箱庭の絵の様な景色を作り出している。残りの3分の1では風化され更に小さな四角張った小さな小石に割れ、山肌を非常に黒ずんだ黄土色に見せている。

 

火山岩地帯(ハッラ)はヒジャーズ・アシール山脈の東側に発達している。この地域は火山岩、熔岩、火山灰で覆われており、火山がこの地域の至る所に散らばっている。これらの火山は死火山か休火山であり、活火山は見受けられない。ハーイル南にあるタバー火口の割れ目の発達など一般に知られているような火山活動は極めて限られている。これらの火山は一般的に高くも大きくもないが、ターイフの北東にあるワハバ火口等はその周囲が11kmもある。ワハバ火口(ワアバ)はその大きさばかりでは無く、その火口の底に湖の様に堆積した白い沈殿物や火口周囲の緑の豊かさでも有名である。粘性が低い為に熔岩は非常に長い距離を容易く流れている。この薄い熔岩膜は土壌の水分の蒸発抑える為に、火山岩地帯では多くの植生が育っているのを見つけられる。又、多くの部落も散らばっている。

 

砂岩地帯では厚い山並みが発達している。砂岩は時として空想的な形の岩を作り出している。又、砂岩は多くの場所で絵画的な風景を作っている。冬のハーイルでは花崗岩の丘や砂岩の丘に囲まれた窪地に多くの小さな湖が現れる。その周囲には花や木々の緑が色づいている。この様な景色はハーイル周辺のフッタ、ジュッバ、キナー、フファイル、ラウダ、ムフファル、トゥルバ等多くの場所で見られる。雨が降ればハーイルの北は本当に水の豊かな真の草地になる。ハイバル火山岩地帯の黒ずんだ山や大地を北へと抜けると、突然、垂直な赤い崖に挟まれたウラー渓谷の回廊に出くわす。その麓にはナツメ椰子の豊かな緑が広がり、その全部を抜けるように青い空が覆っている。遠目には、まるでこの世の楽園の様だ。ビーシャの北には大きな山は無いがもう一つの美しい場所である。赤い砂岩の切り立った丘の間の小さな回廊を進むとそこここにナツメ椰子の畑を持つ小さな村を見つける。これらの村は青い空に包まれた山々の陰に静かで美しい佇まいを見せている。砂岩はアブハーの南にあるハバラの様な切り立った崖をしばしば作り出す。砂岩はアブハーのソウダー、ダラガーン、カーリヤ等、王国内の一番標高の高い場所を覆っている。

 

石灰岩地帯は半島の北部や東部を覆ったはてしない広がりに特徴がある。この地帯は一般的に平で退屈な大地である。石灰岩もスンマーン崖地やトゥワイク崖地の様な絶壁を形成する。リヤードの近郊にも「世界の果て」、「ファイサル尖塔」、「第一駱駝の切り通し」等のその様な絶壁を眺める場所がある。それらの場所からの眺めは月世界の様である。石灰岩地帯のもう一つの特徴は泉、緑地、湖等が多い事であるが、円形農場の灌漑のために地下水のポンプによる汲み上げで地下水位が下り、それらが無くなってしまった。高々25年前にはダルフ・ヒート、ハルジュの泉等その入り口まで豊富に水があったが、今では水位が80m以上下がってしまっている。最近ではリヤード南方のライラ南にある大小の湖が完全に干上がり、以前にカナート(地下水道)があったとはとても思えない状況に成っている。カナートはライラ、ドゥーマ・ジャンダル、タイマー、アハサー(ハサー)などでの最も重要な灌漑方法の一つであった。地上とは対照的に多くの鍾乳洞が地下に発達して居る。その複雑な特徴が今日では多くの洞窟探検家を魅了している。

 

砂丘地帯は横断型砂丘、縦型砂丘、砂山型砂丘およびウルークの4種類に分類できる。

 

横断型砂丘はバルハンとも呼ばれ、卓越風向と直角に三日月型を作り出す。バルハンは移動しやすく徘徊する砂丘とも呼ばれる。ジャーフーラ沙漠はダンマームの南のアブカイクからルブア・ハーリーまで広がって居り、バルハンで覆われている。この砂漠の砂は石英分が90%以下と少なく、サウジ国内にある他の砂漠の様に砂が酸化鉄で被覆されて居らず、その結果として砂の色が明るい赤では無く、青みがかった白である。

 

縦型砂丘はセイフ砂丘とも呼ばれ、その砂漠の砂丘は卓越風向に沿って並んでいる。縦型砂丘では砂は移動しても地形は殆ど変わらず、比較的安定して居り、その凹地はしばしばシュラブや草で厚く覆われて、ディカーカとも呼ばれる植生のある沙漠を作り出す。ナフード大砂漠は殆どディカーカで覆われている。

 

砂山砂丘は時として300m以上にも聳え立つ。ルブア・ハーリー沙漠の南東部やナフード沙漠の南東部には星形砂丘と呼ばれる砂山がある。

 

ウルークとは細長い砂丘の重なりである。リヤード北方のイルク・バンバーンやルブア・ハーリー沙漠の南西部では多くのウルークが平行に幾つも走っている。ルブア・ハーリー沙漠の南西部では100を越えるウルークが1.5kmから2.0km間隔で200kmにも渡って北東から南西へと並んでいる。ウルークは北のナフード沙漠や帯状にナフード沙漠とルブア・ハーリー沙漠を結ぶダフナー砂漠でも見られる。

 

冬の雨は砂丘に貯えられ、その間の凹地に湧き出してズィルフィー西や、リヤード西のクルカーラ湖(カララ)、リヤード北のラウダ・フライム等の場所で小さな湖を作り出す。又、砂丘の凹地には砂丘に貯えられた水の湧き出す多くの井戸がある。

 

3.遺跡と古代史

 

この半島はアフリカからユーラシアへと人類が移動した通り道でもある。人類は数百万年前に出現し、アラビア半島北部を抜けて世界中に広がった。サウジ国内で最も古い先史時代の古跡はジャウフ(ジョウフ)の東にあるシュワイヒティーヤである。この遺跡はアシュール文化即ち手斧文化の人類の物で1.2百万年前に遡る。この人々は珪石製の手斧を使って居た。

 

肥沃な三日月地帯やナイル渓谷また海を渡ってインダス渓谷と近い為に、同じ様な伝統的長老制社会が旧石器、新石器、青銅器時代と続いたと思われる。これらの遺跡はヤブリーン、ライラ、ムーダファン、ラムラト・サバアタインなどの涸れ谷や古代の湖に沿って広く見つけられる。

 

ラジャジールや南ナフードのストーン・サークルの様な立石群が見られる。この様な立石群は紀元前3000-4000の間に宗教的或いは天文的な目的で建造された。

 

後期新石器から青銅器、鉄器時代と人類の生活は時代が下る程、ハッキリ分かって来る。人々は岩壁画や碑文を描き始めた。

 

新石器時代には宗教的目的の為に人物が非常に生き生きと描かれた。又、水が豊富な場所に居る牛、馬、レイヨウ、ガゼル、犬、駝鳥、ライオン等の動物も描かれた。時代が経つに連れて水が乏しくても生存できる駱駝や羊に変わった。これはアラビア半島が33千年前から23千年前までの雨の多い時代から15千年前までに沙漠化した事を示している。

 

岩壁画も描写的な躍動感のある絵から碑文を伴う象徴的な絵に変化した。回教が成立した紀元620年以降では特に宗教的な意味は無くなって来た。これらの絵や碑文は巡礼や交易の為のキャラバン・ルート特に乳香の道に沿って描かれた。描く目的は後世の人達に様々な事を語り次ぐ事であった。

 

碑文はマイーン語、リフヤーン語、ナバテア語、サバ語(シバ語)、サムード語、アラム語、クーファ語、南アラビア語および近代アラビア語を使って描かれた。どの言語で碑文が描かれて居るかによってその描かれた時代を特定出来る。JICAから派遣された川床博士はサウジ考古博物庁のスタッフと共に碑文を観察し、解析している。この共同研究を通じて多くの新しい話が発掘されるのが期待されている。岩壁画や碑文の他に岩肌に特別な印が描かれている。これは部族の所有は示す印であるワシム(ワスム)と思われる。

 

紀元前の1千年間にアラブ族はティグラト・ピレセール3世(紀元前745年から727年)、サルゴン2世(紀元前721年から705年)、セナケリブ(紀元前689年から680年)、エサルハドン(紀元前680年から669年)等のアッシリアの王達と争った。アラブ族はアラビアの女王と呼ばれる歴代のザビーベ、サミースィー、ヤティエ、テルフーヌー、タブア等のアドゥーマートゥー(ドゥーマ・ジャンダル)の巫女達の指示でその時々のアッシリアの王達と戦った。アラブ族はアッシリアにうち勝つ事は出来なかったがジャラパ、バスグヌ、カザイル、ウアイテ等のアラブの王達は多年にわたり良く戦った。タイマーはこの時期にバビロニア王ナブニディス(紀元前555年から539年)の治世に10年間、その首都であった。

 

インド洋から地中海へのシルク道路としての役割或いは乳香交易の為のキャラバン・ルートには大変興味をそそられる。東アジアからの積み荷はクライヤ、タールート等のアラビア湾の港に陸揚げされ駱駝に積まれて地中海へと運ばれた。涸れ谷・スィルハーンの入り口にあった為に、ドゥーマ・ジャンダルはこのキャラバン・ルートの主要な中心の一つとなった。古代から涸れ谷・スィルハーンはアラビア半島からシリア、パレスティナへの主要なキャラバン・ルートであった。

 

乳香はアラビア半島南部で生産され駱駝に積まれ、キャラバン・ルートでナジュラーン、ビイル・ヒマー、ヤダマ、タスリース、ビーシャ、ターイフ、マディナー、ハイバル、タイマー、ドゥーマ・ジャンダル等通って運ばれる。もう一つのルートはビイル・ヒマー、涸れ谷・ダワースィル、リヤード、カスィーム、ハーイル、ドゥーマ・ジャンダルを抜けている。このルートも涸れ谷・スィルハーンに繋がっている。キンダー族出身のカルブの様なスコニアン支配下ではドゥーマ・ ジャンダルは北アラビアで最も有名な市場と成った。ウマイヤド朝(西暦661年から750年)の崩壊の後、アッバース朝は交易の中心をダマスカスからバグダドへ移した。その後はキャラバン・ルートが涸れ谷・スィルハーンを通り抜ける事は無くなり、ドゥーマ・ジャンダルは歴史から忘れ去られた。

 

4.民俗と部族

 

厳しい沙漠での農業および放牧の為の生活様式での乏しい水と乾き切った環境に適応する方法には魅了される。民俗には厚い土の家、厚く毛で居ったテント、長く弛んだ衣服、沙漠地下灌漑水道(カナート)等多くの方法が取り入れられて居る。耐熱性、耐乾性、耐塩性に優れた動植物が利用された。典型的な植物はナツメ椰子であり、象徴的な動物が駱駝である。この二つは飢饉に生き残る為の両輪であり、収穫の豊かさを示している。一方で、カフターンの様に頭に花飾りをしてサテンのスカートを纏い、水の豊かな高地に生活する部族も居る。ムッラ族は放牧している駱駝に食べさせる草を育てる降雨の場所を感知しながらルブア・ハーリーに住む卓越した沙漠部族である。駱駝は彼等が頼りに出来る唯一の家畜である。ムッラは数年も続くような厳しい干魃を除き、ルブア・ハーリーから出てくる事は無い。もし、ムッラ族がルブア・ハーリーから出てきたとしても誰も彼等に気づく者は居ない。ムッラ族は羊の放牧民とは異なる彼等自身だけのルートを通って旅をする。ムッラ族は姿を見せない沙漠の不思議である。

 

5.自然と地理

 

ここではサウジ国内の自然と地理を代表する主な項目を挙げるに留め、それぞれについては追々紹介して行きたい。

 

自然

 地質

  火山岩(花崗岩、安山岩、玄武岩等)

  堆積岩(砂岩、石灰岩等)

 地形

  洞窟(カーラ山、ダフル・ヒート、ハルジュ、ダフル・スルターン、ダフル・ナジェム、ダルフ・ムルッベフ、モッシ、ダルブ・アブー・ホル、ゲコ洞窟等)

  断崖(エイジ・オブ・ザ・ワールド、第一駱駝桟道、ハバラ、スーダ、バーハ、ハダー等)

  涸れ谷(涸れ谷バーティン、涸れ谷ニサーフ、涸れ谷サフバー、涸れ谷ダワースィル等)

  オアシス(ラウダ・フライム、アイン・スックラ(預言者の泉)、ハッダージュの泉等)

  砂丘(ルブア・ハーリー、ナフード、ダフナー、ウルーク、ジャーフーラ等70万平方キロ、サウジ国土の1/3

  ハッラ(火山地帯-、ハッラ(ラジル熔岩地帯)、ハッラ・ラハー、ハッラ・ウワイリド、ハッラ・クファイフ、ハッラ・グワイタート、ハッラ・ザビン、ハッラ・シャーカ、ハッラ・キシュブ、ハッラ・ナーイマ、ハッラ・ナワースィフ、ハッラ・ハイバル、ハッラ・ハダン、ハッラ・ビクーム、ハッラ・ビルク、ハッラ・フタイム、ハッラ・ラハー、ハッラ・ラハート、ハッラ・ルーナイル)

山脈(山塊)(ヒジャーズ、アシール、シャンマル、トゥワイク等)

動物と植物

  動物(マントヒヒ、ハリモグラ、野ウサギ、沙漠狐、砂鹿等)

  鳥類(鷹、鷲、鳶、ヤツガシラ、ヒバリ、ヤム鳥、ノガン等)

  爬虫類(バートン バイパー、アラビア砂トカゲ、ダブ、ヤモリ等)

  植物

   アカシア、プロソフィス、タマリスク、フェニックス、ナツメ椰子等の樹木や多くの多年草や一年草 

地理

遺跡

 旧石器遺跡(シュワイヒティーヤ、ナジュド、ダワードゥミー、ルブア・ハーリー、涸れ谷ダワースィル、涸れ谷サフバー等)

 新石器遺跡(サウジ国内の多くの場所)

 歴史的な遺跡(ドゥーマ・ジャンダル、カーフ、マダーイン・サーリフ、ウラー、タイマー、タブーク北西のクライヤ、ラウワーフ、バダア付近のマガイール・シュアイブ、ウラーとハーイルの間のセド・サマッルラギ、ターイフ北東のウカーズ・スーク、ターイフ北東のビルカ・フラーバ、ナジュラーンのオクデュード(ウフドゥード)、ハミース・ムシャイト南東のジャラシュ、タールート、サージ、ウカイル、リヤード南東のブールマ洞窟、ディルイーヤ、ダワードゥミー、ジャバル・バイザタインおよびハヌガフ、ワーディー・ マッシル、マーリド城、ファーウ、ハーイル、ジャウフ、サカーカーのザバル城、涸れ谷スィルハーン等

 岩壁画、碑文およびワシム(ビイル・ヒマー、ジュッバ、ミタイヒア、ヤティブ、ジャンナイン、ザアバル、ウラー、ブールマ洞窟、サカーカーのブールヌス山、その他サウジ国内の多くの場所)

 部族   (アナザ、カフターン、シャフラーン、アドナーン、シャンマル、’ウタイバ、ルワラ、スィルハーン、ドゥーサリー、タイイ、ラシード、ヤーム、スラバ、シャッラト、バニー・サハル、バニー・アティヤ、ハルブ、ムタイル、フワイタート、バニー・フタイム、バニー・ハーリド、ジュハイナ、ビクン、ラシャーイダ、ウジゥマーン(アジュマーン)、ザフィール、ムッラ、スフル、ダワースィル、スバイウ(スバイ)、アシール、ビクーム、バニー・ハジール等)

 民族と伝統(タブーク、ジャウフ、ウラー、ハーイル、カスィーム、カティーフ、ダンマーム、コバル、アハサー、ナジュド、マッカ・ムカッラマ、メディナ、ジェッダ、ターイフ、ティハーマ、ジーザーン、ファイファー、アシール、ナジュラーン、シャルーラ)

産業

  鉱業(マハド・ザハブ等)

  工業(石油精製および石油化学、塩水脱塩プラント、発電所、セメント工場等)

 農業(ナツメ椰子、円形農場、グリーンハウス、牧場、養鶏等)

 漁業(アラビア湾、紅海等)

交通

  道路網

  鉄道(ダンマーム鉄道、廃墟となったヒジャーズ鉄道)

  航空路

  航行路

近代的生活

  公園(ジェッダ海浜公園、フザマ公園、ターイフのファハド国王公園、アブハーのダラガーン公園、ムハンマド・ビン・ファハド公レクレーション公園、コバルのサウード・ビン・ジルウィー公庭園、ターイフのリドフ公園、アシールのカラアー国立公園、サワイディ公園、外交団地区のトゥワイク城、ウライヤ公園、ハルジュ庭園、ハサー国立公園、コバルのメリディアン庭園とラグーン、半月湾海岸、キング・ファハド公園、キング・ファハド海浜公園市、コバル海浜公園等

  マリーン スポーツとダイビング(ジェッダ、ヤンブー、半月湾等)

  ショッピング センター(ファイサル・タワー、キングダム・タワー、ラシード・ショッピング・センター等)

 インターナショナル ホテル

  インターコンティネンタル・ホテル(リヤード、ターイフ、アブハー、アハサー、ジュバイル)

  フォーシーズン ホテル(リヤード)

  メリディアン ホテル(コバル、ジェッダ)

  シェラトン ホテル(リヤード、メディナ、ハダー)

  ファイサリア、コザマおよびアブハー・パレス

  SASホテル(リヤード)

  アル ヌスル ホテル(ジャウフ)

  ホリディイン (リヤード、ダンマーム、ハファル・バーティン、半月湾、ナジュラーン、ヤンブー)

  トライデント・ホテル(ハミース・ムシャイト)

  サハラ・ホテル(リヤード、タブーク)

  マッリオト・ホテル(リヤード)

  ハラ・ホテル(タブーク)

  マダーイン・サーリフ・ホテル(ウラー)

  アーク・ホテル(ウラー) 

  ハヤト・ホテル(ジーザーン)

 

(注) 特定できていない固有名詞や本文掲載されていない新しい建造物、リゾート地、ホテル等も多いのですが、ホームページを書き進める中で特定、追記できると考えています。(高橋)